第4話 侯爵令息へ

公爵の一声により、アナスタシア様との二人での庭園散策は中止となった。

私とアナスタシア様は、両家両親とともにまた応接室で細かい打ち合わせをしている。


話し合いの席でアナスタシア様がちらちらとこちらを見ていることに気が付いた私は、視線を感じたタイミングでアナスタシア様の方を見て目を合わせてみた。

目が合ったアナスタシア様は、真っ赤になってうつむいてしまう。


可愛い。


思わず顔がほころぶ。

じっと見詰めていると、うつむいたアナスタシア様は私の視線に気が付いたのかちらりとこちらを見る。

今度は驚いたような顔をして、さっきよりも顔を赤くしてまたうつむく。

さっきは素面の顔、今回は笑顔だけど、なぜ驚いたのかは分からなかった。


そんな私たちを公爵夫人はニマニマと笑いながら、公爵は苦虫を噛み潰したような顔で見ていることに気が付いて、私は慌ててアナスタシア様から目を逸らした。


とりあえず婚約は正式なものになった。

私達からしたら公爵家から書状が届いた時点で本決まりだと思っていたから、書面を交わす等の事務手続をしたくらいで、これは大した問題ではない。


私にとって影響が大きかったのは、別の家に養子に行くことになったことだ。

流石に子爵家と公爵家では身分が違いすぎるので、一度戸籍ロンダリングが必要だったのだ。


とはいえ、養子縁組は婚約以上に手続に時間がかかるので、私が家を出るのは少し先の話になる。

私は、家を出る前に自分の商会の本店をアドルニー領都から王都へと移すことにした。

養子縁組後、私の拠点が王都になる予定だからだ。


どうやら公爵は、当家への婚約の打診と同時に養子を受け入れてくれる家にも打診をしていて、既に受け入れてくれる家は決まっているらしい。

後は事務手続を残すのみとのことだ。

私の住む予定の場所はその家がいくつか持つ屋敷のうちの一つ、王都貴族街の屋敷になる。




「手紙を書きます」


セブンズワース一家の見送りに来ていた私は、一家が馬車に乗る直前でアナスタシア様にそう言った。


「わ、わたくしも……」


またも顔を真っ赤にして、消えそうな声でアナスタシア様は言う。

実際、最後の方は消えてしまい聞き取れなかった。


可愛らしい。


「可愛い」と思う感情は、容姿の美醜とは関係なく仕草や表情を見て生まれる感情なのだろう。

今日アナスタシア様を見ていて、それに気が付いた。

アナスタシア様は、その所作や表情から純真さや心優しさがにじみ出ていて、素直に可愛いと思う。


「ふふ。

ジーノリウスさん。娘をよろしくお願いしますね」


ニコニコと笑顔を浮かべる公爵夫人がそう言う。


「はい。こちらこそ末永くよろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いします」


私が公爵夫人に答えると、アナスタシア様から言葉が返って来た。

またも蚊の鳴くようなか細い声だった。


そんなやり取りを最後にしてセブンズワース一家は帰って行った。



◆◆◆◆◆



それからアナスタシア様との文通が始まった。

綺麗に並ぶ彼女の美しい字は、彼女の人柄を表すようだった。

話題も豊富で、話の組み立て方も分かりやすくて面白い。

そして陽だまりのように暖かで穏やかな彼女の人柄が、その手紙から伝わって来た。


私はあっという間に彼女との手紙のやり取りに夢中になった。

彼女の住む王都からここアドルニー領都まで普通郵便なら五日前後。

だけど高額な速達料金を払えば一、二日で着く。

私は商会経営者で、彼女は公爵令嬢だ。

お互い速達料金を払えないほどお金には困っていなかった。

私達は速達を使いまくってかなりの頻度で手紙をやり取りした。


親族以外の同年代の異性、つまり恋愛対象となる異性との交流は、前世含めて人生初だった。

婚約者がいて、しかも頻繁に手紙をやり取りするのだから、これはもうリア充と言って差し支えないだろう。


