14

 言いかけて、睦月さんは止めた。その代わりに私をじっと見つめて、別のことを言った。


「――一瀬さんって、いい子だね」

「いい子?」


 言葉の感じから、褒められているのではないとすぐにわかった。私はフォークをぎゅっと握った。


「そうだよ。いい子。くまに気に入られているでしょ? 自分の言うことをよく聞いてくれる、いい子な魔法少女だって」


 頬が熱くなった。何故か、恥ずかしさと怒りみたいなものが込み上げてきて、私はうつむいた。かわいらしいチョコレートケーキ。食べかけの、すごく美味しいケーキ。でも今はそれが急速に色あせて見える。


 私は――くまが好きだけど、でもくまの言いなりになっているわけじゃない。たぶん。いい子だなんて、そんな馬鹿にした感じで言われるのは嫌だ。くまと私の関係も、なんだか土足で踏みにじられているみたい。


 私は顔をあげた。言葉は返せなかったけれど、うつむいたままでいるのが嫌だった。睦月さんの大きな目と私の視線がぶつかる。


「魔法少女って、なんなの?」


 楽しそうに、睦月さんが言う。知らない、と答えたくなる。魔法少女は――最初に、睦月さんだってミュウに説明されたでしょ、異世界からの力によって姿を変えられたものを元に戻す使命を持つものたち。それでいいじゃない。


「一瀬さんは力が欲しくないの?」


 続けて、睦月さんがきいた。私はようやく声を出した。


「私は――いらない」

「そう。その力があれば、今を変えられるとか思わないの?」

「思わない」

「幸せなんだね」


 最後に、放り出すように言った言葉の棘に、もちろん気づかないわけにはいかなかった。私は再びケーキを見た。フォークをしっかり握って、一口分切り取る。それを口に強引に押し込む。


 ケーキは……美味しい。私のテンションは下がってるけど。美味しいものは幸せな気持ちで、その美味しさを最大限に味わいたい。私は今までの睦月さんとの会話をいったん忘れることにした。


 別の話題にしたい。


 でも何がいいだろう。別の……睦月さんが喜びそうな……。


 楓ちゃん?


 楓ちゃんのことを話すことにした。


「か、楓ちゃんの発表会、楽しみだね! 突然話は変わるけど!」


 ずいぶん強引な話題の持っていきかただと思う。でも他に方法はわからない。そして、さっきまでの話はもう終わらせたい。


 睦月さんは面食らった表情をした。でも、私の意図がすぐにわかったのだろう。微笑んだ。


「そうだね」


 私が少しほっとして、でも次になんと言っていいかわからず黙っていると、睦月さんは話を続けた。


「楓がまだ近くに住んでいたとき、よく楓の家に行ってピアノを聴かせてもらってた」

「私も楓ちゃんち行ったことある! あ、引っ越した後の今の家のことだけど。大きくて素敵なピアノがあるよね」

「うん。私も新居に行ったことがあるから知ってる」


 それから楓ちゃんの話になった。よかった。嫌な話は終わりになったみたい。どこかにいったみたい。でも……私の心にはちょっともやもやが残ってる。


 ケーキの残りを食べる。端から綺麗に切っていって、生クリームを少しつけて食べる。最後の一かけらも口に放り込む。


 残ったのはイチゴ。お皿の隅に、つやつやとした赤いイチゴ。


 私はそれをフォークに突き刺して、一口で食べた。




――――




 発表会は、とても素敵だった。


 楓ちゃんは薄いピンクの衣装で登場した。かわいいというよりも美人な顔立ちの楓ちゃんにはあまり似合わないかなと思う色だけど、でも実際はよく似合っていた。甘すぎず、子どもっぽすぎず。楓ちゃんはその衣装で堂々と立派に演奏した。


「楓ちゃん、桜の精みたいだったね!」


 帰り道。みんなと一緒に歩きながら私は話す。私と瑞希と沢渡さん、南雲さんにそれから睦月さん。辺りはすっかり暗くなっていた。けれども街は明るい。きらきらした光の中を、みんなで歩く。夜の風が冷たくてでも心地よくて、こんな時間に繁華街を歩いてるなんてめったにないことだから、とても新鮮だ。


 駅に入って、そこで睦月さんたちと別れた。彼女たちは私たちとは反対方向の電車に乗って帰る。正直少しほっとした。睦月さんに対して、まだわだかまりを抱えていたから。


 夜の駅は賑やかだった。ホームにはたくさんの人がいる。仕事帰りの人。制服姿のお兄さんお姉さんたち、塾帰りと思しき子ども。いつもなら私は家の中にいる時間だけど、もうこんなに暗いけど、外はまだざわめきに満ちている。


 電車も混んでいた。ドアの近くに立って、瑞希たちと発表会についておしゃべりする。ふと、会話が途切れた。ドアのガラスの向こうで、通り過ぎ去っていく夜の光景を見ながら、私はぽつんと言った。


「異世界に……行ってみたい?」


 瑞希がちょっと目を丸くする。


「異世界? くまのいる?」

「うん」


 瑞希は笑った。


「ははあ。くまの本来の姿が見たいんだね。奇跡のように美しいのかどうか。私はその話は怪しいと思うなー」

「そうじゃなくて」


 確かにくまの本来の姿も気になるけど。そうじゃなくて……。


 力が欲しいの?


 知りたいの? 魔法少女が何者であるか。


 私は――私はどうなのだろう。本当のところは。


 私が真面目な顔をして黙ったせいか、瑞希も真面目な顔をして黙ってしまった。続きを促さない。沢渡さんはいつもと同じく、もの静かだ。


 電車は私たちを乗せて、ただ走っていく。

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