ハートの女王の城で
大きな身体のまま歩けば、あっという間にハートの女王の城に着いた。
最初から巨大化クッキーを食べておけば良かったと後悔しつつ、城壁を跨いでそのまま城に入ろうとしたら見えない壁のようなものにぶつかった。
少し周囲を歩いて手で触ってみると、どうにも、入れないように魔法がかかっているらしい。
見下ろして辺りを見回せば、すぐ下に門があるようだったので、残り1本だった縮小ジュースを飲んで元のサイズに戻ることにした。
門をくぐれば、目の前に変な動物が2頭、待ち構えていた。
1頭は上半身が鷲、下半身がライオンの、いわゆるグリフォンというやつだ。
もう1頭は角の生えた頭と後ろ脚が白牛で、前足と胴体と甲羅が亀という姿で2本脚で立っている。こっちがおそらく代用ウミガメだろう。
グリフォンは合体している動物がカッコいいし、多少見たことのある動物だからまだいいけど、見慣れぬフォルムの代用ウミガメは大分合成っぽさがあって気持ち悪い。
「来たな、アリスよ! ここまでの道のりで大勢の同胞を卑怯な手で虐殺してきた極悪人め! この儂がいる限り、『お茶会』には進ませぬ!」
威厳のあるしゃがれた低い声で、グリフォンが叫んだ。
「まあ沢山殺したのは否定しねぇけどさ、身内同士での殺し合いの方がよっぽど卑怯な感じだったけど?」
「ぐぬ、それは……」
ジャックの例を思い返して突っ込めば、グリフォンは気まずそうに言葉に詰まった。
「まともに取り合うんじゃねぇよォ、グリフォンの旦那ァ。俺達の仕事はとっととアリスを殺して、あの鍋で『ウミガメのスープ』をこさえることなんだからさァ」
下卑た笑いを浮かべながら、後ろで湯気を立てている黒い大鍋を指して言ったのは代用ウミガメだ。
鍋は五右衛門風呂を二回り大きくしたくらいで、火にかけられて中の液体が沸騰している。
「『ウミガメのスープ』? お前がスープを作るのか?」
代用ウミガメがウミガメを素材にしてスープを作るのもイメージがわかなくて聞き返せば、代用ウミガメは首を振った。
「あァ、違うよォ! ウミガメが作るスープじゃなくて、『ウミガメのスープ』でねェ! こっちじゃ人肉のスープをそう呼ぶのさァ!」
代用ウミガメはケタケタ笑う。
「はあ? なんで人肉のスープがウミガメのスープになるんだよ?」
意味が分からなくて尋ねれば、代用ウミガメはこちらを見下した。
「船が遭難して乗員全員が飢えてた時に、死んだ仲間をスープにして『ウミガメのスープ』だと偽って出したって昔話があるんだよォ。人間は野蛮だねェ、普通はウミガメの代わりに仔牛の肉を使うってのに、同族食いなんてさァ」
やれやれと言いたげに、代用ウミガメが前鰭を肩の高さに上げて広げるので、ちょっと頭にくる。
「言ってくれるじゃねえか、スープの具材の分際で。さっき公爵夫人もトランプ兵を食ってたぞ? あれは野蛮じゃねぇって言うのか?」
「お前さんの目には公爵夫人とトランプ兵が同じ生き物に見えたのかァ? とんだ節穴だァ!」
代用ウミガメに腹を抱えて笑われて、プツンと切れた。
「……決めた、テメェからぶっ殺す!」
大鎌を肩慣らしに回してから両手で構えて、代用ウミガメ目指して走る。
「死ねぇッ!」
大鎌の刃があと少しで届くと思われたその時、スポンとその頭が甲羅に収納された。
さっきまで頭があったところを空振りする大鎌にバランスが崩れそうになり、慌てて体勢を整えつつ跳びずさる。
「それ、どういう身体の仕組みになってんだよ!?」
どう見ても頭は牛なのに、甲羅に頭が納まるのは亀の生態らしく、思わず突っ込みを入れてしまった。
「どうもこうもこういう身体だからねェ。お前さんは自分の手足がどうして動いてるか理屈を知ってるのかァ?」
頭を引っ込めたまま代用ウミガメが言うので、なおさら頭にくる。
「いちいち腹の立つ言い回ししやがって! こうなったら甲羅ごと……ッ!」
胴めがけて振り抜いた大鎌が甲羅に当たり、硬質な金属音を響かせて弾かれた。
「嘘だろ!?」
「
「ンの野郎……!」
甲羅の中から聞こえるくぐもった声に、歯噛みして大鎌を握り締める。
「ほらァ、俺にだけ構ってていいのかァ?」
代用ウミガメの言葉にハッとすれば、大鎌の自動防御システムが発動したようで、振り返って大鎌を振り上げた。
「儂のことも忘れてもらっては困る!」
