ようこそ黄昏の国へ
気づけば、硬くて冷たい床に寝そべっていた。
「いっ、てて……」
とりあず身体を起こせば、床で寝ていたらしい身体の軋みと痛みはあるけど、バイクで事故ったとは思えない程、軽度のものだった。
「は? 何これ……?」
しかも、痛みのほとんどない身体を見下ろして唖然とする。
着慣れたグレーの単車服ではなく、スカートの膨らんだ黒いフリル満載の青い膝上丈ワンピースに白いエプロン。足は白と黒の縞模様のニーハイソックス。黒いベルト付きで爪先の丸いつやつやしたファンシーな革靴。
昔絵本で読んだ、不思議の国のアリスの服をダークにしたような服に身を包んでいて、さらによく分からない状況に頭が痛くなる。
頭に手をやれば、ご丁寧に黒いリボンのカチューシャまでつけていた。
こんなゴスロリみたいな服、自分では絶対に着ない。
「なんだこれ、私、死んだ……?」
訳の分からない状況に、誰に言うでもなく呟いて辺りを見回せば、古い洋館のエントランスのようだった。
天国に行ける身の上ではないと思うけど、地獄にしては随分と洒落ている。
天井から下がった豪奢なシャンデリア、黒と白のチェス盤のような模様の床、壁沿いにはアンティークな家具の数々、目の前には赤絨毯の敷かれた大きな階段、後ろを振り向けば玄関と思われる重厚な扉があった。
状況を確認しようと立ち上がって、まず扉の方に向かう。
古めかしい装飾が施されたダークブラウンの扉は押して引いてもびくともしなかった。
アンティークな家具が置かれた壁沿いを歩いていくと、死神のイラストでしか見たことのないような刃渡り1mはある大きな鎌が壁に立て掛けてあった。
禍々しいほどに黒い刃を支える白と深紅の美しいストライプの柄の先端には、昔アニメで見た魔法少女のステッキのような赤いハート型の宝石とリボンの装飾がついていた。
エントランスの装飾類に不釣り合いなそれに目を惹かれてよく見れば、何か刃に文字が書いてあった。
「『
赤黒い文字でデカデカと書かれた英語に不穏さを感じながら、その文字に触れる。
「ようこそアリス! 黄昏の国へ!」
その時、突然、甲高い声が聞こえて振り向いた。
見れば、灰色の燕尾服を着て片眼鏡をかけ、自分の身体の半分はありそうなバカでかい金色の懐中時計をショルダーバックみたいに肩から掛けた白兎が、二足歩行で階段を下りてこちらに向かってくる。
あまりの奇怪な事態に警戒して返事もせずにその白兎を睨めば、白兎は困ったように小首を傾げてから、気を取り直したように再びポテポテと歩いてきた。
そして私の近くで立ち止まり、両手を広げてから大仰にお辞儀してみせる。
「ようこそアリス! 黄昏の国へ!」
そしてさっきより一段と明るい声でもう一度同じセリフを言った。
ただでさえ訳の分からない状況なので、この程度もう驚きもしないが、やたら可愛らしい姿形や声、演技がかった挙動がどうにも鼻につく。
「あのぉ……聞こえておいでです? 何か反応していただかないことには、わたくしめも困ってしまいまして……」
ノーリアクションの私に、白兎は困ったように顔を上げ、揉み手して愛想笑いを浮かべた。
「私、『アリス』じゃなくて『
とりあえず礼儀のなっていない白兎の襟首を掴んで持ち上げて視線を合わせ、低く凄めば、白兎は足をじたばたさせながら、ひゃあっと小さく悲鳴を上げた。
「お、お許しを! 『アリス』というのはお名前ではなくて、役割のことでして……!」
「役割ぃ?」
聞き返せば、白兎は必死の形相で頷いた。
「ここは生と死の瀬戸際にある『黄昏の国』! 事故に遭ったあなたの魂は、今、生と死の間を彷徨っています。あなたの彷徨う魂は、幸運にも、『アリス』としてここに招かれました!」
白兎は凄いことのように嬉々として語る。
「全く分からないんだけど、それは何がどう幸運なわけ?」
掴んだまま軽く揺さぶって聞けば、白兎はアワアワと慌てる。
「この国で開かれている『お茶会』を終わらせることが出来れば、あなたは、あなたの理想とする世界で目覚めることができるのです!」
早口で答える白兎に首を傾げた。
「理想とする世界?」
「ええ! この世には無数の
笑顔で宣う無駄に愛くるしい顔の白兎に胡散臭さしか感じないが、異常事態の中で、私には現状コイツの説明しかあてにするものがない。
まあ、確かに話の辻褄は合う。
「その話、本当だろうね?」
両手でさらに強めに揺さぶれば、白兎は首がもげそうなほど頷いた。
「誓って本当の話です! この首にかけてでも!」
両手を上げて答える白兎をしばらく睨んでから、息を吐いた。
「……分かった。嘘だったらただじゃおかないからね」
「はい! それはもう!」
頷く白兎をようやく床に下ろしてやる。
白兎は小さく身震いしてから、燕尾服の乱れを整えた。
もし、理想とする世界で目覚められるとしたら、こんなクソみたいな状況から抜け出せるのか。
本当の父親が生きていたら。
あのアマが私ごと愛してくれるような男を選んでいたら。
本当に両親が亡くなっていて祖父母に引き取られたのだったら。
私がもっとまっとうに生きていたかもしれない、そんな絵空事の夢物語が、叶うかもしれない?
