第5話 シチュエーション「年上上司独身男と年下部下独身女、でも恋は芽生えない」
「係長、また残業ですか?」
19時過ぎ。すでにオフィスの電気は半分消されていて、帰ろうと鞄を持った
係長の
杏樹もこの部署に3年ほどいて、若手だからと上司にあわせて居残るほうがナンセンスであることを知っていたので、帰り支度をすすめていた。
富田林は、はあとため息をつき、体を反らせる。
「課長から頼まれたら断れないしね、リモートするにも。うちのぼろアパート、ネット遅いんだよね」
「ああ、それで……」
杏樹は富田林のそばの席に「リモートワーク中」という貼り紙を見ながら、しぶしぶ出勤しているのだろうと思ったが、
「ここだとフリードリンクだし」
(み、みみっちい……)
こんな発言で、昼休みの『OLの雑談』で富田林が40才になっても未婚で、もしかしたら『魔法使い』ではないかという噂まで飛んでいたことを思い出した。
「ま、まあ、ほどほどにしてくださいね、ではお先に」
「おつかれー」
再び富田林はモニターに向かい、ひらひらと手を振る。
「……あ」
ふと杏樹は、上司のデスクに、フリードリンクの紙コップが積み重なっているのを見て、それと、持っていた「のど飴」とを交換した。
「捨てときますね、あとこれどうぞ」
「あ、あ、どうも」
さっさと捨てて帰ろうとそれ以上会話は続けなかった。
トイレで手を洗い直して(これはたんに普通の手洗い励行で、富田林の普段のしぐさが汚いわけではない)、杏樹もオフィスビルを出てから、おなじのど飴をひとつ食べはじめ、甘さが口のなかに広がったころ包みをポケットに戻そうと見たら、その個包装には、
『疲れたら何でも話しかけてね』
と書いてあった。
「ふごっ」
フレーバーテキスト。
子供のころはファンタジー世界を舞台としたTCGを数多く集め、そのフレーバーテキストも想像をよく働かせて読んだものだ。しかし今、全く、気をかけるつもりもないのにこんなテキストつきの飴を渡してしまって、あちゃー、と杏樹はまだ大きなのど飴を噛み砕いた。
ちなみに、富田林に渡された飴には『お疲れ様です』という当たり障りないランダムメッセージが書かれており、かつ、包装紙は確めもせずゴミ箱一直線だったので、杏樹の心配は杞憂に終わっている。
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