間一髪、上から羽ばたいて攻撃してきたグリフォンの前足の鷲の爪を刃で防いで、距離を取る。
「おいおい、か弱い女の子相手に二対一とは卑怯なんじゃねえのか、グリフォンさんよぉ!」
嘴と爪の連撃を防ぎつつ、先程途中まで話していたやり取りから感じた石頭そうな気性を思い出して煽った。
「ぐぬ、いや、それは……」
案の定、動きが鈍るので攻勢に転じれば、代用ウミガメが角を向けて4足でこちらに突進してきた。
「旦那ァ、いちいちアリスの言動に踊らされちゃダメですってェ!」
角にぶつからないよう避けたついでにその首を落とそうと鎌を振るったが、またしても甲羅の中に仕舞われてしまった。
「スポスポ引っ込めやがって鬱陶しい……! おいコラ、グリフォン! コイツのやり方も卑怯なんじゃねぇか!?」
「いや、それは、コイツの生態であるからし、て……ッ」
考えつつ律儀に説明しようとして、攻撃が緩んだところを一閃。
「――オウムじゃねぇんだ、お喋りは程々にしといた方が良かったなあ」
グリフォンの首を刎ねた。
「残りはテメェだけだな、代用ウミガメ!」
どさりと地面に落ちるグリフォンを背後に代用ウミガメに対峙する。
「ああもォ! グリフォンの旦那は頭が硬ェんだから、言わんこっちゃねェ! ええい、ままよォ!」
倒れ伏すグリフォンを見て分が悪いと思ったのか、代用ウミガメは首だけでなく手足まで甲羅に引っ込めてしまった。
「こうすりゃァ、手も足も出ねェのはお前さんの方だろォ! 『お茶会』は『皆殺し』にしねェと終わらねェ! お前さんはここで手詰まりさァ!」
くぐもった声で言われて、攻撃の意志はないことを悟る。
大鎌で甲羅に刃が立たないとなれば、もう出来ることは少ない。
「そうだな、大鎌が使えないのは困ったもんだ」
言いながら、私はポケットから紅白のキノコを取り出して半分に割き、白い方を一口で全部食べた。
「まあ、でも」
ぐんぐん大きくなる身体はクッキーの時の1.5倍程の大きさで巨大化が止まる。
「大鎌で首を刎ねるのが早いってだけで、大鎌で殺さなきゃならねえって縛りはねぇんだよなあ」
片手で代用ウミガメを拾い上げながら言った。
「お前さん、一体何をォ!?」
大鎌がある以上、手も足も首も出せずに代用ウミガメは慌てて叫んだ。
「ああ、テメェにお似合いの場所に入れるのさ!」
後ろにあったグラグラと煮立った大鍋へ、代用ウミガメを沈めた。
「ぎゃあああああああっ!」
絶叫して手足を出してバタつく代用ウミガメが這い出ないように、大鎌の口は足を乗せて靴で塞ぐ。
「スープになるのはテメェの方だ!」
なんとか出ようともがく足の裏に感じる衝撃も徐々に弱っていき、念のため衝撃がなくなってから体感10分ほどそのまま塞いでおく。
「まあ、こんなもんか?」
しばらくして足をどけて覗いてみれば、茹った代用ウミガメがスープに浮いていた。
「食べる気は、しねぇなあ」
一応、2頭に手を合わせてから城内に入るべく走った。
城内に入るためにさっき割いた変幻自在キノコの赤い方を食べてドアを潜り、エントランスに入れば、最初に目覚めた部屋とよく似た作りのエントランスだった。
天上には硝子がふんだんに使われた煌びやかなシャンデリアが重々しく垂れ下がり、調度品は品のいいアンティークで揃えられている。ドアの正面奥に大階段があり、入口から階段の上まで赤絨毯が続いていた。
そして、エントランス中央の赤絨毯の上に、赤地に黒の縞模様の長い毛のトラ猫が寝そべっていた。
その猫は耳まで裂けたようなニヤニヤした笑みを浮かべていて、鋭利な歯が並んでいるのが見える。
金色のギョロ目が光り、体長1mはありそうな大きいその猫は、どう考えてもチェシャ猫だった。
「やあ来たかい、アリス」
チェシャ猫は可愛らしさの欠片もないどら声で言い、しっぽをふさりと振った。
「道からはぐれた可哀想なアリス。こんなところに迷い込むなんて」
そう言うなり、ぶにゃあと不細工な欠伸を一つして、チェシャ猫はのっそりと立った。
「勝手に人のことを哀れんでんじゃねぇよドラ猫。私はとっとと『お茶会』を終わらせて、理想の世界で目覚めるんだから、可哀想どころか万々歳だね!」
大鎌をチェシャ猫に突き付けて宣言した。
「ふぅん? じゃあ君は一体、どんな世界で目覚めたいのかい?」
ニヤニヤ笑ったまま尋ねるチェシャ猫の金色の目の中に浮かぶ黒い瞳孔が細まる。
