第4話「乗客たちは不安と共に」

 惑星センテナリオの重力圏を抜け、マルティニーク行きのジャンプポイントJPに向かっている。

 待ち伏せていた武装商船は追跡を開始するものの、加速性能の差でグングン引き離している。


 今のところ、針路はマルティニーク行きJPだけではなく、ゴルド行き、ヴァンダイク行きのJPにも向かえるため、敵も俺がどこに行こうとしているのか迷っているはずだ。


「〇・四光速まで速度を上げて一気に引き離すぞ」


 星系内の最大巡航速度は〇・二光速に制限されている。これは星間物質との衝突によって防御スクリーンが過負荷になることを防止するためだ。

 しかし、俺のドランカード酔っ払い号は防御スクリーンの能力を通常のスループ艦の倍に引き上げてあり、〇・四光速でも何とか飛べる。


 これだけの速度で飛んでも、二百光分先のJPには五時間掛かる。

 敵の姿もないので、お客さんの顔を見に行くことにした。


「着替えてから客の顔を見てくる」


 クルーのジョニーとヘネシー、そして最も信頼できる人工知能AIのドリーにそう言って操縦室コクピットを出る。


 センテナリオの首都マイヤーズでビジネスマンに成りすましていたから、未だにダークブルーのビジネススーツを着ていたのだ。同じように黒のスーツを着ている砲手のジョニーもコクピットを出てきた。


 船長室キャプテンズキャビンに入り、いつも通りのダークグレーの簡易宇宙服スペーススーツに着替える。

 このスペーススーツは特注品だ。宙兵隊の装甲服ほどではないが、防弾仕様になっているし、他にもいろいろと仕掛けが隠してある。


 船長室を出た後、客室キャビンに向かうが、途中でシェリーとすれ違った。既にスペーススーツに着替えており、コクピットに向かうところだったようだ。


「二人の様子はどうだ?」


「奥さんの方は落ち着いているわ。娘の方は少しパニックになっているけど、問題ないと思う」


 彼女と別れ、キャビンのドアにあるインターホンを鳴らす。


「船長のジャック・トレードだ。話がしたいんだが」


 十秒ほどでスライドドアがシュッという音と共に開く。


「何か御用でしょうか?」と言って母親であるブレンダ・ブキャナンが現れた。その表情には僅かに警戒の色が見える。


 相手がマフィアとはいえ、いきなり戦闘に持ち込むようなならず者だと思ったのだろう。まあ、ある意味間違ってはいない。


「今後のことの相談だ。娘さんがいない方がよければ、そこのラウンジで話すこともできるが」


 顎で右後ろを示す。

 ラウンジと言ったが、食堂と言った方がいいだろう。六人掛けのテーブルと、ジョニーたちがいつも酒を飲んでいるソファとローテーブルが置いてあるだけだからだ。


「いえ、こちらへどうぞ」と言って中に招き入れられる。


 この船の乗客用の客室は二つあり、一部屋で最大四人まで収容できる。といっても壁掛け式の二段ベッドが二つと作りつけのテーブルと椅子が二つあるだけだ。シャワーとトイレは共用だ。


 勧められるまま椅子に座るが、目の前に美人がいるとやはり心臓が高鳴る。


 彼女も俺と同じグレーのスペーススーツを着ているのだが、モデルのようなすらりとしたスタイルながらも、女性らしい胸と腰の曲線が艶かしく、とても十三歳の娘がいるとは思えない。

 しかし、今はここ一時間ほどの目まぐるしい展開に眉間にしわを寄せている。


 娘のローズも同じようにスペーススーツに着替えているが、ちょうどいいサイズが見つからなかったのか、ぶかぶかで着ぐるみを着ているように見える。

 更に連れてきた猫型の愛玩動物型ロボットキャニットを抱いており、その愛らしい感じに思わず笑みが零れた。


 俺の表情が気に入らなかったのか、口をとがらせている。

 ブレンダに注意されるが、思ったより落ち着いていた。彼女はそのままベッドに腰を掛けて俺の話を聞くようだ。


「俺が受けている指示はハイパーゲートのある星系に向かえということだけだ。詳細はブレンダ・ブキャナンに確認しろとも聞いている。目的地はバルバドスでいいんだな?」


「はい。バルバドス星系のゲート管理局まで連れていっていただければ、夫が手配した帝国惑星開発公社ジプデックの関係者と接触できるはずです。その方から報酬の支払いがあると聞いています」


