7-3

「地球人は身近で、不可解な存在でした。ある日突然『間』から現れ、この星のこともアトラス様の存在も知らず、地球に帰るとこの星に関する一切の記憶を失うという。何のためなのかわからない一方的な訪問をこちらはただ受け入れるしかないうえ、……お気を悪くしないでいただきたいのですが、やってくるのがすべて善人とはかぎりません。そういったことから、地球人はアトラスにとってよくない存在である、昔はそういう考え方をする者が多かったようです。

 もちろん地球人に好意をもって積極的に交流しようとする者もおり、昔はそういう者たちが滞在場所として自分の家を提供していました。しかしその結果、その者たちが経済的に、場合によっては精神的にも大きな負担を強いられることがあるということで、お二人がいらっしゃる宿泊所がつくられて王宮の管理下に置かれるようになったんです」

「――そうか」と智偉はフォークを下ろした。

「だから宿泊所はあんなところにあるのか。こんな、アトラスの一番端っこに」

「はい。地球人がなるべくアトラス人と関わることがないように、と。

 しかし時がたつにつれ、その考え方が次第に変わっていきました。地球人がアトラス人に及ぼす影響は決して悪いものばかりではなく、ともにすごした思い出がのちにアトラス人を幸せにすることもある。我々にはあとに残るものがあるけれど、地球人には何も残らない、ならば本当にいたわるべきは地球人のほうなのではないか、と。現在地球の方をお客様として歓迎しているのはそのためです。最後にはすべて忘れてしまうとしても、アトラスにいる間は幸せにすごしてもらおうと……それがここ百年くらいのことです。

 ただ、それはアトラスに生きるアトラス人の考え方の変化というだけで、アトラス様がどのようにお考えなのかはわかりません。昔も今も、地球人は地球に帰るとアトラスに関する記憶をなくすということは変わりません。――おそらく、この先もずっと」

 それは森の空気よりしんと透きとおった、最終宣告のような言葉だった。


 水筒にいつものお茶が入っている。

「そうだ、このあいだギルリッソさんの店でお茶をごちそうになったんだけど、このお茶じゃなかったんだ。隣の地方のだって言ってたっけ」

 デイがぱっと顔を上げた。

「はい、ギルリッソさんはお茶がお好きなんです。サヤルルカ産のものも何種類かありますが、それ以外にほかの地方からもいろいろ取りよせてお持ちなんですよ」

 そうか、と智偉は思った。店内のあの匂いは茶葉の匂いなのかもしれない。

「ほかの地方か、行ってみたいなあ。な、アトラスの人が地球に行くことはないの?」

「はい。それはありません」

「でもさ、地球人が帰ったら忘れちゃうなら、アトラス人も地球に行ってたことを忘れちゃってるのかもしれないよ」

「……そうですね。でも、アトラスはお迎えする側なんです。こちらから地球に行くということはありません」

 デイが目をふせる。そっか、というつぶやきはコップの中の琥珀色に沈んで見えなくなった。


「智偉様、もう少し見ていかれますか?」

 気づかうようなデイの声に、智偉は軽くなったリュックサックを背負い直し首を振った。

「いや、大丈夫。暗くなる前に帰らなきゃな」

「はい、でも、時間はまだ大丈夫です」

「ううん、いいんだ。帰ろう」

 断ち切るように強引に目をそらし、一歩踏みだす。今帰らなければこの場所にとらわれてしまいそうだった。

 途中一度デイが立ち止まり、眼鏡をはずしてまわりを見回した。横顔が急に幼く見え、低い位置でおだんごにまとめた髪型から受ける落ち着いた印象とのちぐはぐさに、智偉はデイが自分より年下であることを改めて思い出した。

「デイ、眼鏡はずしてても見えるの? それ、もしかしてだて眼鏡?」

「えっ? いえ、違います。私、視力が強いんです。これは視力をおさえるための眼鏡でして、ギルリッソさんが特別につくってくださったものなんです」

「へえ、時計職人なのに眼鏡もつくれるんだな。そういえばこの翻訳機もそうだし」

 楕円形の銀縁眼鏡はデイの顔を完成させる最後の部品のように、小さな鼻の上にしっくりおさまっている。宇宙の外側を見たからか、感じたのは単純な尊敬の気持ちで、以前のような得体の知れない恐怖ではなかった。本当にすごい人なんだな、と言うとデイは「はい、そうなんです」と嬉しそうに微笑み、再び歩きだした。

 キトリの家のまわりにはもう何もなかった。午前中のうちに王宮から人が来て、すべて持っていったのだろう。

 ポーチを通りすぎたところで足をとめると、二、三歩先でデイが振り返った。

「デイ、あのさ、こんな話聞きたくないかもしれないんだけど。僕、ここに何回か来たけど、本当に来ただけで、キトリさんとそういうことには一回もなってないから。……って、ずっと言いたかったんだ」

 眼鏡の奥の瞳にわずかに驚きのようなものが走ったが、すぐにデイは「はい。わかっています」とはにかんだ笑みを浮かべた。

「え……そう? 僕、デイが誤解してるかなと思ってたんだけど」

「正直に言いますと、初めのうちは。キトリは……なんと言いますか」奔放なほうでしたから、と声が少し小さくなった。

「でも言っていたんです、智偉様は純粋に自分を手助けしようとして声をかけてくれたと。キトリは気持ちが救われたと思います。智偉様のおかげです」

「……そんなたいそうなことはしてないよ」

「いえ、智偉様によろしく、と言っていました。それが私が聞いた最後の言葉です。――ところで」とデイが首をかしげた。

「智偉様、アトラスではどのように葬儀をおこなうのかお聞きにならないんですか?」

「え? ……あ」

 首の後ろに手を当てるとデイはおかしそうに口もとを押さえた。

「火葬のあと、灰を空にまくんです」

 木々の葉のすきまから青空が見えている。土の中に眠るより、それはアトラスにぴったりの方法である気がした。自由で、望めばきっと宇宙のどこへでも行ける。

 灰をまくのは本来故人とのお別れの意味で参列者がすることらしい。今回は二人の状況によりあまり大きな葬儀にはできず、散灰もごく形式的なものだったそうだが、「ムールトリークも、アンドリュー様との思い出も一緒ですから、キトリは幸せだと思います。――それに」とデイはふいにすっと居ずまいを正し、深々と頭をさげた。

「智偉様、昨日、私のせいではないと言ってくださったこと、ありがとうございました。気持ちが救われました」

「……いや」

 そんなことはない、と言いたかった。救ってもらったのは自分のほうだ――その思いが大きすぎて喉につかえている間にデイは体を起こし、「もうすぐです。まいりましょう」と微笑んだ。

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