「んなもん、テメェには関係ねぇだろ!」
床を蹴ってチェシャ猫に向かって走り、その首を狙って下から上へ大鎌を振り上げる。
「おおっと、危ない」
にゅるりと身を翻して、チェシャ猫は大鎌を避けた。
そうしてこちらを揶揄うように柔軟なステップで大鎌を避けるチェシャ猫をひたすら追うが、ニヤニヤと笑う口元だけ残してぱっと消えたり、顔だけ変な所から現れたりと、動きが掴めない。
「にゃはは、まあ君がどの世界を選んでもそんなに問題ではないね。それなりの地獄がどこにだって待っているんだから」
階段の手すりの上に顔だけ浮かべたチェシャ猫が生意気なことを言うので、その顔めがけて大鎌を振るった。
「うるっせぇ猫だな!」
しかしチェシャ猫の頭はそれをするりと避けてにんまり笑った。
空振った大鎌が手すりの装飾を切る。
「頭だけしかないのにどうやって首を落とそうって言うんだい? 可哀想なアリス。君はもう理想の世界で目覚めることなんて出来ない! これからはずっとここで無益な追いかけっこを続けるのさ! 遊ぶ時間も、楽しい時間も、友人のための時間も、償う時間もない! にゃははははは!」
耳障りな笑い声と不愉快な言葉にブチ切れそうになるが、その言葉と行動の矛盾にも気づいた。
「ハッタリも大概にしとけ。本当に切れねぇなら、大鎌を避ける必要ねえだろ」
低く告げれば、チェシャ猫は一瞬だけ真顔になってからニヤアッと口元を歪めた。
「絵本で女王が言ってたけな、『頭があるなら切ることが出来る』って! それにこの大鎌は『無い首も斬れる業物』だって白兎のお墨付きだからなあッ!」
攻撃の手を休めず大鎌を振るい続ける。
空振る大鎌が、階段の手すりを、アンティークな調度品を、赤い絨毯を切り裂いていき、エントランスは家具や調度品の残骸で荒れていく。
「にゃははは、例え切れたとしても僕に刃が届かなければ意味がないのに!」
壁際のカウチの背もたれだったものに乗っていたチェシャ猫の首を狙って思いっきり振り上げた勢いで、大鎌が回転しながら上方に飛んで行く。
「にゃははははは! すっぽ抜けるなんて握力がついに落ちてきたのかい? いいザマだね!」
チェシャ猫は、ひらりと後方へ跳んで避け、エントランス中央に着地し、腹を抱えて笑い転げている。
「ああ、どうにもお前を追いかけるのは埒が明かないようだ」
私は壁伝いに反対方向へ移動しながら言った。
今までずっと攻撃し続けていた私が急に距離を取ったので、チェシャ猫は警戒したように動かず、私の方をじっと見据えている。
「だから」
キィンと甲高い音がエントランスの上方で鳴る。
「動けなくすることにしようと思ってな!」
「にゃにッ!?」
投げた大鎌によって切断されたシャンデリアが、派手な音を立ててチェシャ猫の上へ落ちる。
「ぶにゃぁあああああああ!」
シャンデリアを切り落として反対側に落ちてきた大鎌をキャッチして、下敷きになったチェシャ猫の元へ走る。
「――それじゃ、お墨付きが本当か試させてくれよ!」
シャンデリアの下に隠れて、その身体が見えているのかいないのかも分からないが、下から首を掬い上げるように黒い刃を振り上げた。
「ぎにゃぁああああああ!」
盛大な悲鳴と共にその首が飛ぶ。
「へぇ、あの白兎、嘘は吐いてなかったようだな」
転がる首を掴んで、その下に身体がついていないことを触って確認し、死んでいることを確かめる。
「悪いが、祟ってくれるなよ」
見開かれたままだった金色の目を閉じさせて、シャンデリアの傍に置き、私は両手を合わせた。
「さて。これで残りは4体だな」
思い出しながら軽く伸びをしてどこに行けばいいか周りを見回すが、部屋の左右に扉はなく、どうにも正面の大階段しか選択肢がないようだ。
「あと少しだ……これさえ終われば、理想の世界で目覚められる」
自分を奮い立たせるように呟いた。
チェシャ猫に訊かれた私にとっての『理想の世界』とは、どんなものだろう。
実の両親が健在で、親の借金もなくて、私は捨てられていなくて、祖父母とも仲が良くて、周りから蔑まれることもない、そんな世界を高望みしてもいいのだろうか。
「いや、皆殺しにしてから考えよう」
首を横に振って気を引き締め、私は大階段を駆け上がった。
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