 ここまでは予想通りだ。


「期限はあるのか? 他に制限は?」


「期限は聞いていません。娘と私を確実に連れていっていただければ、それ以外の制約はないはずです」


 思ったより条件がいい。

 こういった依頼の場合、期限が切られていたり、日にちを指定されたりすることが多い。それを守れないとペナルティとして減額されることがある。


「了解した。では、こちらから伝えることだが、まず俺の指示には絶対に従ってもらう。これが守れないようなら契約を破棄して、次の星系で放り出す」


「そんなの横暴よ!」とローズが抗議するが、ブレンダがそれを制して「分かっています。船長の指示には従います」と頭を下げる。


「助かるよ、奥さん。この船の中でのことだが、困ったことがあったら、船の人工知能AIであるドリーを呼んでくれればいい……」


 そこで上を向き、「ドリー、聞こえているな」と声を掛ける。


『はい、船長キャプテン


「こうやって呼び出せば、声に反応して用件を聞いてくれる。もちろん、プライバシーは守るつもりだから安心してくれていい。注意事項だが……」


 その後、船内での注意事項を伝えてから、本題に入っていく。


「……で、ここからが本題だ」


 そこでブレンダが表情を引き締め、居住まいを正す。


「あんたたちを追っているのは辺境フロンティアマフィアと呼ばれている連中、具体的にはロナルド・リコが率いるリコ・ファミリーだ。こいつらはカリブ宙域全体に勢力を広げている厄介な奴らで、今後も仕掛けてくる可能性が高い」


 予想していたのか、リコの名前を聞いても驚きの表情はなかった。


「できる限りのことをする。ただ、思ったより時間が掛かるかもしれないことだけは覚悟しておいてくれ」


「分かりました。すべては船長キャプテンにお任せします」


「ああ、よろしく頼む。それと、俺のことはジャックと呼んでくれ。キャプテンなんて呼ぶ奴はAIかアンドロイドだけだからな」


 彼女の表情が緩む。


「分かりました、ジャック。では、私のことも奥さんではなく、ブレンダと呼んでください」


 そう言って右手を差し出してきた。

 その柔らかい手を取りながら、


「まあ、いろいろと言ったが、うまくいけば二週間ほどでバルバドスに着くさ」


 ちらりと横を見ると、ローズが睨んでいた。母親に手を出すなと言いたいのだろう。


「安心しろ。俺たちは仕事ビジネス遊びプライベートをきちんとわきまえられるプロだ。当然、客に手を出すようなことはしない」


 そこでニヤリと笑い、


「それにうちのクルーはみんな、子供に興味はないから安心していい」


 俺の言葉を聞いて怒ったのか、枕を投げてきた。


「それだけ元気があれば充分だ。子供は元気が一番だ。ハハハ!」


 それだけ言うとキャビンを出ていく。

 子供には興味はないが、同年代のブレンダには魅力を感じている。ただ、ビジネスとプライベートを混同するほどじゃない。


■■■


 ジャックが去った後、ローズは母親と今後のことを話し始めた。


「大丈夫かな。思ったより小さい船みたいだけど」


 ブレンダは表情を緩ませ、


「大丈夫よ。ロバートが言っていたけど、“何でも屋のジャック”は報酬以上の仕事をするって有名だそうよ。だから安心しなさい」


「そう。お父さんがそう言っていたなら信じるわ。でも、あの人、感じが悪いね」


「あらそうかしら? 荒くれ者だと思っていたけど、結構紳士的だったわ。そう思わない?」


 ブレンダはローズが何となくジャックを気にしていると感じ、からかうような口調だった。もちろん、そこには娘がこの状況に戸惑っていることへの気遣いも含まれている。


「そんなことないと思うわ! 私を放り投げたのよ。運ぶだけの物としか思っていないわ」


 プンプンという擬音が出そうなほど赤い顔をして怒っている。

 ブレンダは「あらあら」というものの、内心では娘がいつも通りにしていることに安堵していた。


■■■


 彼女たちが歓楽街のパブに隠れたのは二日前だった。


「君たちを誘拐しようとしている奴らがいる。この宙域にいては危険だから君の実家に戻ってほしい」


 突然、夫であるロバートに実家のある帝都アスタロトに向かうよう言われ、困惑する。


「危険はないと聞いていたのだけど、どういうことなの?」


「私の仕事は知っているだろう? この星を効率よく開発するために大きな金が動く。当然、そこには利権が生まれるんだ。そして、それを食い物にしようとする者たちがいる……」


 彼女も何となく状況を理解していた。

 ボディガードが常時付くようになり、娘が通う学校にも治安部隊が派遣されている。それだけではなく、自分たちが住む高級住宅街でも傷害事件が多発し、治安の悪化は身を持って感じていた。


「あなたは大丈夫なの?」


「私は大丈夫だ。さすがに公社の支社長に手を出せば、帝国の威信に関わってくる。そうなれば軍が徹底的に排除に掛かるはずだ。奴らもそこまで馬鹿じゃない」


 自信有り気に言い切られるとそれ以上何も言えなくなった。


「今は時間がないんだ。移動の手配はしておくから、すぐに身を隠してほしい」


「軍が来てくれるのかしら?」


「いや、今回は時間がないんだ。公社が用意した船に乗ってほしい」


 彼女は僅かに違和感を持った。いくら切迫しているとはいえ、どこかに隠れて軍のふねを待った方が安全なはずだ。


「信用できるの? 辺境艦隊に依頼した方が確実だと思うのだけど」


「理由は言えないが、今回は軍に頼めないし、とにかく時間がないんだ。私を信じてくれ」


 信じてくれと言って頭を下げられては何も言えなくなる。そこで頭を切り替えた。


「分かったわ。私がしなければいけないことを教えて頂戴」


 彼女の言葉にロバートは安堵の表情を見せたが、その表情に何となく利己的な雰囲気を感じていた。


(こんな表情をする人だったかしら? 私がナーバスになっているだけよね……)


