第8話
養護院は街の住人からいくつかの仕事を請け負っている。善意の清掃とは別に、荷運びや、大店の引っ越しの手伝い、売り子など多岐に渡り、子どもたちが院を出て速やかに働くための準備や試用期間も兼ねていた。
読み書き計算ができ、力仕事も嫌がらず、無駄口を利くこともなく仕事をして時間になると速やかに帰っていく私とエスメは、愛想がないと言われつつも評価はそこそこ高かったようだ。代筆屋の仕事を手伝った後日、その代筆屋から街に住む学者の屋敷での仕事を紹介された。
多忙が理由で一時的に人を増やしたいとのことで短期仕事だが、給金は高額だった。私はもちろん引き受けたが、意外にもエスメも頷いていた。
二人で初めて職場となる屋敷に出向くと、街の中でも特に大きな、貴族の持ち物として知られている建物だった。青い屋根に真鍮の飾り。ぴかぴかの硝子窓が表通りにぴかぴかと輝いて見える。
まるで私にはふさわしくない。臆する私とは対照的に、エスメはつまらなさそうな顔で無造作に鉄格子の門扉を開けたので、後を追って敷地に入った。
玄関扉を前にしてもエスメはごく自然な動作で重そうな真鍮の輪を掴み、ごつんごつんと打ち付けた。しばらくして、「はぁい」と遠くから声がし、扉が開かれた。
顔を覗かせたのは鳶色の髪の男性だった。私たちよりいくつか年上の、まだ少年といってもいいような、背ばかり伸びてほっそりした身体つきをしている。彼は目を瞬かせ、まじまじとエスメを見た。
「ええと、どちら様?」
「養護院の者です。こちらの仕事を紹介されて来ました」
ああ、と青年はほっと胸を押さえた。
「そういえば手伝いを雇ったって言ってたけど、君……いや、君たち二人がそうなんだね。どうぞ、中に入って」
そう言って彼は私たちを招き入れると、早速仕事が山積みとなった研究室へ案内してくれた。
それはもう、言葉通り様々なものが山と積まれ、崩壊して濁流と化した部屋だった。埃っぽい古書の間を通り抜けて、青年が呼びかける。
「先生、せんせーい! 手伝いの子が来ましたよ!」
すると本の山の向こうからのっそりと起き上がった人がいた。
ずれ落ちそうな眼鏡を押し上げるも、度が合っていないせいで目を細めている。よく見ようとして険しい顔になっているけれど、垂れ目で、無精髭が生えており、髪がくしゃくしゃでぼさぼさだ。手伝いだという私たちが十代の少女と知り、へらりと笑ったので、身なりに気を使わない性格と素朴な人柄が察せられた。
「やあ、君たちがそうか。よろしく、僕はセス」
自己紹介した彼は、悪魔と魔物について研究しているだと語った。私はついエスメを見たが、彼女は淡々と握手を交わしている。
出迎えてくれた若者はセスの助手で、リアンという名らしい。応対や、仕事の締め切りと進捗を把握するなど、研究者の秘書のような仕事をしているそうだ。
私たちの仕事は、引っ越しのための梱包と掃除だった。あまりに物が多いので少しでも手が多い方がありがたいという。私たちは早速作業内容を教わり、仕事に取りかかった。
まず散らかった本と書類を仕分け、埋もれていた道具を発掘して別の場所に保管すること。それが終わったら本を数冊まとめて縛り、運べるようにする。書類は助手が確認し、不要なものはこちらに戻されるので処分できるように束ねておく。さらに汚れた道具を磨き、割れ物は丁寧に梱包して行李に入れた。行李には「研究室」と書かれた札がついている。別の場所には「食堂」「客室」の札が下がった行李が保管されて、引越しの日を待っていた。
私たちは週に二日屋敷に出向き、少しずつ荷物を片付けた。
決められた通りに午後から夕方まで仕事をしていると、セスは引っ越し作業を放ってずっと何かを書き、本を探してふらふらと彷徨ったかと思うと本を縛る紐を解いてはリアンに叱られ、嘆きを浴びせかけられていた。
「引っ越しが大変だから仕事はもっと早く手をつけてくださいって以前から言っていたでしょう!」
「ご、ごめん……手はつけていたんだよ、でも思ったより量が多くて……そ、それに、仕事を追加されちゃったんだから遅れるのは仕方ないと思うんだ! 親友の頼みを断るわけにはいかないじゃないか」
「いくら親友でも、それがたとえ王太子殿下であっても、ほいほい引き受けるんじゃありません! 僕を通さないからこうなってるんですよ、もう」
