秋 芥川龍之介
ノエル
妹の幸せを自分の寂寥と引き換えにするために……。
ああ、わたしは何ということをしてしまったのだろう。可哀想な妹……。苦し紛れに、夢中になって、自分の我を押し通してしまったわたし……。
あのとき、なぜわたしは妹に彼を譲ったのだろう。三人デートをしているとき、いつも一人ぽっちを感じさせていたことの罪滅ぼしなのか、それとも、彼を想う彼女の心根のいじらしさがそうさせたのか。
いや、そうではない。わたしは彼に小説家になってほしかったのだ。一家に二人も小説家は要らない。どちらかが支えなければならないのだ。それには、作家志望のわたしがいては邪魔になる。支え手は妹こそが相応しい。結果がそれを証明しているではないか。彼は小説家になった。わたしの目論見は見事、成功したのだ。
しかし、彼女はどうだろう。彼女は、彼がいまだわたしを心の底で愛していることを知っている。知っているからこそ、その苦しみに涙するのだ。ああ、可哀想な妹……。
わたしの罪は、彼女のためにわたしが犠牲になったと思わせたことだ。それゆえに彼女は自分の夫とわたしの関係を疑っている。もちろん、肉体関係などというのではない。そのプラトニックな、それでいてどこか官能的な風合いの間柄にだけ存する愛の睦み合いなのだ。そこには、一点とも知れぬ疚しさがある。
わたしはそれに耐えられない。彼の思いが妹にあるのではなく、私にあることを。そして、わたしがまっとうな物書きになりそうにないことを、彼女は知っているのだ。卵を取り上げられたわたしが、一歩も踏み出せぬことを彼女は知っている。
ああ、わたしは、だからこそ、彼と出会うことをしなかった。
あと少しで声がかけられる距離に近づいたにも関わらず、わたしは相手を呼ぶ声を押し殺した。妹の幸せを自分の寂寥と引き換えにするために。作家にはなれずとも、わたしはこのままでいい、彼女が幸せでありさえすればいい、と……。
出典 https://www.honzuki.jp/book/229411/review/256597/
秋 芥川龍之介 ノエル @noelhymn
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