5-9

「智偉様、ランプはもうキトリのところへ持っていかれましたか?」

 夕食後デイに尋ねられ、智偉はぎくりとした。昨日はもともとキトリに返すランプを買うのが目的で町に行き、デイに教えてもらった店でちゃんと購入したものの、彼女のところに行くたびに何かしら起こるので、なんとなくそのままにしてしまったのだ。

「あの、よろしければ、私が持っていきましょうか」

 皿をお盆にのせながらデイが遠慮がちに続けたが、智偉は「いや、いいよ。大丈夫」と首を振った。そんなことまでしてもらうのはさすがに情けないと思ったからだが、デイは「かしこまりました」と目をふせて控えめな微笑みを浮かべ、智偉にはその表情に何か違う意味が含まれているように見えた。

(もしかしてデイ、僕がキトリさんとそういうことになったと思ってるのかな)

 だから智偉が彼女の家に行ったと知ったときあんなに動揺していたのだろうか。彼女はアンドリューとつきあっていたし、父親のこともあるから、デイは地球人の男がみんなアトラスの女性に手を出すと思って智偉をあまり彼女に近づけたくないのかもしれない。

 デイは調理場でてきぱきと動きまわっている。それはまさしく「仕事をしている」姿で、入口で声をかけるタイミングを計っているうちに、智偉はだんだんそんな生臭い話でじゃまをするのはためらわれるような、言うなればデイに対して失礼であるような気がしてきた。それでもなんとなくそこに立っていたが、やがて振り返ったデイにどうかしたかと尋ねられて口にしたのは結局別のこと、「あのさ、地球に帰るときっていつわかるの?」だった。

「アンドリューさんが二、三日前に知らされたって言ってたんだけどさ、もう少し早めに教えてもらえたりしないのかな」

「いえ」とデイは持っていた茶葉の缶を置き目をふせた。

「お帰りになるときはアトラス様から女王様と王様にお知らせがあるんですが、それも地球にあるお身体の準備が整い次第なんです。なので早くても二日前か、前日という方もいらっしゃいます」

「ああ、やっぱりそうなるのか。じゃしょうがないな」

「わかり次第、なるべく早くお知らせ致します。――申し訳ございません。早くお帰りになりたいですよね」

「いや、そうでもないんだけど」

 デイが驚いたように顔を上げた。

「智偉様、地球に帰りたいと思ってらっしゃらないんですか?」

「え? あはは、そんなわけないだろ。帰りたいとはいつも思ってるよ。たださ、ここの記憶をなくさずに帰れないかなと思ってるんだ」

 智偉が昨日の時計店でのことを話す間、デイはじっと智偉を見つめていた。

「でももうちょっと探してみるつもりなんだ。で、猶予があとどのくらいかっていうのが前もってわかればいいなと思っただけ。まあそうだよな、身体の状態次第ならそのときにならないとわからないよな」

「……申し訳ございません」

 デイは目をふせ、「今お茶をお持ちします。食堂でお待ちください」と一礼した。

 が、なかなか出てこない。もう一度調理場をのぞくとデイは鍋のそばでうつむいていた。はずした眼鏡が調理台に置いてある。

「デイ? どうかした?」

 デイがびくっと顔を上げた。

「申し訳ございません、今お持ちしま――」

 ぱっと伸ばした手がガラスのポットに当たり、次の瞬間ガシャン、と耳が痛くなるような音が響いた。「申し訳ございません!」とあわててデイがかがむ、そこへ紗月が駆けこんできた。

「どうしたの、わっ、大丈夫⁉」

「紗月様! だめです、さわらないでください!」

 悲鳴のような声が飛んだ。紗月が飛び散った破片に伸ばしていた手をはっと引っこめる。

「怪我をなさってはいけませんから。智偉様も、私が片づけますので食堂にお戻りください」

「いいよ、みんなでやったほうが早いだろ。ほうきある?」

 紗月は掃除用具入れの場所を知っていたらしい。身をひるがえして調理場を出ていくのをデイが追いかけ、すぐにほうきとちりとりを持って戻ってきた。

 デイはしきりに智偉の手からほうきを取ろうとしたが、先程のやりとりで智偉の意に沿えなかったのが尾を引いていたのか、いいから、と言うとびくりと口をつぐんで小さくなってしまった。紗月は心ここにあらずといった様子でほうきを動かしている。何を言っても空々しく響きそうで口を開けず、重い空気の中広げた新聞紙の上にちりとりを傾けかけ、智偉はふと目に入った文字に気をとられ手をとめた。

(クラーク・ジヴァリ氏が隣の地方を訪問……アトラス祭に向けて……何を強化? 連携、かな?……)

「あの……智偉様」

「――あ、ごめん」

 何やら不思議な顔をしていたデイは目が合うとぱっと口元を押さえた。「いえ、あの、よろしければごらんください。ほかの日付のものも、そこに」と棚を振り返った肩と語尾のございます、がかすかに揺れ、すぐにくすくすという笑い声になって細かく震えはじめた。

「え、なに?」

「申し訳ございません。あの、智偉様は本当に好奇心旺盛だなと思ってしまいまして」

 一拍間をおき、つられたように紗月も笑いだした。智偉は首の後ろをさすったが、調理場に響く二人の転がるような笑い声にそのうち自分も笑いだしてしまった。

 お茶を飲み終わり、調理場に新聞を戻しにいったときだった。棚を開けようとかがんだ足元で何かがきらっと光った。

「あ、デイ……」

 はい、とデイは振り返ったが、なんでもない、と智偉が新聞を棚に戻すと「ありがとうございます」と微笑み、洗い物に戻った。

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