俺とアキラと童貞病

早坂慧悟

第1話  童貞 恋をする

 序


俺は新型インフルやコロナウィルスより恐ろしく重篤な流り病を知っている。世間的に統一された呼び名はないが俺はそれを童貞病と呼んでいる。この童貞病は恐ろしい伝播をする、そして罹ってしまえば回復することは殆どない。


 それはまず脳内に寄生する、最新医学が進んだ今では精神汚染なる言葉で表す向きもでてこよう、そう呼びたいなら勝手にそうしたら良い。中学生、早ければ小学校高学年からこの病いの兆候が現れる者も出てくる。学校教育やテレビの影響により過度に女性を意識し遠ざけてしまうのが第一段階だ。女と仲良くするのは軟派との変にバイアス掛かったホモジーニアスな連帯意識が共有され、馬鹿な奴はその嘘を信じて高校、大学まで進むのだ。ここまでくると大抵手遅れで、万事三色の休すだ。引き返したとしても歪で不自然な、いわゆる挙動不審な女性へのアプローチをしてしまい治る見込みはまずない。これがこの病の恐怖だ。第二段階。進学や就職が

 うまく行ったように見えて既にこの病いに罹患しているものも多い。つまり第一段階からそのまま気付かず社会人になるパターンだ。いくら年を取っても寄生された脳からの信号により女性との仲がほぼ絶望的に構築できないのだ。そうなると風俗や愛人バンクにはしり、死ぬまで依存しそして破滅する。恐ろしいことだ。

この話は幸いにも第一段階の若者の話だ、だから安心して眺めることができよう。


               1

 高校生にもなって未だに彼女のひとりも出来ないのは極めてまずい、と思った時はもう遅かった。まわりの奴らはみなかわいらしいガールフレンドを作って、土日の度に映画やレストランへデートを繰り返している。進んでる奴なんてもう浦安のディズニーランドに行ったり日帰りで熱海の温泉に行った奴すらいた。雑似(ぞうじ)にはそれは全く想像出来ないことだった。皆いったい何処で誰と知り合うことができるのか。そう易々とことを運ぶ周囲に自分はついていけないと思った。

「なあぜったい楽しいって、ワイファイ知ってんだろあの店。未成年にも平気で酒を出すらしいぜ」

アキラはそう楽しげに言った。

「だから興味ないって」

無下にそう言う雑似。

「そんなんだから『擬人祭』でも失敗したんじゃないのか?」

擬人祭はわが高校の古くからある学園祭だ。祭の間中、男子クラスと女子クラスが入り交じり祭の準備をするのでこれを機会に結び付きカップルになるものも多かった。とくに学園祭の後で行われる打ち上げには大多数の男女の生徒が参加するのでここでカップルになる事が多かった。こんな楽ゲーな擬人祭で相手を狙っておいて失敗する者はまずいないからアキラは口調も自然強めになるというものだ。

「うるさいな興味なかったんだよ、モモ莉菜(ももりな)も近くで見るとアラが目立って、あのとき気が萎えちゃったんだよ。」 

雑似は「ももりな」に少し惹かれた時期があった。サッカー部である彼は毎日校庭で遅くまで練習していたが、いつもその度にサッカー部のすぐ後ろの練習レーンを走る彼女の姿を何回も見ていた。彼女は陸上部の期待の星だった。カモシカのようにしなやかに疾走する彼女は走り終わっても爽やかな笑顔で汗を拭いていた。なんて颯爽とした美しさだろう。すらっとしたランニングウェアに包まれたその肢体に短いショートカットの風に靡く黒髪。それだけで彼にはもう十分だった。彼女を見る度にサッカーの練習も覚束なくなり、そんな様子を見ていたアキラがある日言った。

「よう!センターフォアード、あんたがボールに集中しなきゃ何も始まらんぜ…」

「はあ?ただ俺は観察してるだけだ。他の競技も参考にしてわがチームに必要なのは彼女のような中距離走における身体の敏捷性や機敏さなんだと……」

「ははは!お前に必要なのはももりなのしなやかな体だろ、このスケベ!」

「な、なにを……」

グランドの真ん中でこんな間抜けな会話をしたのはちょっと前のことだったが、ある日アキラはこんな話を持ちかけてきた。

「おい雑似!擬人祭の打ち上げ、陸上部女子と一緒にやることになったからな。 」

「な、」

学園祭は文化部が主体だったが我々運動部も屋台を中心に参加することになっていた、今年は共同でフランクフルトを出す予定だった。みな数時間店番をするだけで大して働く時間は無いのだが、こぞって打ち上げの参加は熱心だった。なにしろそれくらいしか他部との交流はないからだ。

「席も隣に陸上部女子を設定しといたからな、なんとかモノにしろよ。」

「はあ?」

「感謝だろ、感謝しかないだろ?ウンウン」

得意気に話すアキラに雑似は言った。

「遠くから眺めてるからいいんだろ、彼女も俺のことしらないしいきなり何話していいか解らないんだよ」

結論かいうとこの打ち上げ会の後、雑似は一切の会合に出なくなるどころか、女の尻を追うのをやめたのだ。そしてサッカー以外は家に閉じ籠るようになった。

 テスト期間中―いつもならその合い間を抜け出してサッカー部の練習に出たりアキラと遊びに行ったりするのだが、雑似はずっと家に引きこもり必要な試験の日だけ学校に行った。毎日試験がある訳ではないのでスマホをいじって時間を潰していた。何気なく見たサイトにウバイツの開通のお知らせがあった。ウバイツとは簡易型出前システムであり、希望者のもとにチャージ上乗せで様々な出前が届くシステムだ。雑似は暇つぶしに駅前のピザ屋シェイクシェイクの出前を取ることにした。ここは時間制の食べ放題が売りの店でいつも夕方は学生で賑わっていた、それもカップルばかりだ。中学校迄は男同士でよく言っていたのだが皆彼女がて来てから雑似はとうとう誰とも行けなくなってしまったのだ。ウバイツのサイトから登録すると、もう後はピザが来るのを待つだけだった。

