37.悪魔の棲む家2

 まだ昼間だというのに屋敷の中は薄暗かった。


「…なんか思ったよりも荒れてないな。誰も入ってなかったからかな」


 松明の火を燭台に移しながらエヴァンが呟く。


 燭台の灯に照らされた屋敷の中は驚くほど落ち着いていた。


 長年人が住んでいなかったというのに傷んだ部分はなく、床に埃も積もっていない。


「結構きれいじゃないか。これならすぐにでも住めそうだな!」


「ほ…本気で言ってるんですか?」


 首にかけている天遍教の護符を握りしめながらサリアが震える声で叫ぶ。


「悪魔がいるかもしれないんですよ!」


「悪魔って…それならお前の目の前にもいるじゃないか」


 エヴァンは呆れたようにそう言うと子供のように屋敷の中をうろつきいるメフィストを指差した。



「あれは別です!なんていうか…無害っぽいし」


「ちょっと待った、無害ってそれ結構心外なんだけど」


「とにかくここには何人もの人間を狂わせた悪魔がいるんです。悪魔の邪気にあてられる前に早く出ましょう」




 その時2階からガタンと物音がした。


「ひいぃっ!」


 サリアが全身を硬直させる。



「こっちか!」


 エヴァンがメフィストを抱えて飛び出した。


「ま、待ってください!私を置いていかないでください!」


 恐怖に染まった声をあげながらサリアがその後を追う。



「あっちだね。同胞の気配がする」


 エヴァンに抱きかかえられながらメフィストが前方を指差したその先には重厚そうな木の扉がそびえていた。




 扉の先はいくつもの本棚が並ぶ書庫になっていた。


 カーテンの隙間から洩れる日光が辛うじて部屋の内部を照らしている。


「くくく…来るなら来い!わわわ、私の正義の拳が叩き潰してやる!」


 恐怖でハイテンションになったサリアが上ずった声と共に手足を振り回す。



「そこか!」


 エヴァンが気合と共に本棚を突き飛ばした。


 本がびっしり詰まった本棚が壁に激突する。


「ひぃ!」


 その奥で悲鳴がした。


「そこだな!」


 エヴァンは回り込むと更に本棚を突き飛ばして逃げ道を塞いだ。


「ひゃあ!」


 悲鳴が更に近くなった。


 女性の声だ。



「ようやく姿を現したな」


 エヴァンたちが本棚に塞がれた空間に足を踏み入れると、そこには真っ白な髪をした女悪魔が膝を抱えて震えていた。


 額には羊の角が生え、ぼさぼさに伸びた髪の奥から赤く震える瞳が覗いている。


 着ているのは真っ赤なシャツ一枚だけだ。



「お…お願い…ころ…殺さないで…」


 悪魔が震える声で命乞いをしてきた。


「悪魔は殺しても死なないだろ」


 ため息と共にエヴァンはその悪魔の前にしゃがみこんだ。


「ひぃっ」


 小さく怯える悪魔にエヴァンは笑顔と共に右手を差し出した。


「とりあえず自己紹介といこうじゃないか。俺の名前はエヴァン、あんたの名前は?」



「…フォ、フォラス…」


「フォラス?あんたこんなところにいたの?」


 フォラスと名乗る悪魔が自己紹介をするとメフィストが驚いたように声をあげた。


「ひょ、ひょっとして…メフィストフェレス?」


 髪の隙間から除くフォラスの瞳が真ん丸になる。



「なんだ知り合いなのか?」


「知り合いというか…悪魔の数はそんなに多くないから自然と覚えちゃうんだよね。ここしばらく見かけないと思ってたら地上界こっちに来てたんだ?」





    ◆





「それで、フォラスは地上の知識を得るためにこっちに来たというわけなのか?」


 エヴァンの言葉にフォラスはこくこくと頷いた。


 4人は屋敷の応接間に移動し、今はフォラスが淹れたお茶を飲んでいる。


 ただしサリアだけは頑として飲もうとしなかったが。


「じ、地獄界の本はあ、あらかた読みつくしちゃったから、も、もっと色んな本を読みたくて」


 お茶をすすりながらフォラスが消え入りそうな声で呟いた。


「こいつは昔っから本ばっか読んでたからね。まさかこっちでもそんなことをしてたなんてね」


 メフィストが呆れたように肩をすくめる。


「こ、こっちは本がたくさんあるから、さ、最高。も、もう帰りたくない。だ、だから、み、見逃してくれると嬉しい」


 フォラスが上目遣いにエヴァンの方を見た。



「まあ別にそんなつもりはないんだが。それよりもどうしてここに住んでいるんだ?」


「そうです!」


 サリアがエヴァンの言葉に続いた。


「この屋敷は凄惨な事件が相次いでいると聞きました!それもあなたの仕業なのですか?もしそうであるなら、いやそうでなくても悪魔である以上見逃すわけにはいきません!」


「お前さん、相手の正体が分かった途端に態度が大きくなるのな」


 エヴァンは苦笑すると再びフォラスの方を向いた。


「で、実際どうなんだ?聞いた限りじゃこの屋敷では3件の殺人事件が起きてる。フォラス、お前さんが関わっているのか?」


「ち、違う!それは私じゃない」


 フォラスは慌てて否定した。


「た、確かに私はこの屋敷にこっそり住んでたけど何もしてない。さ、最初の住人は主人が浮気しててそれを知った奥さんがおかしくなっただけ。つ、次の住人はその事件が悪魔のせいだいう噂を聞きつけて引っ越してきて勝手に殺して回ってただけ。さ、3人目も同じ。こ、この人は色々知ってたから話し相手になってもらったこともあるけど、と、途中でおかしくなっちゃって…」


 フォラスが言葉を続けた。


「それ以来この屋敷に変な噂が立っちゃって、肝試しとか犯罪に使おうとする人が出てきたから誰も入ってこれないように封印をかけたの。そしたら悪魔祓いの人が外側に結界を張っちゃったから出られなくなって。で、でもここは本もいっぱいあるし誰も入ってこないから別にいいかなって」


「でまかせを!」


「いや、それはどうだろうな。悪魔は嘘をつけないというのは天遍教でも信じられていることだろ?」


「う…」


 サリアが言葉を詰まらせる。


 エヴァンは膝を打つとフォラスの方を向いた。


「とにかく、これでこの屋敷の正体はわかったわけだ。実をいうと俺はこの屋敷を買い取ろうと思っている。見ての通り俺には悪魔が憑いてる」


 そう言ってメフィストを指差す。


「だからあんたを祓おうなんて思っちゃいない。当然追い出すつもりもない。こんだけ広い屋敷だしな。むしろこれだけ奇麗に維持してくれたんだ、今後も任せたいくらいだ。どうだろう?俺に協力してくれないか?」


「そ、それってつまり、私はここにいていいってこと?」


 フォラスがおずおずと尋ねる。


「もちろんだ」


 エヴァンは大きく頷いた。


「ずっと本を読んでてもいい?」


「当然。なんなら新しい本も買ってこようじゃないか」


「じゃあやる」


 フォラスが頷く。


「よし、これで決まりだ!それじゃこれからよろしくな、フォラス」


 エヴァンはフォラスと固い握手を交わした。



「悪魔が2体も…私はどうしたら…」


 一方その横ではサリアが頭を抱えているのだった。


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