 そのことを無理やり頭から締め出す。


「私の言う場所に行って迎えが来るのを待っていてほしい。今のところ、ジャック・トレードという人物か、その部下が迎えにいくことになっている……」


 その後、バルバドス星系へ行ってからの行動や資金についての説明を受ける。


「一応、ここに二百万クレジット入っている」と言って巨大銀行メガバンクのマークが入った記憶デバイスが手渡される。


「二百万も……うちにはそんな資産はないわ。どういうことなの?」


「公社から借りたものだ。私が帰れなくなった場合に困らないようにね。もちろん、私の退職金と生命保険が担保になっているから、君に負担が掛かることはないよ」


 二百万クレジットといえば、小さな船が買えるほどの額だ。首都でも豪邸と呼ばれる家が手に入るほどで、帝国政府の外郭団体の幹部クラスとはいえ、容易に準備できる金額ではない。


 銀行の記憶デバイスは外部に設けられた口座のようなものだ。超光速通信が実現していないため、星系を跨ぐような金銭の移動はリアルタイムでの管理ができない。そのため、預金口座情報を持ち歩く必要がある。


 その方法として考え出されたのが、厳重にプロテクトされた記憶デバイスを使う方法だ。記憶デバイスはそれだけを持っていても現金化や送金はできず、名義人の生体情報と定期的に連絡船で運ばれる口座情報とを比較して問題ない場合に初めて引き出すことができる。


 理論的には名義人以外が引き出すことはできないとされているが、実際には不正に引き出す方法は何通りか存在している。そのため、多額の預金が入った記憶デバイスは犯罪者のターゲットとなる可能性があった。


 そこで彼女は不安を覚えた。


「そのトレードという人は信用できるの? こんな金額のデバイスを持っていると分かったら……」


「大丈夫だ。直接会ったことがあるわけじゃないが、元軍人で非合法の仕事は一切しない硬い男だそうだ。それにその男を推薦した者は更に信用できる。安心していい」


「そう……」と言って頷くものの、不安は残っていた。それでもこの状況では信じるしかないと腹を括る。


 そんな彼女に満足したのか、ロバートは「ローズには僕から説明しておく。君はすぐに出発の準備を頼む」と言って部屋を出ていった。


 まだいろいろと聞きたいことはあったが、時間が切迫しているという話に頷かざるを得なかった。


 そして、娘と共に官舎を出た。


 すぐにモルガンと名乗る男が現れ、二人は歓楽街のはずれにある酒場パブに連れていかれた。


 それから二日は饐えた臭いのするパブの二階に息を潜めていた。

 夫から自分の個人用情報端末PDAの使用を禁じられており、その代わりに渡された使い捨てのPDAはあったものの、何重にも安全対策がなされているのか、必要なサイトにアクセスすることができなかった。

 また、パブの主人も必要最低限のことしか話さず、ほとんど情報を手に入れられなかった。


 そして、二時間ほど前、パブの主人が突然現れ、「迎えが来る。準備しておけ」と伝えてきた。

 それからは目まぐるしい展開であまり覚えていない。


(これからどうなるのかしら? 話した感じだとジャックは信用できそうだけど、私に人を見る目があるとは思えない。でも、ここまで来て疑っても……)


 彼女の心は大きく揺れていた。


■■■


 娘のローズは母親が思っているほど平静だったわけではなかった。

 それは当然だろう。僅か十三歳の少女が怪しげな隠れ家で息を潜めていた後、いきなり銃撃戦を経験したのだ。

 それでも母親を心配させないように気丈に振る舞っている。


(これからどうなるんだろう……)


 ベッドに寝転がり、ペットである猫型の愛玩動物型ロボットキャニットのタウザーを触りながら漠然と考えていた。


(怖い……こんなところにいたくない……学校に行きたいよ……)


 悲観的ネガティブな考えがグルグルと頭の中を周る。


(この船の人たちは信用できるのかしら? 自分たちが危なくなったら、私たちを放り出して……)


 そこで船長のジャックの顔を思い出す。


(あの店から逃げる時には乱暴だったけど、その後はずっと冷静だったし、なぜか大丈夫って思えたわ。私がかんしゃくを起こして怒っても笑っていた……さっきもそう。私が落ち込んでいるからわざとあんなことを言ったんだと思う……意外にいい人なのかもしれないわ……)


 強面で無口なジョニーと自信たっぷりで話すシェリーには警戒心を抱いていたが、話を聞いてくれたジャックには心を開きつつあった。

 もし、学のあるヘネシーが彼女の心の中を見たら、“吊り橋効果”だと言ったかもしれない。

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