第2話 手が残っていてよかった
「でもアレですね、三之助さんが三男でよかったですね。私は三之助さんとでないと、結婚してもこんなに笑っては暮らせませんでしたから」
タツがほうじ茶をすすって、幸せそうに目尻を下げて笑う。
当時、恋愛結婚などする人の方が少なかったのだろう。決められた人と結婚していく友達がいる中で、三之助とタツは恋愛結婚で結ばれた数少ない夫婦なのだ。
2人が出会い、お互いに好きだと自覚した頃は、相手が戦争で命を失わなくて本当によかったと、よく泣いた。
命だけではない。こうして5体満足に生まれて、戦争でも失わなかったのは奇跡に近いのかもしれない。
タツは、
「私に両手が残っていてよかったです。三之助さんに、ご飯を作って差し上げられますからねぇ」
と口癖のように言う。
毎年夏になると、嫌でも終戦の日のことを思い出す。三之助が必ず、一太郎のことを話す日。
三之助はいつも、
「戦争があったのはとても残念なことだけれども、なかったら、こうして毎年兄さんの話をすることもなかっただろうねぇ。まだ生きていたかもわからないし、毎年思い出せるからよかった、と思うようにしているよ」
と言う。
──人は生命を失った時と、忘れられた時に、合計2回死ぬ。
三之助もタツも、そのことは身に沁みてわかる。戦争で亡くなった人のことは、思い出さないことはないから、2回目の死は子孫がこの世を去るまで訪れない、というのが、2人の考えだった。
だから、子や孫にも、一太郎の話は聞かせていた。
「私達、あと何年、一緒にいられるんでしょうかねぇ……」
「よくまぁずっと一緒にやってきたなぁ」
三之助がそう言って笑うと、タツは決まって
「お互い様ですよ」
と笑った。
三之助とタツは、身内から見ても近所の人から見ても、とても仲のいい老夫婦に見えた。
この年齢で、天気のいい日に手を繋いで散歩をしている夫婦は、なかなか見かけない。
2人の時間の流れは、とてもゆっくりだった。
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