第4話 出発準備 その1

 第三特別資料室に戻ってくると、リーンが俺の椅子で昼寝をしていた。無防備な姿に腹が立ち、軽く椅子の脚を蹴って起こす。

「リーン・リーン、起きろ!」

「んあっ!? これはクロードさん、おかえりなさい」

「何がお帰りなさいだ、口の端についたよだれを拭け」

「うえ? あらやだ、あられもない姿に欲情しちゃいましたか?」

「するか!」

 人の執務机しつむづくえを汚しやがって……。

「枢機卿の話はなんでした? まさか、告解室こっかいしつでの飲酒がばれたとか?」

「そんなくだらないことで枢機卿が俺を呼び出すもんか! だいたい枢機卿の執務室には高そうな酒瓶がいっぱいあるんだぞ。そんなところでおしかりを受けるわけがないだろう?」

「ふええ、いいなあ権力者は」

「なんだ、リーンは出世がお望みか?」

「いいっスねえ! 出世したらクロードさんを這いつくばらせて、私の人間椅子にんげんいすにして、その上でふんぞり返って酒を飲みたいです。私、MもSもどっちもいけるんで!」

 こいつなら本気でやりかねないな……。

「そんなことより仕事の話だ。新しい命令が下りた」

 俺はリーンに任務の内容を説明した。

「つまりあれですね、我々は酒保商人の夫婦として、聖百合十字騎士団に同行すればいいと、こういうわけですな!」

「どうして夫婦なんだよ? 普通に店主と店員だ」

「えぇ……、夫婦プレイを楽しみましょうよ。新婚の幼な妻だなんて、私にぴったりの役柄やくがらじゃないですか! グラハム大神殿でいちばん裸エプロンが似合う神官ですよ、私は」

 もうつっこむ気にもなれない……。

「前も言ったけど、同僚とは絶対に寝ないからな」

 情が移ってしまったら、いざというときの判断が鈍ってしまう。こんな仕事をしていれば、ときに冷酷な決断を迫られることもあるのだ。

「そんなこと言わずに一回くらい思いを遂げさせてください。礼拝室でやったら背徳感はいとくかんで感度急上昇まちがいなしですよ!」

「この罰当ばちあたりが! いいから準備に取り掛かれ。今回の任務で優しい貴族の坊ちゃんに気に入られるかもしれないぞ、そうしたら玉の輿だ」

「はっ! そんな男は要らないっス。私は危険な香りのする男じゃないと濡れない体質なんで」

 なおも露骨ろこつ口説くどいてくるリーンをあしらい、俺は必要書類をまとめにかかった。酒保商人に扮するには馬や荷馬車、商品なんかが必要になる。そう言ったものを借りたり、経費をもらったりと、こまごまとした仕事がたくさんあるのだ。面倒すぎて気が遠くなってしまう。だが、聖百合十字騎士団の出発は二週間後なので、大急ぎで準備しなければならなかった。



 四日後、俺は聖百合騎士団の居城に行った。今回同行する酒保商人として、団長にあいさつするためである。神殿騎士団の団長にもいろいろな奴がいる。真面目な者、狂信的きょうしんてき原理主義者げんりしゅぎしゃ、露骨に賄賂わいろを求める者、スケベ。もちろん人として尊敬できる奴もいる、数は少ないが……。

 俺は今回の面会で団長の特性を見極めるつもりだ。それによって騎士団の動きを予測し、危機を回避する方法を探るつもりでいた。だが、団長と会った俺はそんなことを忘れるくらいの衝撃を受けていた。

「私が団長のミリア・イルモアだ」

 亜麻色あまいろの長い髪を二つに分けた女性はそう名乗った。少し勝気かちきそうな目をしているが、その奥には人を気遣きづかえる優しさがあふれている。

「……」

「どうした、女の騎士団長は珍しいか?」

 驚きで言葉を失った俺にミリアは優しくほほ笑んだ。その表情が幼いころの記憶を呼び覚ます。ほっそりとした指を机の上で組む、そのしぐさにも見覚えがあった。

 目の前にいる聖百合十字騎士団の団長はあのミリアだ。間違いない、彼女は俺の腹違はらちがいの妹である。

 俺の父親はサウル・イルモア伯爵であり、俺はその妾との間に生まれた子どもだった。庶子しょしであった俺は12歳のときに家を出されて、神殿に入れられたのだ。あれからもう13年か……。

 13年という歳月は兄妹の実感を忘れさせるにはじゅうぶんな時間である。ミリアは俺のことなど覚えていないだろう。別れた時は6歳くらいだったはずだ。おそらく、兄がいたことすら記憶にないのではないか? 俺の存在はイルモア家から完全に消されているのだから。

 だが、あの頃の記憶がよみがえると温かな気持ちになったのは、自分でも驚きだった。どこにも居場所がなかった俺にとって、ミリアは唯一の救いだったのだ。

「お兄様、イシュタル兄様! ミリアが遊んであげますわ」

「泣いていらっしゃるのですか、イシュタル兄様? 大丈夫ですよ、ミリアがよしよししてあげますからね」

 忘れかけていた小さな頃の記憶がフラッシュバックした。あの頃の俺にとって、ミリアは世界で一番大切な人間だったのだ……。

「失礼いたしました。酒保商人のクロウでございます」

 クロード・クロウは元々偽名もともとぎめいだ。ミリアに正体がばれることはないだろう。

「うむ、ここからアスタルテまでの道のりは長い。長期間の付き合いになるだろうからよろしく頼むよ」

 まだ幼さの残る騎士団長の顔に6歳のミリアの面影おもかげが重なった。俺は内心の動揺どうよう一切いっさい見せずに、団の規模や輸送する商品の内容などを詰めていく。

「食料と医薬品、針と糸などは多めに頼む」

「かしこまりました。他にご要望はございますか?」

「甘いものがあるとありがたい。恥ずかしいのだが私は大の甘党でな」

 ミリアは頬を赤らめながら声を落とす。その姿が微笑ましくて俺も笑顔になってしまった。そういえば幼いミリアもクッキーなどが大好きだった。

「かしこまりました。砂糖やバターなども多めに持参じさんいたしましょう」

 そうけ合うと、ミリアは人懐ひとなつっこい笑顔を見せた。成長した現在でもこうした表情はかわらないようだ。

「それでは6日後にまたお会いしましょう」

 俺は一礼して団長室を出ようとした。だが、その背中をミリアが呼び止める。

「ところで、クロウ」

「なんでしょうか?」

「どこかで会ったことがなかったか? いや、記憶違いかもしれないのだが、なんだか懐かしい人に会った気がするのだ……」

 心臓を掴まれたような衝撃だった。ミリアが俺を覚えている……?

「さて、そうおっしゃられましても、あいにく……」

 わずかに顔が赤くなっていたかもしれない。だが、俺は記憶にないといった様子を取りつくろい、もう一度頭を下げて扉を閉めた。

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