第24話 決意のプロポーズ


いつものようにコックとしての仕事を終えてから女性に食事を奢ってもらい帰宅した。

自宅でのんびりしていると、部屋のドアをノックする音がする。

夜にこの部屋のドアをノックするのは、ほぼ用心棒の依頼だ。

用心棒の仕事にしては少し時間が早いが、そういうこともあるだろう。

そう思って私は、刃物除けのための小手を付けてから扉を開けた。


しかし、そこに立っていたのは用心棒をしている店の店員ではなく、貧民街には場違いな豪奢なドレスを着た貴族女性だった。


「どちらさ……」


途中まで言い掛けたが、私は驚愕のあまり言葉を失う。


彼女の複雑に編まれた髪は、つややかな銀色だった。

私を見るなり涙をあふれさせたその瞳は、若草色だった。

セブンズワース家の義母上ははうえによく似た、優しげで儚げな美しい顔立ちだった。


私を目にするとすぐ、彼女はぽろぽろと涙をこぼし始める。

そして涙をこぼしながらも、まばゆいばかりの歓喜の笑顔を浮かべる。


「ジーノ様……」


呟くようにそう言うと、アナは飛びつくように私に抱き着いた。


「アナ……スタシア様?」


「アナとお呼び下さいませ」


グスグスと泣くアナは、私に抱き着いたまま答える。


「いけません。お離れ下さい。

あなたは将来王妃となられる身。

このようなことをしては醜聞となります」


さすがに平民と貴族女性では身分が違い過ぎる。

身分差故に強引に引き離すことが出来ず、私は離れるようアナに言う。


「王妃になどなりません!」


「え?」


「――幸せになることを諦めるな――

ジーノ様は以前そうおっしゃいましたよね?

ですから、わたくしは諦めませんの。

ジーノ様のお心をもう一度掴んでみせますわ」


アナは私に抱き着いたまま会話を続ける。


「しかし……アナはもうその姿になっているのだから……」


今のアナなら、結婚に何一つ障害などないだろう。

全身のこぶも消え、美貌で知られた義母上ははうえに似た美人だ。

王妃にはならないとしても、大スキャンダルを起こした平民の私などを婚約者に選ぶ必要などない。


いや、選んでしまうのは悪手でしかない。

不幸になるだけだ。


「その、容姿は大分変わってしまいまして……

ですが、大丈夫ですわ。

この容姿がお嫌いなら、元の容姿に戻すことも出来るのです」


「は?」


「医師からお聞きしたのです。

奇病のこぶを取ることは難しいのですが、こぶを作ることは難しくないと。

皮膚の下に針で液体を入れるだけでいいそうですわ。

緑色の肌も入れ墨で再現出来るそうです。

元の容姿になら戻れますので、もう一度ジーノ様のお好みの容姿になりますわ」


呆気に取られて言葉もなかった。

なんということだ。

アナは、私のためなら元の容姿にだって戻すと言っているのか。

その容姿のために君は相当苦労したのではないのか。


醜い容姿であることの辛さは、痛いほどよく分かる。

その苦労を私のためにするつもりだと言うのか。


アナへの想いが濁流となって私の理性を押し流す。

手が震え、自然に涙があふれる。


「そんな必要はない!

君がどんな容姿だって良い!

どんな容姿でも、私は君を愛しているのだ!」


強烈な感情は私の口からあふれ、私は想いをそのまま怒号のようにき出してしまった。


言ってから気が付く。

大失態だ。

想いの激流に呑まれ、つい言うはずではなかった言葉を口にしてしまった。

相変わらず私は、アナのことになると感情的になり過ぎてしまう。


「ジーノ様……」


感極まった顔でアナが顔を上げて私を見上げる。

少しは収まった涙がまた堰を切ったかのようにあふれ出し、涙で美しく輝く目を私に向けている。


抱き締めてしまいたい。

唇を重ねてしまいたい。


だが、ここで私がほだされては駄目だ。

それは彼女のためにならない。

王妃の座さえ望めば得られる筆頭公爵家の令嬢が、貧民街で暮らす平民を伴侶に選ぶなどあってはならない。

まだ失言は挽回出来るはずだ。


私はアナを引き剥がす。


「アナ、君を心から愛している!

だから!

だから私では駄目なのだ!

君は公爵令嬢で私は平民だ!

天と地ほどの差がある!

君には、輝かしい未来が待っているんだ!

私のことなど忘れて、君は栄光の道を歩くべきだ!」


「ジーノ様は、平民ではありませんわ。

バルバリエ家は勘当処分を取り消されました」


泣き笑い顔でアナが言う。


「え?……なぜ?」


話に付いて行けていない。

バルバリエ家が勘当処分を取り消す理由などないはずだ。


「それはもちろん、セブンズワース家からの要請です。

セブンズワース家は、ジーノ様とわたくしとの再度の婚約を望んでいるのですわ」


「は?」


あれだけのことをしておいて、なぜ結婚を許すことになるのだろうか。

そもそも貴族社会での私の評価は地に落ちているはずだ。

悪評に塗れた私との婚約を、公爵や義母上ははうえが許すことなどあるのだろうか。

私はセブンズワースの家門を公然と侮辱したのだ。

貴族らしい貴族であるあの二人が、家門への侮辱という貴族の名誉に関わることを赦すとは思えない。


だが、赦したとしても関係ない。

第一王子殿下は、見目麗しく、最高の身分もあり、女性の扱いにも長けた方だ。

彼女いない歴が一世紀にもなる駄目な男と結婚するより、アナはずっと幸せになれるはずだ。

そう、これがアナの幸せなのだ。


「それでも、君はやはり王子殿下と結婚するべきだ。

私と結婚するより、君はずっと幸せになれる。

だから、私は君と復縁するつもりは一切ない」


目に強い光を宿らせ、何かの覚悟を決めたような顔になるとアナは私の前で跪く。

何をするつもりなのだ?

そしてアナは、私の手を取って手の甲にキスをする。


「結婚して下さいませ。

ジーノ様を必ず幸せにすると約束します。

だから、ご自分の幸せを諦めないで下さいませ」


(っ!!!)


アナがしたのは求婚の作法だった。

だが、この求婚の作法は男性が女性に対して求婚するための作法だ。

この国では女性から求婚を申し込むことが許されていないので、女性向けの求婚の作法は存在しない。

だからアナは、男性向けの作法で私に求婚したのだ。


女性が男性に求婚することが認められないこの世界で、

それをするには、どれほどの勇気と覚悟が必要なのだろう。

ますます涙があふれる。



限界だった。 



もうこれ以上、自分の心を偽ることなど出来なかった。

跪くアナを抱き上げ、そのまま強く抱き締めて唇を重ねる。

爆発するかのような激情のままにアナと唇を重ねる。


「すまなかった、アナ。

もう一生君を離さない」


「はい。生涯ご一緒させて頂きますわ」


涙をこぼしながらも、夢でも見ているかのようなとろけた笑みを浮かべ、アナはそう言う。

私たちはもう一度、唇を重ねた。

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