 ピザが来るのをぼんやりと待ちながら、雑似は先日の打ち上げの失態を思い出した。


――――

 「すげえんだよ、そのカナって女な。『童貞の処理はヤリマンの義務』なんて平気で言っちゃっててさ、ウケるよな」

 「まじ!ウケるウケる」

 後ろの席は陸上部だった、そしてちょうど雑似の真後ろにはももりなが居たが乾杯の時に少し話したくらいで、なかなか会話の糸口が掴めなかった。

 そして最悪なことにサッカー部の隣には悪名高い卓球部と野球部が下品な話に花を咲かしていた。特に卓球部が誰がヤッタとか、どこそこのだれがビッチだとかいかにもな童貞トークを大声で話し悦に浸っていた。こんな自分たちがかっこいいとでも思っているのだろうか、まったく聞くに堪えないものばかりだった。

 呵々と大笑して話は続いた。

 「学内の童貞どもを片づけていった猛者がいたのか!」

 「ヤリマンというより仏に近いものではないか~南無南無、童貞どもよく聞いとけよ」

このどうしょうもない会話に雑似は耐えられなかった。

 「ちょっと待てよ。」

 「え?」いきなりの雑似のすごい剣幕にテーブル中が静まり返った。

 「童貞は一過性ではないんだぜ、それで終われば今度はセカンド童貞の始まりだ。今の話、逆にしたらどうなる?「処女の処理はヤリチンの義務と呵々大笑して学内の処女を片づけていった猛者がいたのだ、ヤリチンというより仏に近いものではないか」なんて言えるのかよ、俺に言わせればそれは鬼畜な犯罪行為だ。お前らもっと自分の童貞を大事にしろよ。」

 そのあとの事は憶えていない。雑似は大きな声で、ああ俺は童貞だ童貞だ文句あるかと卓球部の面々に喚いていたような気がする。少なくともその場の空気を壊したことは間違いなかった。


 そしてこの日は、雑似にとっては思わぬ僥倖が訪れるはずの日だったのだ。

 「あの、だいじょうぶですか?」

打ち上げ会が終わり、席を立とうとすると雑似に真後ろのももりなが話しかけてきたのだ。

 「いつもコート、隣りですね。サッカー部の方でしたっけ?」 

 「雑似です。今日はお見苦しいところを見せてしまい、本当に失礼しました。ももり・・いや、桃田さんのことはよく見かけてます。いつも颯爽と・・こう・・足、早いですよね」

 何てことない。会の終わりになって話始めたり話が盛り上がったりするのはよくあることで、この場でもももりなの機転の良さから二人は一気に親密になるような感じだった。

 ももりなは照れたように言った。

 「いいえ。私なんて足が速いだけが取り柄なんで、雑似さん、サッカーでいつもすごいシュート決めるって評判ですよ、かっこいいなあっていつもみんなで話してるんです。今日だってあんな冗談でもりあげてくれて、本当にエンターテーナーだなってみんなで言ってたの。機転の利く男の子って素敵ですよ。ねぇ・・。」

 そう言ってなんだか体をくねらせるように彼女が違づいてきたことを雑似は素早く察知した。見ると今日はいつものようなすっぴんではなく軽い化粧のようなものをしている。

 「いえ、冗談じゃないです。あれは僕の本心です!童貞とか馬鹿にする連中が許せないんですよ。童貞だからなんだって言うんです、童貞だっていいじゃないですか、童貞にしか分からない世・・」

 そのときガツンと雑似の頭をたたく者がいた。

 「いや!いやいやいや!こいつ本当に馬鹿でさ、ちょっと受けるとひたすら同じギャグを繰り返すのね。雑似!もういいて、そのネタ飽きたやめやめ」

 アキラがそう言って雑似の話を遮った。どうしていいか分からないももりなは雑似に近寄ったままの位置で動かないでいる。

 「あの雑似さんじゃまたコートで・・」


 「あのさ!」

なぜ雑似がそこで咄嗟に話を続けたのかは彼自身にも分からなかった。キョトンとしているももりなに浴びせられた次の言葉は、さらに雑似はおろか周囲にいた者たちにももっと分からなかった。

「俺気にしてないから!ももり…いや桃田さんがバスケット部の菅谷と付き合ってるのも、その前に陸上部のキャプテン吉住さんと付き合っていたことも、その前に吹奏楽部の鈴木と1ヶ月だけ付き合っていたことも、大学生の彼氏がいてよく一緒に出掛けてるって噂されてるのも。俺、そんなこと全然気にしてないからさ!そんなものは関係なく、ももりな、いや桃田さんはいつもグランドで走る姿は一段輝いていて何者も寄せ付けない爽やかで清い存在だから!…遠くから見てると…だから、だから!」

「な…」

ももりなは顔を真っ赤にしてバンッと会場を出ていった。周りの者も唖然として遠巻きに雑似を見るだけだったが、アキラは雑似の腕を掴むと「でるぞ!」と強引に一緒に会場を後にした。

帰り道、二人ならんで何も言わなかった。別れ際、アキラは一言だけ言った。

「あんな告白あるかよ、どこまで純粋な馬鹿キョンなんだよお前は。」

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