第10話 疫病の村 その2


 小さな小屋を借りて、石床にチョークで魔法陣を描いた。早く、正確に描くには修練しゅうれんがいるのだが、俺は落書きを書くみたいな気軽さで、細かい描写びょうしゃを仕上げていく。ガキの頃から何万という魔法陣を描かされて育ってきたのだ。すっかり体が覚えていた。

 出来上がった魔法陣の上に材料を正しく配置した。ここからが本当の腕の見せ所だ。

「さて、やってみますか……」

 『カクテル』を発動しようとしていたら、思いがけず扉が開いて、青い顔をしたミリアが入ってきた。俺は心臓を掴まれたように驚いてしまう。薬を作ることはあらかじめ言っていたから秘密ではないが、製造過程せいぞうかていを見られるのは何となくはばかられた。なぜならかなりの魔力が消費されるし、それが特別な技だと知られてしまうからだ。

「騎士団長、どうされたのですか?」

 動揺どうようを隠しながらミリアに聞いてみる。どうしたわけかミリアは泣きそうな顔をしていた。

「すまん、魔力を消費しすぎたので、ここで少し休ませてもらおうと思っていたのだ。考えていたより病人の数が多くてな……」

騎士の治癒魔法では救える数に限界がある。村の規模は想像していたよりも大きく、病人の数は300人近かった。こうしている間にも命の灯火が消えそうな人が何人もいるのだ。

「もっと何とかなると思っていたのだが……私はあまりに無力だった」

打ちひしがれたように、ミリアはその場に座り、膝を抱えてしまった。

「そんなことはありません。団長がいなかったらすでに死んでいた人もたくさんいたんですよ。もう少し待ってくださいね。材料がそろったので、今から薬を作りますから」

「ひょっとして、ここで魔法薬を作るのか?」

「まあ……」

 ミリアは少し気を取り直して、珍しそうに素材や魔法陣を眺めだした。

「初めて見る魔法陣だ。治癒魔法の技術も使われているようだが、この線は何だろう?」

 ミリアは治癒魔法のスペシャリストなので、部分的にはこの魔法陣を解読できるようだ。

「その線はレイラインの魔力を利用するための図式です」

「レイラインだって! そんなものを利用できるの?」

 レイラインは古代の神殿同士を繋ぐ直線だ。ガイア法国に存在する五つの大神殿を線で結ぶと地図上に五芒星ごぼうせいが現れる。そこには強力なマジックストリームが循環じゅんかんしていて、その膨大ぼうだいな魔力を利用すると術師は強力な魔術が使えるようになるのだ。ただ、取り扱いは極度に難しいので、一般的にこれを使う人間は非常に少ない。

「運よく、ここから5キロも離れていない場所にレイラインの一つが通っていました。私の魔力だけでは無理でしたが、レイラインを利用すれば300人分の特効薬が作れますよ」

 ミリアは眼を見開いて震えている。

「本当に貴方は何者なのです? 普通の人間がレイラインを使うなんて不可能でしょう? よほど高位の神官か、有能な魔導士でない限りは……」

「そのことはいずれ説明します。今は薬を作ることが先ですので」

「……わかりました」

 普段はしない呪文の詠唱を開始した。なくてもぜんぜん問題ないのだけど、ミリアの前でちょっとだけカッコつけたかったのだ。

 低い詠唱が石造りの壁にこだますると、魔法陣が淡いブルーに輝きだす。すると各素材が宙に浮き、それぞれの成分が引き出されはじめた。これらを中空で薬効が出るように混ぜ合わせ、ライフポーションの瓶へと戻していくのだ。

 魔力が枯渇こかつしないように気を付けながら、ブレンドとシェイクを繰り返す。やがて薄緑だったライフポーションが、濃い赤色となって瓶へと戻っていく。まるで赤いインクを溶いた水のようだが、効能は完璧なはずだ。

「ふう……完成しました」

 ミリアを見ると驚きと興奮で目を見張っていた。

「すごい……このような魔法は始めてみました! クロウ殿はやはり高名な魔術師か薬師なのですね」

 見られたからにはすべてを隠しおおせるものではないな。情報の一部は開示するしかないだろう。

「お察しの通り、私は酒保商人ではありません。聖百合十字騎士団を陰ながら支えるために派遣された者です」

「やはり! しかし、どうして?」

「お聞き及びでしょう、イアーハンのことを」

 イアーハンの名前を出すとミリアの顔が引き締まった。

「オスマルテ帝国の組織が我が騎士団を狙っているという話は聞きました」

「その通りです。そこで私とリーンが秘密裏に護衛につきました」

「ということは、クロウ殿は神殿の関係者ですか?」

「詳しいことは言えません」

 ここで兄だと名乗れたらどれほど楽だろうか。だが、名乗り出るつもりはさらさらない。そもそも、俺たちの交流をミリアの母親が認めるはずがないのだ。イルモア伯爵夫人、リセッタは俺を目の敵にしていた。ミリアに伯爵位を継がせるために、俺を神殿に預けたのも彼女だ。

 今俺がイシュタル・イルモアだと知られてもろくなことにはならない気がする。権力闘争の道具に使われ、お家騒動いえそうどう勃発ぼっぱつなんてことだって考えられる。やっぱり黙っておくのがいちばんなのだ。それがミリアのためでもあるような気がした。

「さあ、できあがった特効薬を病人に配りましょう。数回に分けて摂取せっしゅさせなければいけませんから、管理が難しいのです。協力をお願いしますよ。ここからが本当の勝負です」

「承知しました。気落ちしている暇なんてありませんね。クロウ殿、本当にありがとう」

 ミリアは俺の手を握って感謝の言葉を述べる。その瞳は敬意に満ち、少しうるんでいた。

「いえいえ……」

「あの、クロウ殿……」

 ミリアは言いにくいことでもあるかのように顔を赤らめて、少し視線を外した。

「どうしましたか? ご質問があれば聞いてください。可能な限り何でもお答えしますよ」

「その……、一緒にいるリーン・リーン殿とは恋人関係だという噂ですが……本当ですか?」

 へっ? なんでリーンのことなんて?

「とんでもない。彼女とは単なる仕事仲間です」

 まったく、リーンがべたべたするから変な噂が立つのだ。今後のこともあるから、リーンにはもう少し厳しく注意した方がいいな。

「そうですか……よかった……」

 あれ? いま、ミリアがおかしなことを言わなかったか? 気のせいだろうか?

「コホン、さ、さあ、特効薬を病人に飲ませましょう」

 ミリアは薬瓶を持ちあげた。

「そうですね。他の騎士にも協力していただくようお取り図りください」

 俺たちは薬瓶を木箱に入れ、外へと運び出した。


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