第28話 疾風怒濤 その2


 戦場が近づくにつれ、その地に住まう人々の緊張が高まっている様子がよくわかった。どの村も落ち着きがなく、いつでも夜逃げができるように準備をしているようだ。どうやらガイア法国は押されているらしい。

 国境近くの村では、オスマルテ帝国が雇った傭兵団の略奪が頻発ひんぱつしているという話も聞こえてきた。

「この辺りで略奪行為をしているのは悪名高い黒葬用兵団こくそうようへいだんのようです」

 シシリア副官が怒りの形相ぎょうそうで教えてくれた。黒葬用兵団のことなら俺も知っている。食糧を奪い、女を犯し、老人から子どもまで見境いなく殺す悪逆集団あくぎゃくしゅうだんだ。

 悪魔崇拝のカルトでもあり、神殿対魔庁が調査に乗り出しているという情報もある。奴らは殺した村人を悪魔に捧げているというのだ。

「あのような者たちを雇うなど、まったく嘆かわしいことです。オスマルテには騎士の矜持きょうじというものがないようですなっ!」

 シシリアの怒りはもっともだが、黒葬傭兵団の働きは大きく、膠着こうちゃくしていた戦況がオスマルテ有利になったのも事実だ。オスマルテ帝国が彼らを雇ったのは、軍事的には成功と言えた。

「黒葬傭兵団の規模はどれくらいですか?」

「およそ5000人と言われています。一軍として大きくはありませんが、連中はどんな手でも使うので危険です」

 聖百合十字騎士団のおよそ五倍か。間違っても正面からは当たりたくない相手である。

「ところで兄上様」

 この人もすっかりこの呼び方で定着してしまったな……。みんながみんな兄上様と呼ぶので、拒否するのにも疲れてしまった。もう何とでも好きに呼んでくれと思っている。

「なんでしょうか?」

 シシリアは大きな胸を寄せるようにしてモジモジしている。普段はりんとした態度なので、ギャップにやたらと興奮してしまった。

「実は、少しだけご指導願いたいことがございまして……」

 まさかの個人授業プライベートレッスン!?

「右側面に回り込むタイミングなのですが、上体の持っていきかたをどうすればいいのか」

 そっちの指導ね……。

「ああ、それならちょっと構えてみて」

「よろしいのですか!?」

 シシリアは嬉々ききとして構えをとった。遠くの方でリーンがこちらをにらんでいるのが見える。どうせ後で「やっぱり、でかい乳を優先するんですね!」などと嫌味を言われるのだろう。前も言ったが、俺はおっぱいに対しては博愛主義だ。差別しているわけじゃない。

「いきますよ……」

 踏み込みに連動して胸が大きく揺れる。うん……とてもいい。差別はしないけど、とてもいい、そう思った。


   ◇


 ズコット・フィッチャーは名門男爵家の三男だった。幼いころから騎士に憧れ、いつかは弱きものを守れる騎士になろうと研鑽けんさんを続けてきた。そのかいあって、ついに念願の夢を果たす。彼は聖百合十字騎士団の騎士に採用されたのだ。もちろん男爵家のコネというのもあったが、そこは眼をつぶろう。フィッチャーはいい奴なのだ。

 その日、フィッチャーは自分が後見人の騎士見習いや従者と共に偵察任務に就いていた。目的地であるアスタルテは近く、いつ敵が現れてもおかしくない状況である。フィッチャーは慎重に馬を進め、一つの村までやってきた。

「フィッチャー様、何やら騒がしいようですが……」

 従者に言われるまでもなかった。村の方からただならぬ叫び声が聞こえてきている。やがて村の様子がよくわかるところまでやってくると、目を覆いたくなる光景が広がっていた。

 村を襲っているのは敵国にやとわれた傭兵団だろう。彼らは槍を振り回し、人々を追い立てている。槍の穂先には切り取られた人間の頭が突き刺さっていた。あちらこちらで人が殺され、女が襲われていた。母を呼んで泣き叫ぶ子どもが路上でひざまずいている。

