第17話 救いと絶望(4)
2月に入っても、凍えるような寒さの日が続いていた。
居住区での火災に配慮し、火の使用は極力控えるように達しが出た。
・・・寒い。
このままでは凍死者が出るのではないかと、心配になってくる。
原城の周りには、老中松平信綱が率いる幕府軍12万が待機し、一揆軍に睨みを聞かせていた。
原城の警備を担当している兵の話では、攻撃を仕掛けてくる訳でもなく、ただ遠巻きに待機しているだけだという。
そう、兵糧攻めだ。
「今日の海藻当番はどの隊だ?」
浪人衆の一人が声をかけた。
原城に持ち込んだ兵糧は既に底をつき、随分前から原城の裏手の崖を降たところで取れる海藻を食べて餓えをしのんでいた。
海水の冷たさは想像を絶する。
しかし、誰かが海に入らなければ、僕たちに待っているのは餓死だけだった。
「有家様。」
有家監物の側近のひとりが、何かの紙を持ってきた。
「どうした?」
有家監物にそう問われた側近が僕の方を見て、口籠る。
あぁ、そうか。僕は聞いてはいけない話なのだな。
「構わん、ここにいる皆は運命共同体だ。」
側近を叱咤する有家監物。
「はっ、それでは。幕府との内通者が現れました。」
辺りが凍りついた。
「誰だ?!」
「山田右衛門作でございます。」
山田右衛門作?天草四郎の側近じゃないか?!
暗雲が立ち込める気配がした。
山田右衛門作。
もともとは絵師であったが、学問に秀でていたので一揆軍で重宝され、天草四郎の側近として使えるようになった者。
山田右衛門作の裏切りは一揆衆に少なからず動揺を与えていた。
「山田さん。」
僕は地下牢に来ていた。山田右衛門作と話をするためだ。
「お前は・・・確か有家監物のお気に入りだったな。」
手枷・足枷をはめられ、地下牢の奥に座り込んだ山田右衛門作が顔を上げた。
海が近いからなのか、それとも地下牢というものはどこでもこんなものなのかは分からないが、ここは酷くカビ臭く、ジメジメしていた。
「それで、有家監物のお気に入りが何の用だ?」
そうだ、僕はこの裏切り者に一言文句を言ってやろうと思って、地下牢にやってきたのだ。
「山田さん、何て事をしてくれたんだ!あんたのせいで僕たちは窮地に立たされている!」
僕の声が地下牢に響き渡った。
幸い、他に幽閉されている人はいないので、誰かに迷惑がかかるといった事は無いだろう。
「あなたには信仰心って物は無いのか?仲間を犠牲にして、それでも平気なのか?」
僕は一気にまくし立てた。
「名前は甚太・・・だったか?」
僕は無言で頷く。
「俺は口之津村の出身だ。」
山田右衛門作が静かに口を開いた。
「キリシタンは多かったけどよ、幕府に立てつく気なんて無かった村だ。」
山田右衛門作が天を仰ぐ。
「ところが、突然、一揆軍が来てよ、一揆に参加しないと家を焼くって言ってきたんだ。しかも妻と子供を人質に取ってだ。」
何だって?!
そんな話は初耳だ。
「どうした?驚いた顔して。知らなかったか?まあ、常に有家監物と行動しているお前にそんな事を言う奴もいないか。」
一揆衆って言うのは、幕府に不満を持ったキリシタンの集まりなんじゃ無いのか?
一揆に参加しないと家を焼くなんて言われて、強制的に参加させられるなんて許される事なのか?
信じられない事実を突きつけられ、僕の頭は何も考えられなくなっていた。
「あとよ、気になってたんだが、甚太は本当にキリシタンなのか?さっき信仰心がどうの言ってたけどよ、お前の言うこと全てが薄っぺらい気がするんだよ」
僕は絶句した。
確かに僕はキリシタンでは無い、さっきは勢いで信仰心という言葉を使ったが、信仰が何なのかも正直分かっていないというのが事実だ。
「この戦は勝ち目がない。だからよ、俺は矢文にこう書いたんだ。一揆衆の中には強制的に参加させられている者も多い。その者たちの命はどうか助けてくれないかってな。」
もう、どっちが正しいかなんて分からなくなってきていた。
重税を課す幕府も、
脅して膨れ上がった一揆軍も、
自分たちだけ助かろうとする山田右衛門作達も。
どうして、皆が思いやりを持てないのだろうか。
「甚太は何の為に戦ってる?」
何の為に?
「・・・信仰・・・の為に。」
信仰?自分でもおかしな事を言っていると思う。
ただ単に周りに流されているだけでは無いのか?
「信仰?まあいい。俺はよ、妻と子供の為に戦っている。その為だったら何だってしてやるよ。」
この男の目には覚悟があった。
僕は・・・何の為に戦うのか。
しかし、山田右衛門作の妻子は、見せしめの為すぐに処刑されることとなる。
僕はその後、地下牢に顔を出すことはできなかった。
「ありったけの弾薬を持ってこい!」
山田右衛門作の裏切りがあった一週間後、突如、幕府は総攻撃を仕掛けてきた。
有家監物の天草筒が火を吹く度に、城壁に押し寄せた幕府軍が一人、また一人と倒れていく。
「くそっ、弾薬もあとこれだけか。」
残り僅かとなった弾薬を見て、有家監物が苛立ちを顕にした。
「有家様、海からも幕府軍が。」
伝令の言う通り、原城後方の海上に多くの帆船の姿が見えた。
「甚太はここで待機、四郎様をお守りしろ。好次!忠右衛門!討って出るぞ!」
包囲され、籠城は難しいと悟った有家監物は、同じく一揆軍武将である、益田好次と蘆塚忠右衛門を従え、幕府軍の中に斬り込んでいった。
僕は急いで城壁から顔を出し有家監物の姿を探すが、入り組んだ原城の防壁に阻まれ、姿を見つけることはできなかった。
有家監物の進んだ先で、一際大きな歓声が上がったような気がしたが、それが何なのかを確認するすべは無い。
ただ、主人を無くした天草筒が僕の足元に転がっているだけだった。
「甚太、私はどうすれば良いのだ?」
そう声をかけてきたのは、天草四郎だった。
一介の農民である僕にそれを聞くのか?
怒りを通り越して、ただ呆れるしか無かった。
「有家監物も行ってしまった。もう頼れるのはお前しかいないのだ。」
情けない。
こんな情けない奴に皆は救いを求めてきたのか?!
幕府軍の喧騒は、すぐそこまで迫ってきていた。
――何の為に戦うのか。
今になって、山田右衛門作の言葉が重くのしかかってきた。
何の為か?
知らない!そんな事は知らない!
でもやってやるよ!
天草四郎を守れば良いんだろ?!
僕は城壁近くに落ちていた天草筒を拾い、火薬と弾を込めた。
ありったけの弾を持ち、幕府軍が攻め込んでくる通路に立ち塞がる。
ははっ。
今の僕、ちょっとカッコいいよ。
見えた、幕府軍だ。
狙いを定め、引き金を引く。
今まで体験したことのないほど大きな衝撃を受け、僕は尻もちをついた。
当たったか?
分からない。でも確認している暇はない。
再度、火薬を詰め、弾を込める。
幕府軍まであと数メートル。
狙いを定めて、引き金を・・・。
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