第51話 調理班

「普段はどのようにして水を確保しているのですか?」


「テルストロイでクエスト発注して、樽に浄化魔法を付与できる冒険者を雇うのさ。一度樽に浄化魔法を付与すると、その中に入れた水は樹海の泥水でもあっという間に真水に変えてくれる。Cランクの冒険者を雇えば1ヶ月、Bなら3ヶ月、Aランクなら6ヶ月は持つね。移動費が馬鹿にならないから、大体Aランク冒険者を雇うようにしてる」


「失礼ですが、費用はどのくらいで?」


「移動費が金貨30枚。Aランク冒険者で大樽の付与魔法の更新が一樽金貨50枚。ウチは18樽あるから半年で金貨900枚。一年で金貨1800枚が水代で消えるね」


 現状把握に努めるエリス様は、メリダに質問を繰り返す。

 駆け上がるのが早かった神童の集いだが、Aランク期間は4ヶ月ほどあったので記憶にも残っている。Aランク冒険者の1日拘束費用は金貨3枚程、首都マディスカルからここまでは約300キロ、足元の悪い樹海の道に加え、Bランクモンスターも多発する地域であることを考えれば移動費の金貨30枚は良心的な値段と言えるだろう。

  でも魔法付与が総額で金貨900枚って……。Sランク討伐クエストでも平均は金貨700枚程度で、そんな報酬はなかなか貰えない。「浄化魔法の更新」なんて、王都のギルド本部ではそんな依頼書は見なかった。きっとテルストロイでは人気の恒例クエストになっていて、王都に依頼書が届く前に地元の冒険者に取られてしまっていたんだろう。


「なるほど。そうなんですか」


 拍子抜けな顔をするメリダは「そんなに高いんですか!?」という聖女様も取り乱す反応を期待していたのだろうが、相手は一国の王女。たった半月の亡命援護の報酬として金貨1000枚をポンと出す人である。いくら多額の値を言ったところで王国の財産に比べれば、雀の涙にも劣る泡銭。エリス様は庶民に寄り添う良心を持った御方だが、金銭感覚においては些かズレが見られるし、きっと金貨1万枚以下は大差を感じないのだろう。


「水が無い苦しみは、経験の浅い私でも知っております。我慢できるの2、3日だけ。まずは水の採取を優先しましょう。バーベルさん、ダンジョンの解決策はそちらで少し考えておいて貰えますでしょうか」


「ああ、わかった」


 人の体の半分以上は水で補われている。水源確保を優先させるのは正しい判断だ。ほんの少しのサバイバル生活だったが、その経験は将来人の上に立つ可能性のあるエリス様にとって良い体験になったようだ。


「普段はどこから水を汲んでくるのですか?」


「樹海に入って5キロぐらいの場所に川がある。魔物の毒素で腐敗したドブの川だ」


 狩猟班のモーガンが答える。川まで水を汲みに行くのは狩猟班の役割の一つ。彼らは水の入った重い鉄の鍋を肩に担いで、一日中、何度も川とローデンスクールを往復している。付近の樹海を知り尽くした狩猟班だ。そこ以外から水を汲んで来ないということは、他の水源も全て汚れて居るんだろう。


「ドブ……でございますか。……一体どうすれば」


 エリス様は顎に手を当て、真剣に考え込んでいる。

 この御方は……まだ自分が持っているスキルを把握していないらしい。スキルは覚えるだけでは無く、使わなきゃ身につかない。言語と同じように、目には見えないものだからこそ、定期的に使わなきゃ発動のコツも忘れてしまう。常日頃から発動を積み重ねる事で、いざと言う時にも、手足を動かすように有効な自分のスキルが即座に思い浮かぶようになるものだ。