「殺せ、殺せ!」

「儀式の完成まであともう少しだ。この村の奴らは皆殺しにしろというお頭の命令だぞ!」

「ガキが相手でもためらうなっ!」

 傭兵たちは誰彼構わず凶刃きょうじんをふるっている。

「あれが人の所業しょぎょうか?」

 フィッチャーには傭兵の一人一人が悪魔に見えていた。

「敵の数が多すぎます。このことを早く団長に知らせましょう」

 村を襲う傭兵の数は100人くらいだ。5人の偵察隊ではどうしようもない。

「フィッチャー様、早く!」

 フィッチャーの目の前でまた一人の村人が倒れた。背中には3メートルを超える長い槍が突き刺さっている。

「お前たちは行け……」

「フィッチャー様?」

「私はガイアの騎士だ。このような狼藉ろうぜきを見捨ててはおけぬ!」

「フィッチャー様!? いくら何でも無茶が過ぎます。我らが行っても犬死にするだけですぞ」

「たとえそうであってもだ。いいから早く団長に伝えてくるのだ!」

 フィッチャーは馬の腹をけって駆けだした。


 路上で泣き叫ぶ子どもに目を付けた傭兵がいた。

「おい、あのガキで遊ぼうぜ」

「なにをする?」

「こいつさ」

 傭兵は弓矢を取り出す。離れた距離から交互に矢を放ち、先に絶命させた方が勝ちというゲームなのだ。

「何を賭けるんだよ?」

「お前、さっき犯した女から指輪を奪っただろう?」

「これのことか?」

 傭兵が取り出したのは血のしたたる指がついたままの指輪だった。なかなか抜けなかったので、ナイフで指ごと切り取って持ってきたのだ。

「それを賭けろよ。俺はこの銀の髪留めを賭けるから」

 こちらも略奪した品だった。

「よし、俺からいかせてもらうぜ」

 傭兵はスイカでも狙うように子どもの頭をめがけて弓を引き絞る。放たれた矢はわずかに逸れて、子どもの近くに突き刺さった。

「チッ、風が吹きやがったか」

「ギャハハ、負け惜しみを言ってるんじゃねえよ」

 今度は別の傭兵が片目をつぶって弓を引き絞る。だが、矢が放たれることはなかった。騎士フィッチャーの剣が男の首と弓のつるを同時に切っていたのだ。

「てめえ!?」

 傭兵の反撃を許さずに、フィッチャーは斬撃ざんげきを叩き込む。腰の入った正確な打ち込みだ。クロードのカクテルのおかげで騎士たちの能力は格段に上がっている。

 だが、フィッチャーは楽観していない。1人で100人を超える兵士を相手にできる人間など存在するはずがないのだ。今は何とか時間を稼ぎ、一人でも多くの敵を道連れにしてやろうと考えていた。

「オスマルテの犬どもめ! 貴様らは弱い者いじめしかできないのか!? 悔しかったらかかってこい!!」

 フィッチャーの挑発に七人の傭兵が笑いながら殺到する。

「あのバカをなぶり殺しにしろ!」

「騎士の甲冑は俺がもらうぜ!」

「俺は馬だ」

「槍は俺に寄こせよ」

「正義の騎士様が這いつくばって許しを請うまで痛めつけてやろうぜ!」

 殺到する傭兵たちに向けてフィッチャーは火炎魔法を使った。彼の得意な魔法で、最近になって三連の火球を撃てるようになったのが自慢だった。一つの火球は避けられてしまったが、残りの二つが傭兵に命中して燃え上がる。

「クソッ、結構やるぞ。散開して取り囲め!」

 フルプレートを着ているおかげで弓矢は怖くない。危険なのは自分と同じ攻撃魔法を使える相手だ。フィッチャーは囲まれないように馬を走らせた。

本隊がやってくるまでにはまだ時間がかかるだろう。何とかそれまで持ちこたえられればいいが、それは甘い考えだろうか? 正面から殺到してきた騎馬を槍で撃ち落とした。敵の数はまだ100人以上いる。

「ここが俺の死に場所か……」

 名前も知らない小さな村だったが、近くに森があって、作物も豊かそうだ。畑の横には花も咲いている。こんな場所に眠るのも悪くない。フィッチャーは覚悟を決めて、再び突撃を開始した。

 ――

 すでに馬は失われていた。鎧もヘルメットがとれ、あちらこちらが破損はそんしている。フィッチャーは満身創痍まんしんそういで壁にもたれかかりながら敵に取り囲まれていた。

「ったく、手こずらせやがって……。てめえのせいで仲間が12人も死んだんだぞ、どうしてくれるんだ!?」

 一騎当千いっきとうせんとまではいかなかったが、12人を道連れにしたというなら悪くない戦績じゃないか? フィッチャーはそんなことを考えていた。もう魔力は枯渇こかつしているが、手足はまだ動く。あと一人くらいなら討ち取れるかもしれない。それを手土産にして天国の門をたたいてみるとしよう。

「へっへっへっ、どうせならハリネズミを作ろうぜ」

「あれか! 騎士が相手だから初めてだよな」

 ハリネズミとは、一斉射撃で何本もの矢を撃ちこむことだ。明らかなオーバーキルであり、無駄なのだが、傭兵たちはなぐさみ者にするために好んでこれをやる。

「みんな頭を狙えよ!」

 フィッチャーを半包囲する十数人が一斉に矢をつがえた。もはやここまでか……。 

 諦めかけたフィッチャーの周りで霧が立ち込めた。それは通常の白い霧ではなく、血煙ちけむりが作る赤い霧だった。

「えっ……?」

 周りにいた傭兵がすべて倒れるまで1秒もかかっていなかった。

「よく頑張ったな、ズコット・フィッチャー」

 空間が歪み、フィッチャーのよく知る人物が天馬に乗って現れた。

「兄上様!」

 フィッチャーの呼びかけにクロードはげんなりとした顔をしてしまう。

「まあいい、この薬を飲め。俺は残りを片付けてくる」

 シルバーシップから降りたクロードはフィッチャーに薬を手渡した。

「片付けてくるって、お一人で?」

「ああ、問題ない。シルバー、フィッチャーのそばについていてやってくれ」

「ぶるるる(いってらっしゃい)」

 クロードはゆっくりと歩いていく。だが、敵が迫るたびにフィッチャーの視界から残像だけを残してクロードが消えた。それだけ速く動いているということだろう。そして、クロードが再び姿を現すと、新しい死体が増えていた。

 フィッチャーは考えを改めなければならなかった。さっきまで、1人で100人を超える兵士を相手にできる人間など存在するはずがない、と思っていた。だが、そうではなかったようだ。世の中にはとんでもなく強い人がいて、それは実は身近な人、聖百合十字騎士団の兄上様であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る