それは、何事にも代えがたい、甘い誘惑だった。
「で、その『お茶会』とやらを終わらせるにはどうすればいいわけ? 不思議の国のアリスだと、『お茶会』っていつまでも終わらないはずだけど」
昔読んだ絵本を思い出して尋ねれば、白兎はぴょこんと跳ねてから愛らしく笑った。
「簡単なことです」
白兎は、そう言って両手を広げる。
「参加者を皆殺しにしてください!」
ただ可愛いだけの白兎だと思っていたら、その姿とは正反対の狂気的な言葉が飛び出してきて、一気に場の空気が冷えた気がする。
「皆殺し、って」
思わず聞き返せば、白兎はにっこり笑った。
「その言葉の通りです。全員を殺してください。その大鎌で首を刎ねるのが早いと思いますよ」
さっきと全く変わらない愛くるしい声で、白兎は説明する。
「いや、いくらここが現実じゃないとしても、そんな、殺すなんて……」
私が言い淀めば、白兎は赤い目をパチクリしてから首を傾げた。
「殺さないと、殺されてしまいますよ?」
小首を傾げる可愛い仕草に不似合いな前提が出されて、私はブチ切れる。
「はあ!? 何だよそれ!? そう言うのは先に言え! 詳しく説明しろ!」
両手でまた白兎の襟首を掴んで揺さぶった。
「ひゃわわわ、す、すみましぇん! 参加者はですね、皆、終わらない『お茶会』のせいで気が狂ってきているんです。そのせいで、『お茶会』を止めようとする者を殺そうとしてきます。だから、彼等を止めるには殺すしかないんですよ。哀れな彼等を解放すると思って何卒!」
白兎がまたしても早口で言うので、閉口してしまった。
「それ、私が殺されたらどうなるわけ?」
嫌な予感に尋ねれば、白兎は口を開く。
「元の世界で死んでしまいます」
「まあ、そんなとこだろうとは思ったけど」
きっぱりと答える白兎に、深い溜息を吐いた。
何もしなければ自分が殺されるなら、反撃して殺したとしても正当防衛だ。
しかもここは現実世界ではないときた。
腹を括ってから白兎を床に下ろしてやる。
「分かった、死ぬのはごめんだ。それが参加者の救いになるっていうなら、やってやるよ」
下ろした白兎に目線を合わせてしゃがみ、頭を撫でて言えば、白兎はパッと顔を明るくした。
「ありがとうございます! わたくしめはこの世界の法則上、『お茶会』にたどり着けない案内役なのです。宜しくお願いします、有子様」
白兎はその小さい両手で私の手を握って頼んでくる。
「分かった。ええと、アリスで『お茶会』って言うと、帽子屋・眠りネズミ・三月兎だね? そいつらを殺せばいいわけ?」
昔読んだ絵本を思い出して聞けば、白兎は首を振った。
「その3名に加えて、芋虫・トカゲのビル・ハートのジャック・公爵夫人・代用ウミガメ・グリフォン・チェシャ猫・ハートの女王に、トランプ兵もです」
「主要キャラほぼオールキャストじゃねぇか!」
数えながら答える白兎に、全力で突っ込んだ。
「ええ、終わらない『お茶会』の狂気に引き寄せられて、徐々に増えてしまってこんなことに」
苦笑する白兎に、頭を抱えた。
「で、そいつらはどこにいるわけ?」
白兎のモフモフの毛並みが心地よくてぐりぐり撫でながら聞けば、白兎はくすぐったそうにしながら口を開いた。
「この館を出て真っ直ぐ道なりに歩くと、ハートの女王の城があります。その城と、そこまでの道中で皆さん好き勝手にやっています」
私の知っているアリスとは話の筋が大分違っているし、この館の外に出るなんてどうすればいいのだろう。
「あの扉、開かなかったんだけど、どうすれば出られるわけ?」
さっきびくともしなかった扉を指して尋ねれば、白兎は大鎌の近くの足元を指さした。
「それは、こちらから出るのです」
見れば、そこには10cm四方しかなさそうな小さな扉があった。
「んなもんどうやって……」
「それはこちらをお使いください」
肩にかけた大きな懐中時計をパカッと開けば、中からいくつか物が落ちてきた。
「ショルダーバッグみたいだと思ったけど、それマジで鞄代わりにしてるんだな……」