 一度、エリス様が習得しているスキルを全部聞いておいた方が良さそうだな。そして、毎日一回はスキルを使ってもらって、自分の力を完璧にものにしてもらおう。


「エリス様……」


「はい」


「エリス様は確か、浄化魔法が使えるはずでは?」


「……あ」


 エリス様は自身の不手際を知り、顔を赤らめた。どうやら本気で忘れていたらしい。


「お前!? 浄化魔法が使えるのか!?」


「流石は聖女様だね!」


「聖女様はこの街に舞い降りた女神様です!」


「……し、しかし、どれ程の効力があるのか私自身、不確かな事ですので、あまり過度な期待はしない方が……」


「無いよりはマシだ。とりあえずやって見せろ」


「ど、どのように披露すれば、よろしいのでしょうか?」


「俺たちがドブ川から水を汲んで、樽を一杯にする。お前はそれを浄化すりゃいいだけだ。ちょっと待ってろ」


 狩猟班のリーダーが率先して作戦を立て、すぐに頭領の部屋から出ると、ワモンもバーベルもついて行った。


「エリス様、僕も手伝いに行ってきます」


「そうですか。では、よろしくお願いします」


 水の確保は急務。狩猟班、クエスト班、ダンジョン班が総出で集まり、計4万人が川とローデンスクールの間で二列に並び、壮大な鉄鍋リレーが始まった。僕も列に加わり、右から来た鉄鍋を左の人に受け渡してく。単純作業に役立つスキルなんて、僕は持っていない。いくら弓が使えようが、こんな時には何の役にも立たない。


「ケイル! テメェは魔物を見張ってろ! そっちの方が楽だぞ!?」


「いえ、僕はこっちで頑張ります!」


 狩猟班の精鋭たちは、魔物が来ないように周りを見張っている。確かに魔物を警戒している方が、僕の能力を活かせるかもしれないが、見張り役は毎日の日課で事足りてる。大変でも、身体を動かしているほうが働いてる充実感があって僕は好きだ。


「すげぇなケイル! 疲れねぇのか!?」


「魔力で体力を補ってるんですよ」


「はぁ。そいつは便利だなぁ」


 一人、また一人と疲労に音を上げ交代していくなか、僕だけが代らずにリレーに参加し続けていた。みんなからは賞賛の声を貰ったが、魔力を消費して体を支えているだけなので、なんだかズルしているみたいで申し訳なくなった。

 日が沈み始め、空にオレンジ色が混じってきたころ。モーガンの号令で、3時間ほど続いた総出の水汲みは終わった。リレーに使った鍋だって一杯でも結構な量の水が入るのに、永遠と続くから、一体貯水用の樽はどれだけ大きいものなんだと怖くなった。


 ローデンスクールへ戻る道すがらに落ちる水滴の線を辿ると、調理場の奥にある大きな空間に出る。鉄板を継ぎ合わせて出来た大樽は全長10メートル、直径10メートル程もあり、それが6基ごと3列、計18基並んでいた。自分が想像していたものより3倍は大きく、その迫力は地下神殿のように神々しさえ感じる貯水室となっていた。

 この大きさの器に付与しようと思ったら、途方もない魔力と時間が必要になる。浄化魔法の付与に金貨900枚は法外だと思っていたが、どうやら妥当、いや、逆に良心的な報酬額だったようだ。


「ご苦労様です。ケイル」


「エリス様」


 主人の労いの言葉に、僕は軽く頭を下げる。貯水室にエリス様が到着し、いよいよ浄化の効果を見定める時が来た。

 巨大な樽に水を入れる為、縁の高さに合わせて階段付きの足場が組まれているが、少し錆びついているせいか、一歩一歩で「キィキィ」と音を立てるので、エリス様は手すりを放すことなく歩いていた。


「あれ? 空だ……」


「暗くなっちまったからな、満杯に出来たのは三つだけだ」


 結構頑張ったつもりだったのに、結局汲んだ水は大樽3杯にしかならなかったのか。モーガンの声に、僕は一人で気怠くなる。


「見ろ、水の濁りが消えねぇ。この樽はもう浄化の効力が切れたんだ」


 手前の4基が空。泥水を満杯にした樽が3基、少し泥水が入っている1基。透明な水が半分入った樽が1基。残りの9基には、覗かなくても魔光石の光が反射していて、真水が張っているのが見えた。