本を片付けながら蔵書一覧を作るために書名と著者名を書き付けていた私は、思わず手を止めた。
王太子殿下? それは聖女アシュレイ様とともに魔王を討ち果たした剣の君アーサー様のことだ。
すると私のすぐ近くでゆうらりと影が揺れた。ふらりと立ち上がったエスメが、彷徨う足取りでセスに近付いていく。
「殿下も殿下です。王都に呼び寄せるのなら手伝いくらい寄越してくださってもいいでしょうに」
「仕方ないよ。いまが大事なときだし。僕だってこっちに気を使ってもらうよりは自分の仕事に専念してもらった方が気が楽、…………あれ、どうしたんだい? 何かわからないものがあった?」
エスメに気付いたセスが、好きのする笑顔で尋ねる。
けれどそれに対する声は低く冷ややかなものだった。
「剣の君に聖剣の在処を教えたのはお前か」
セスとリアンは目を見開き、私も驚いて、エスメを見つめた。
悪魔を滅する力を宿した伝説の剣、聖剣。後の建国王がそのときの魔王と戦ったときに用いたそれは、精霊や妖精、女神などの加護を宿していたという。けれど戦いが終わると建国王はその剣をどこかに隠してしまった。曰く、強い力を持ちすぎたため人の手には余ると女神に返したとか。
そして現代、剣の君はその建国王の剣を見つけ出し、魔王に勝利した。在処がわからないと言われていたが剣の君は導かれるように封印の地にたどり着き、女神から再び剣を得た。
それは私も知っているけれど、セスが関わっているとは思わなかった。
何故それを知っているのかと彼は食い入るように、研究者らしく探る目をして尋ねた。
「君は……?」
だがエスメは大きく手を振りかぶる。
凄まじい速度でセスの頬を引っ叩く、ぱあん、と大きな音がし、誰もがそれに動きを止められた。
エスメの白い手のひらが、時間が止まっていない証拠にじわじわと赤くなっていく。
痺れる手を押さえながら、エスメは大きく深呼吸をした。
「……聖剣を手に入れるためにアベルが大怪我をするはめになった。原因になったやつに会ったら絶対殴ってやろうと思っていたんだ」
「……え、ちょ……ちょっと、何を……!?」
呆然とするセスの代わりに食って掛かろうとするリアンをひらりとかわして、エスメは背を向けた。
慌てて追いかけていったリアンだが、すぐに戻ってきた。彼女が言うことを聞かず屋敷から出て行ったことを説明した後、憤慨しながらセスの頬に湿布を当てながらエスメを非難する。
「いったいなんなんですか、あの子。いきなり引っ叩くなんて!」
「はは……まあ、そう怒らずに」
セスが穏やかに宥める分リアンが怒っているようなものだったが、セスは薬箱を棚に戻すリアンを呼び、財布を託しておつかいを頼んだ。
「手間をかけて悪いんだけど甘いものを買ってきてほしい。できれば日持ちのする、片手でつまめるものがいいな。ほら、頭を働かせたり身体を動かしたりすると甘いものが欲しくなるからさ」
「はあ。わかりました」
ぷりぷりしつつリアンは素直に買い物に出かけていった。仕事でわからないところがあったら置いておくかセスに尋ねるようにと私に言い置いていくのも忘れない。彼は本当にしっかりした人だ。
そんなわけで私はセスと二人きりになった。作業に没頭し、時に何かを思い出してうろうろと動き回るセスだけれど、私のすべきことは変わらない。邪魔になってはいけないので仕事に関すること以外は特に会話も必要ない。いつもと変わらず、唯一エスメがいないという異なる状況で彼女が残した仕事を片付けていると「君は」と声がした。
目を上げるとセスが見ていた。
「君は、彼女と親しいのかな? ここに来るとお喋りもせずに仕事をしているようだけれど……あっ、すごく助かってるんだよそれは! でも仲が悪い感じもしないし、不思議だなと思っていて」
なるほど、他の人にはそんな風に見えるのか。
私が彼女と相部屋で、お互いに上手くやっていると説明すると、不思議そうながらもほっとした顔をされた。当人同士は心地よいがわかりやすいとは言えない関係であることが、彼の反応で浮き彫りになったような気がした。
「そう、それじゃあ、さっき彼女が何を言っていたかはわかる?」
わからない。私は正直に首を振った。アベルの名前を出していたのできっと根深いものだろうけれど、それまでの話の流れや登場した名前などを思い出していくと、私が思いつくのは創作と言い表すのがぴったりな妄想にしかならない。
