8-7
翌朝はいつも通りいい天気だった。
着替えて食堂に下りていくと、すでに座っていた紗月が「おはよう」とわずかに顔を上げた。室内には明るい光が満ちている。調理場から聞こえていた音がやみ、小さな足音とともにデイが朝食をのせたお盆を持って出てきた。
紗月がふと食堂の中を見回した。
「――ほかの人は来なかったな」
アンドリュー・エイブスは今何をしているだろう。元の生活に戻って変わりなく暮らしているのだろうか。銃声や火の粉や――空から降る灰を浴びながら誰かと戦っているのだろうか。
紗月は黙々とスプーンを動かしている。
食べ終わる頃に再びデイが出てきた。
「智偉様、九時に王宮から迎えの馬車がまいります。支度をお手伝いしますので、お食事が終わりましたらお声かけください」
「……うん、今食べ終わったところだよ。ごちそうさまでした」
口をふいて立ちあがる。壁の時計は八時を指していた。
薄紙に包まれた高校の制服と靴、腕時計などを受けとり、智偉は一人で部屋に入った。シャツを脱ぎ、鏡に映った左腕の傷に祈るような気持ちでふれる。着替えてドアを開けると「失礼します」とデイが丁寧に一礼して部屋に足を踏み入れた。
アトラスのものは地球に持ち帰れないとデイは今一度断り、ポケットの中などに何も入っていないか改めて尋ねた。Yシャツの胸ポケットとズボンのすべてのポケットに手を入れて頷く。
「智偉様がお使いになっていたものはすべて処分してしまってよろしいでしょうか」
「あ、これ、ドネルにあげたいんだけどいいかな。見送りに来てくれるって言ってたんだ」と智偉は机の上のノートをとりあげた。
「かしこまりました。では……あとのものは」
部屋の中を見回し、窓辺のランプを手にとる。朝の陽射しを浴び、ガラス製のランプはほんのり温かくなっていた。
「智偉様、よろしければ、それは私に頂けないでしょうか」
顔を上げるとデイが重ねた両手をわずかに握りしめた。
「おそらくキトリは一度も使っていないと思うんです。せっかく智偉様がお買いになったものですし……あの、もちろん誰かにお譲りになるご予定がなければ、ですが」
「いや、特に考えてなかったし、僕こそデイがもらってくれるなら嬉しいけど」
デイが自分からそんなことを言うのは初めてだった。面食らっている間にデイはそっと智偉の手からランプをとり、「ありがとうございます」と頭をさげた。
玄関を出るとちょうどドノヴァンが坂を登ってきた。
「紗月!」
大きく右手を振ったドノヴァンはTシャツではなくアイロンがかかった白いYシャツを着ていた。下はいつもと同じジーンズだが、しめている紺色のネクタイのためかとても大人びて見える。「今日は特別な日だからさ、ちょっとおしゃれしてみた。かっこいい?」とドノヴァンは片目をつぶり、はい、と背中に隠していた左手を出した。
「え」
「あげる」
宿泊所のまわりやバス停に咲いている白い花が四、五本、赤いリボンで束ねられている。
ただでさえどきどきしていたのに加え、一気に顔が熱くなる。あ、ありがと、ともぞもぞ受けとって花びらに目を落とすと、「ね、一本ちょうだい」と手のひらがこちらを向いた。
「え、あ、はい……えっと、待ってて、花瓶に」
紗月は一本抜いてドノヴァンに渡し、宿泊所の玄関を振り返った。
瞬間、ぐい、と肩を引きよせられ、唇がぶつかった。
心臓がはねあがり、着地するまでの数秒で顔の熱が全身を駆けぬけ――「これも一緒に入れてあげて」と今渡したばかりの一本をにっこり差しだされなんとか受けとる。手と足を同時に出しそうになりながら玄関に入ったところへ、智偉とデイが階段を下りてきた。
「あれ、どうかした?」
「えっ? あ、な、なんでもない」
「それは?」
「えっ? あ、あの、今もらって……ドノヴァンに」
「……へえ」
紗月が握りしめている花束を眺め、「これがイケメンのやり方なんだなあ」としみじみつぶやいて智偉は出ていった。デイが二階にとって返し、備品庫から花瓶を持ってくる。
「紗月様、ちょっと失礼します」
調理場で花瓶に水を入れているとデイが後ろにまわった。何かがきゅっと髪に結ばれ、振り返るとデイがにっこりした。
「紗月様、よくお似合いです」
『紗月様と智偉様は、地球にいらしたときからお知り合いだったんですか?』
「では戻りましょう」
「待って、デイ」
入口の手前でデイが振り返った
「あの、よけいなおせわだったらごめん。でも、もし智偉くんに言いたいことがあるなら、言ったほうがいいと思う」
眼鏡ごしにわずかに瞳がゆらいだが、デイはすぐに「ありがとうございます」といつもの穏やかな微笑みを浮かべた。
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