「残りの樽も、もう浄化の効力はねぇだろうな。その9杯の大樽が、最後の水だ」


「……なるほど」


 突如、足場がガタンガタンと揺れ、僕は慌ててエリス様を支えた。


「どうだい? 出来そうかい、エリス」


「バカが! テメェは登ってくんじゃねぇババァ!」


「あら、ここを管理してんのはアタシたち調理班よ? 見守るのは当然でしょうに」


 ふくよかなメリダが歩行すると、足場が悲鳴を上げていたが、暫くすると揺れは収まり、なんとか持ち堪えてくれたみたいだった。


「エリス様。エリス様の浄化魔法は刻印術式でございますか?」


「い、いえ。違います……」


「刻印術式? なんだそりゃ」


「魔法スキルには大まかに発動術式と刻印術式があります。刻印術式は魔法陣を記すことで、注いだ魔力に応じて付与効果を持続させることができますが、発動術式は、発動している間のみ効力を発揮します。つまり、水が無くなったら、その都度、エリス様が浄化しなくてはいけないということです」


「……そりゃ、大変な事なのか?」


 素朴な質問に少しの沈黙が流れる。魔力を使わない人たちには、一般的な魔力消費の度合いや、枯渇症の苦しみは分かり難いものだろう。それは仕方のないことだった。

 この泥水を汲んだ本人だからこそ、樽の中に入っている水の量の異常さは分かる。一つ銀貨2枚程度の携帯浄化水筒、一万杯分はあるんだ。見ているだけでも、大変さが予想できる。


「な、なんとかやってみます」


「よろしくね、エリス。無理はしないでね」


「は、はい」


 エリス様は深呼吸して息を整え、茶色い水に手を翳し、目を瞑って集中する。


「【聖霊の息メルトゥークス】」


 虹色の霧が僕らを包み込むよに渦を巻くと、樽の中の水が光り輝き、ドブ水だった茶色があっという間に透明な真水に変わってしまった。


「流石は聖女様ね!」


「おお! やるじゃねぇか!」


「あ、ありがとうございます」


 モーガンに背中を叩かれ、エリス様は嬉しそうに笑みをこぼす。しかし、その表情とは裏腹に、呼吸の乱れや瞳孔の収縮が見られる。


「おい!? こっちも見ろ! ちゃんと浄化されてるぞ!?」


 横を見ると、泥水が満杯だった3基の中身全てが、真水と化していた。僕は浄化魔法を使えないから詳しくは分からないけど、レイシア様が泥水を浄化させた時は、普通の鍋一杯分でも10秒ぐらいはかかっていたのに……。

 エリス様の浄化魔法は、何か特別な魔法スキルなんだろうか。それにしも、この力は異様な気がするけど。


「大丈夫ですか? エリス様」


「……ええ、大丈夫……です」


 エリス様は冷や汗を流し、肌の血色を急激に悪くさせた。ふらついた体を抱き支える。閉じた瞼を指で開くと、瞳の中の淡い緑色の光が強くなり始めていた。枯渇症の症状だ。

 使い慣れていない魔法は、発動に余計な力みを生み、必要以上の魔力を消費することが多々ある。でも、それにしたってこの人は、全くもって魔力の使い方が極端過ぎる。張り切り過ぎてしまう性格が見て取れるが、今の段階では魔法の使い方が下手と言わざるを得ない。


「エ、エリス!? ……ケイル!? エリスは大丈夫なの!?」


「少し魔力を使い過ぎただけです。すぐに治療班のところに連れて行きます」


「す、すみません……」


「謝ってんじゃねぇよ。テメェは良くやった。いいか、ちゃんと休めよ!? ちゃんとだからな!?」


 謝罪するエリス様をモーガンは責めない。エリス様は身動き一つ取れないほど衰弱しきっている。貧血のように体の血の気が引いて悪寒を感じたり、脱力してしまうのも枯渇症の症状。医療班の所までは僕が抱えて連れて行く必要があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る