けれどそう尋ねられたのなら、彼にはエスメが暴力をふるった理由に心当たりがあるのだ。
リアンを遠ざけたのはその話をするためだ。気を回した私がペンを置いたので、彼はちょっと笑って、話を始めた。
「さっきちらっと聞こえたかもしれないけれど、僕と王太子殿下は友人なんだ。恐れ多くも親友と呼んでもらっている。僕たちは同じ田舎で育ったんだ。彼の母上は身分の低い方で、城での暮らしが合わなかったらしくてね。当時母上も彼も出自を隠していた。ただやっぱりなんともいえない気品があったよ。殿下も田舎の悪童と変わらないように見えて、とても頭の回転が早かったし剣術の才能があった。普通の林檎農家だと思っていたおじいさんが実は二人を守るために隠居していた元将軍閣下だって知ったときは驚いたなあ」
殿下はその人に剣を教わったんだよ、と彼は言った。僕は才能がなかったけれどね、と照れ笑いも添えて。
「しばらくして母上が亡くなられて、彼は林檎農家のおじいさんとともに村を出て行った。それきり消息が途絶えて……魔王の出現で世界が大混乱している時期に、突然現れたんだ。僕が勤めていた王立図書館に、聖女様を伴ってね」
悪魔と戦っていると剣の君は言ったそうだ。
魔王と呼ばれる大悪魔が、他の悪魔たちが互いに争い合うようけしかけている。悪魔や魔物は人の恐怖や憎悪の感情、痛みや血、死といったものに快楽を覚える。その高揚が力を一時的に増幅させるので悪魔は人を傷付けて回るのだ。しかしその戦いも、弱い悪魔を排除し、残った悪魔を殺すことで力を得ようとする魔王の企みの結果だった、と言われている。
「彼は図書館長に魔王を倒す手段について調べてほしいと頼んできたんだけれど、館長は渋った。実は館長は悪魔から力を得ていて、その力で貴重な書物を収集していたんだ。その中には悪魔を宿した本も、悪魔の力を疑似的に使うことができる呪術書もあった。その気になればそれらを使って自分が王になることも国を建てることもできただろうな」
悪魔に襲われて人々が助けを求めるのに駆けつけたり、襲来を防ぐために各地を回ったりしていた剣の君は、なかなか調査が進まないこと疑問を抱いた。
同じくセスも何故かまったく進捗がよろしくない状況に首を傾げていた。担当ではなかったので、領分を超えていると承知していたが密かに独自に書物を当たった。そしてその過程で図書館長の秘密を知った。
その後のことは多くの人が知っている通りだ。――王立図書館の戦い。強力な大悪魔の一人と契約していた図書館長は、剣の君と聖女様にそれを見破られ、戦いを挑んだ。大悪魔の力で図書館は一時的に異界と化し、剣の君は魔物が跋扈するそこに閉じ込められた司書や職員たちを守りながら聖女様とともに戦った。そして勝利し、いずれ立ちはだかったであろう難敵を退けることができたのだった。
「図書館長と大悪魔が退けられて、彼は改めて、王立図書館に聖剣を得るための調査を依頼した。僕はそれまでに集めていた情報を提出したんだけど、決め手に欠けていて。でも元館長が集めていた稀書の中に記載があって、あのときはやっと彼の役に立てたと思って嬉しかったなあ」
聖剣が返還された場所は、深い森の奥の隠された湖であることが判明した。
だがそこは図書館の大悪魔を上回る者の領域だった。
「大悪魔アベルカイン。悪魔同士の争いを静観していた変わり者。けれど確実に魔王に成り代わることのできる力の持ち主だった。アベルカインを倒さなければ聖剣を得ることはできないだろう……僕にできるのはそこまでだった。そして当然のように彼らはアベルカインに戦いを挑んだんだ」
それも剣の君が聖剣を手にするまでの逸話として聞いている。
けれど戦った大悪魔がアベルカイン――アベルだとは知らなかった。ということは、エスメもそこにいたのだろうか? なら、あんなに怒っていた理由はそこにあるのかもしれない。
でも大悪魔が慈しんでいる少女の怒りについては、私たちに何一つ伝わっていない。何故なのだろう、疑問に思っている私に彼は語る。
それは剣の君と呼ばれる王太子殿下が親友に打ち明けた、失敗と後悔の秘められた逸話だった。
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