5章

5章-1

 その日の服装頭髪検査にはちょっとした異変があった。わたしたちのクラスの検査担当がいつもの石田先生ではなく、坂本先生だったのだ。

「ちょっと、何で坂本なわけ? 石田のやつ休んだの?」「違うでしょ。ほら、石田先生なら三年のところにいるし」「じゃあ、坂本と担当を取り替えたってこと?」「そうみたいね」「いったい、どうしてそんな事態に?」「そんなこと、わたしが知るわけないでしょ」「坂本の検査ってえらく厳しいらしいじゃない。ちょっとスカート丈が短いだけでもうるさく言うそうだしさ」「どうしよう。わたし、前髪が少し眉にかかってるよ」「石田なら何も言わないかもしれないけど、坂本相手じゃまずいかもね」「そんなぁ……」

 この不測の事態にクラスメイトは動揺を隠せずにいた。たしかに、彼女たちのその場しのぎの違反逃れでは他の先生相手にはどうにかなっても、厳しい坂本先生の前には通用しないだろう。

 その慌てぶりがわたしには滑稽に見えた。これだから普段からちゃんとしていればよかったのに。もっとも、ここ最近のわたしは人のことをとやかく言えなかったりするのだけど。

「次のやつ、ぼやぼやするな」

 坂本先生の野太い声がした。気がつくと前に並んでいたクラスメイトはすでに検査を終えていなくなっていた。わたしはあわてて坂本先生の前に立つ。

 こうして坂本先生と面と向かうのは初めてだ。そびえるような長身で、決して太っているわけではないけど分厚い体をしていて、側にいられるだけで圧迫感があった。そういうところが生徒のみならず、同僚からも恐れられる要因のひとつになっているのだろう。

 でも、不思議とわたし自身は坂本先生のことをあまり怖いとは感じなかった。

 わたしの前髪に物差しを当てた坂本先生はかすかに眉をひそめる。

「お前、髪が少し長いぞ」

 その言葉に、わたしは他のクラスメイトのようにうろたえたりはしなかった。そう指摘されるだろうことは前もって想定していたから。むしろ、ようやく気付いてもらえてほっとしたくらいだ。二週間ほど前から髪は違反の長さに達していたのだから。

 もし坂本先生がさらに咎めるようなことを言ってきたら、わたしはこう切り返すつもりでいた。

『たとえ違反だとしても、わたしは髪は切るつもりはありません。なぜならこれは、わたしがわたしであるための証なのですから』

 だけど、その台詞を言う機会は訪れなかった。

「次の検査までにちゃんと切ってこいよ。わかったら教室に戻ってよし。――次のやつ、早くしろ」

 坂本先生はたいして叱責もせずにわたしを解放し、さっさと次の人の検査に移っていた。身構えていただけに拍子抜けしてしまった。

 ちょっと意外だった。手間がかかる服装頭髪検査に不熱心な先生が多い中、坂本先生だけは例外なのだと思っていたから。クラスメイトもそう感じたらしく、検査を終えた生徒がまだ並んでいる生徒に「思ったより厳しくなさそうだよ」と情報を伝えていた。

 そんな彼女たちの様子をわたしは冷ややかな目で見ていた。

 わたしは姑息なあなたたちとは違う。わたしが校則違反をするのは、もっと純粋な想いによるものなのだから。

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