思わず突っ込めば、白兎は楽しそうに笑った。
「はい! 大変便利ですよ! さて、便利ついでに幾つか使えるグッズをお渡ししておきます」
白兎は床に落ちたものを拾い上げて、私に渡してきた。
「まずこちらが『縮小ジュース』! 一瓶飲むことで身体が小さくなる葡萄味のジュースです」
白兎から受け取った『Drink me!』と書かれたガラスの小瓶の中には、ワインのような紫色の液体が入っている。
「こちらは『巨大化クッキー』! 一枚食べると身体が大きくなるプレーンクッキーです」
『Eat me!』と書かれた紙で包まれたクッキーは、仄かに甘い匂いがした。
「そしてこれが『変幻自在キノコ』! 赤い方から食べると身体が小さく、反対側の白い方から食べると身体が大きくなります。ジュースやクッキーより細かい調整が効きます。生食用ですし、味は焼いた椎茸に近いのでご心配なく」
半分が赤、半分が白で、全体に黒い水玉模様の入った毒々しいカラーリングのキノコが生食でいけるなんてちょっと信じがたいが、まあ現実ではないのだし、それもアリなのだろう。
「どれもサイズが変化する時は、身体に触れているもの全てが同じ比率で変化しますのでご安心ください」
どこまでも都合のいい設定の説明までしてくれた。
アリスっぽいファンタジーグッズは各3つずつ渡されたので、エプロンの前に着いた大きなチャックつきのポケットに仕舞う。
「なるほど、そしたらこの縮小ジュースを飲んでここから出ればいいわけだね?」
「その通りです。ではそちらの大鎌をお持ちください」
「でも、こんな大きな得物、私に扱えるかどうか……ワンチャン素手の方が早いかもしれないんだけど」
白兎に促されて、壁の大鎌を手に取れば、その大きさに見合わない軽さに目を見開いた。
「何これ、すげぇ軽い」
あまりの軽さに驚いて、片手で振り回しながら白兎に言う。
元々、喧嘩の際に適当な角材や相手から奪ったバットを振り回すことがあったから、長物はまあまあ扱い慣れている。
どうしても男に比べて膂力の足りない女としては、リーチの長さを有利に使いたいものだった。
両手で持って刎ねる動きをイメージして振れば、信じられない程思い通りの軌跡を描いた。
「いやあ、お見事! かつて女王のために作られた、軽く丈夫で切れ味の落ちない首刎ね用の最高級大鎌です。なんと自動防衛システムの魔法付き! 『無い首も切れる』と言われた業物でしたが、今は女王がお茶会に取り憑かれて、首を刎ねることもなくなってしまわれたので、大鎌も喜んでいることでしょう」
白兎はニコニコして言う。
「はあ、要はこれもファンタジーグッズなわけね。ま、いい感じだから使わせてもらうよ」
二、三回振ってから肩に担いで答えた。
「ややっ、こんなに頼もしいアリスは初めてです。ご健闘をお祈りしています!」
手を叩いてぴょんぴょん跳ねながら白兎は言った。
「じゃあ、約束忘れんなよ。私が『お茶会』を終わらせたら、理想の世界で目覚めさせるってやつ」
「はい、もちろん! 耳を長くしてお待ちしております!」
「首じゃなくて?」
「兎的にはこれで良いのです」
胸を張る白兎に吹きだして、私は白兎の頭を撫でた。
「おう、じゃあ行ってくるわ」
縮小ジュースのコルクを抜いて口に運んだ。
一息に飲み干せば、言われた通り濃いめの葡萄ジュースの味がする。
少し眩暈を感じたかと思うと、みるみるうちに身体が縮んでいった。
10秒も経たないうちに、私は10cm四方の扉をくぐれるほどの小さな体になっていた。
「お身体の調子はどうですか?」
「ああ、特に問題ない」
先程片手で持ちあげていた白兎の顔を遥か頭上に見上げて答えた。
言われた通り、大鎌も服も、そのままの比率で小さくなっている。
「それじゃ、また後で」
そう言って小さな扉を開けて外に出れば、後ろで白兎が目一杯、手を振っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます