第一章:HeavenlyStair

依頼

 ムーンアルパ第97地区。企業統治下に属さないこの街は一日中薄闇に覆われている。そこらに充満する香りは甘ったるかったり据えた香りだったりと様々だが、雑然とした雰囲気であるのはどこも同じだ。ここは無法地帯、フェザールシティと呼ばれる中央ブロックのここら一帯はマシな治安ではあるが、それでも乱痴気騒ぎが日常だ。表通りに出ると安っぽい有機ネオンがギラギラとあたりを照らしている。点在する露店の品揃えは様々だが、だいたいは出どころの怪しいものばかりだ。しかしそれに頓着するような余裕は誰にもない、懐事情が寂しい身としては正規品など望むべくもないのだ。

「おう、レーンじゃねぇか。最近どうよ」

「どうもなにも相変わらずさ。そっちは?」

「どいつもこいつも景気が悪くっていけねぇ。せっかくだしちょっと見てってくれ」

 露店を冷やかしていると見知った男に声をかけられる。長年店を営むロウ爺には何度も世話になっているのだ。その気はなかったが、なんとなしに品物に目を通す。

「これ、いくらだ?」

 手にとって見せるのはハンドレールガン用のマガジン。火薬式の銃と比べて分厚いマガジンの底にはバッテリーが内蔵されている。火薬も雷管も鉛玉も月面では貴重品、鉄とアルミで作られたショートダート弾を打ち出すレールガンが主流だ。

「ほぼ新品でバッテリーのヘタリも少ないからな、13でどうだ?」

「じゃあ2つ、弾も2ケースくれ」

「お得意様価格だ、25でいいぞ」

 月面で流通している通貨はM$(ムーンドル)、企業連合会議が共同で発行している。狭い経済圏ながらレートはほとんどドルと同価値。月面経済がいかに発展しているかがよく分かる。連合議会発足の立役者、ニール・アルヴェノートの肖像が描かれた紙幣を25枚きっちり渡し、マガジンに弾を込めてベルトへ収める。

「他にはあるかい?」

「”アレ”が入ったら教えてくれ、それじゃあ」

「毎度!」

 ホクホクとした表情のロウ爺に見送られ、目的地へと歩を進める。この街では武器が生命線、いかに懐が寂しかろうが買える時に買っておかなければ危うい。商売道具でもある愛銃への投資と考えて義手の修理費と生活費への憂いを振り切る。しかし金勘定はいつの時代も軽くない、収支に悩みながら歩いているといつの間にやら目的地だ。

 他の店より数段格上の格調で設えられた看板には「Bar Blanrod」の文字。この街を管轄していた企業のオフィスだったものを改装して作られたこのバーは店主の趣味を反映するようにハイセンスな作りになっている。しかし客層はちぐはぐ、てんでバラバラだ。絵に書いたようなチンピラ、西部劇から出てきたようなガンマン、分厚い装甲服を着込んだやつ、外套を羽織る三度笠に和服の浪人、スーツの女がいると思えばきらびやかな服装で着飾った淑女も居る。外でも服装はまばらだが、ここに集まる奴らは個性が強すぎる。それもそのはず、彼ら彼女らは”賞金稼ぎ”を生業にするする者たちだ。個性の波をかき分けてなんとかカウンターに座る。

「ご注文は?」

 馴染みのバーテンダーがメニューを突き出す。だが今日は酒を飲みに来たわけじゃない。

「仕事の話を聞きに来たんだよ」メニューを突っ返して言い放つ。

「いいじゃないか一杯くらい」

「貧乏探偵にゃ厳しいぞ、もっと安くしてくれ」

「馬鹿言うな、状態の良い天然物だぞ」

 メニューに乗っていた値段はウイスキーがシングルで500、地球の約100倍。ジャックダニエルやジムビームでこの値段だ。合成アルコール飲料が流行る理由はここにある。月面でできる農作物は微々たるもので、酒の醸造などは望むべくもない。すると必然的に地球から輸入する他ないのだが、月-地球間の輸送はコストがかさむ上に連合議会が関税を釣り上げている。密輸だって非常にリスキーだ、下手を打てば賞金首として追われる身になる。更にここは無法地帯、提供するための労力は他とは比べ物にならないだろう。正規ルートにせよ密輸にせよ「天然物」と呼ばれる地球産の酒は非常に高価なのだ。そんな状態では工業用を流用したり成分組み換え機で作られた合成アルコールが常飲されるのもやむなしである。

「いいからヴァルさんを呼んでくれ」

「へいへい。ヴァル兄さん!レーンが来たぞー!」

 バーテンダーが店内の喧騒に負けないように大声で叫ぶと、程なくして顔立ちの似た男がやってくる。

「よく来てくれた、感謝する」

 男の名はヴァルニーテ・キャンティーナ。後ろに控えた弟のエルフラッド・キャンティーナと共に自治組織「ガストラス協会」のリーダーを務めている。無法地帯の97地区にあってフェザールがマシなのも彼らの手腕あってのもの、インフラ整備や仕事の斡旋、治安維持のために自警団も運営している。

 この兄弟、顔立ちは似ているが纏う雰囲気は真逆だ。会うたびにそう思う。ヴァルニーテは元々名のしれた賞金稼ぎだけあって筋骨隆々としており、身長も2m近い。所作は無骨でそこかしこに傷の見えるいかにも修羅場慣れした風貌だ。自警団を取りまとめて実働方面で活躍している。

 エルフラッドは対象的に細身で色白、身長こそ高いが兄ほどのオーラは無い。しかし彼の真骨頂は事務と交渉にある。普段は胡散臭い表情と言動で飄々としているが確かな手腕でインフラを維持し、企業からの干渉を避けつつ賞金稼ぎたちに仕事を斡旋している。しかも彼とて賞金稼ぎ、狙撃の腕は一級品だ。

 まさしく双璧、キャンティーナ・ブラザーズ。そんな二人が直接俺に仕事を振ってきたわけだ。

「じゃあ、仕事の話をしようか」

 さっきまでのおとぼけた雰囲気はどこへやら、エルフラッドが真剣な目つきに変わる。兄弟が揃ってPTを操作し、三人だけが感知できる直接通信へと切り替わった。ナノマシンを介して視界に資料が映る。いくつかの写真と、正式な依頼書。思わず息を呑む。書類に記された報酬は前金5万、成功で30万。

「君にはある男を探ってもらいたい。正確には彼と彼の捌くドラッグ、その背後関係だ」

 ナノマシンを介した声が直接鼓膜を震わせる。ヴァルニーテの声色は重く、相当の事態だと察する。

――どうやら、とんでもない厄ネタに巻き込まれたらしい。

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