第92話



「──まやちゃんは、『先生』を諦めますか?」


 その言葉に、鳥肌が立った。一瞬で目頭が熱くなる。


「……諦める。諦めた、よ……」

 途切れ途切れに呟いた声はとても弱々しかった。


「あの人がくれた花も、言葉も、笑顔も……そのすべてを、忘れたいですか?」


 神永君に言われて改めて考えた。あの頃は早く忘れようと躍起になっていたのに不思議なことに今、先生との全てを思い出しても「忘れたい」とは思わなかった。


「──忘れるんじゃなくて、思い出にしたい。あんなに馬鹿だった自分がいて、今の私がいるんだもん。先生を好きになったことは忘れちゃいけないと思うんだ」


 思ったまま伝えると、神永君は少し微笑む。じゃあ……と海へ視線を向けて言葉を続けた。



「──まやちゃん、ここに置いていこう」


 最初は、彼が何を言っているのか理解できなかった。だけど、その意味がだんだん分かってきて──。


「全部吐き出して、先生への想いを捨てて……思い出にしよう」


 そう言った彼を思わず凝視していた。固まった私の背中を押して「ほら」と促す。震える唇を噛みしめると、私は大きく息を吸った。

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