前世では、リア充達が他愛もないやり取りをするのを横目で見て「ふん。時間を無駄に使っているだけだ」とか心の中で思っていた。

前世のリア充の皆さん、ごめんなさい。

他愛もないやり取りがこんなに素晴らしいものだと知りませんでした。



◆◆◆◆◆



結局、王都に来るまでに二ヶ月かかった。

今の私は、ジーノリウス・アドルニーではなくジーノリウス・バルバリエだ。

子爵家の四男から侯爵家の二男になった。


侯爵家の養子になってからすぐ、婚約式がセブンズワース家の教会で執り行われた。

上級貴族になると、自宅に教会まであるようだ。


我がアドルニー子爵家の面々も婚約式には参加した。

彼らは、自宅敷地内に立派な教会どころか、音響を計算し尽くした贅沢な歌劇場等各種施設まであり、更に居住区には本館以外にいくつもの別館があることにビビりまくっていた。


かくいう私もビビった。

およそ三人家族が住む家ではなかった。


婚約式と言っても、結婚式ではないので誓いの言葉もないし新郎新婦の誓いのキスもない。

両家が向かい合って挨拶をして、神父立ち会いの元で何枚かの書類にサインするだけのものだ。

法的にも宗教的にも結婚前なので婚約者同士の接触はなく、言葉のやり取りも初対面の挨拶とほとんど変わらなかった。


それから私は、バルバリエ侯爵家で暮らし、セブンズワース公爵家に通う毎日となった。

婚約するだけなら書類上でのみ養子になればいいけど、そうなると家名を貸すバルバリエ家には旨味が少ない。

バルバリエ家が養子の話を受けたのは、将来公爵家の中心となる私との人脈作りのためだ。

だから今の私は、バルバリエ家で暮らしてバルバリエ家の人たちとも親交を深めつつ、毎日公爵家にも通って公爵家運営のための知識を教えてもらっている。


公爵家の運営には領地経営以外に王政への関与なども含まれるため、知らないことの方が多かった。

それ以外に、上級貴族に必要となるマナーや教養はバルバリエ家で教えを受けている。


バルバリエ家での上級貴族教育に、セブンズワース家での公爵家運営教育、更に商会経営者として商会にも顔を出さなくてはならない。

王都に来るなり、かなり多忙な生活になってしまった。


私がアドルニー家の財政を立て直したのはバルバリエ家の当主も知っていたようで、バルバリエ家でも領地経営について意見を求められたりしている。

私の献策を義父上ちちうえ義兄上あにうえはいつも感心してくれ、褒めてくれる。

そんな訳でバルバリエ家との関係も良好だ。


バルバリエ家の子供には、嫡男の義兄以外に二人の義妹がいる。

実姉とは違い、間違っても廊下を走ったりなどしないお淑やかな少女達だ。

上級貴族らしい品のある落ち着いた口調で「お義兄様にいさま」と義妹から呼ばれると、何か別の世界の扉が開きそうだった。


毎日のように公爵家に顔を出すので、私は毎日のようにアナスタシア様と話をした。

婚約式の日に敬語を使わないでほしいと言われたので、今は敬語無しで話している。


呼び方も彼女は私のことをジーノと、私は彼女のことをアナと愛称で呼び合うことになった。

初めて私を愛称で呼んだときの彼女は、真っ赤になってしまい、とっっっても可愛かった。



◆◆◆◆◆



「そんなにわたくしの話ばかりでは、飽きてしまわれませんか?」


やはり私は恋愛対象となる女性との会話スキルが低いようだ。

ついアナを質問攻めにしてしまうことがよくある。

その日もつい興が乗って質問しまくってしまい、そんなことを言われてしまった。


「飽きることはない。

好きな本、いいと思った帽子、お気に入りの靴。

アナが何を思っているか、何に喜んだり何に悲しんだりするのか、何が嫌なのか。

アナのことなら何でも知りたい。

私だけが知っているアナをもっと増やしたい。

そう思っている。


とはいえ、質問攻めにしてしまってすまない。

どうしても君の心に近付きたいという衝動が抑えられなかったのだ」


自分の気持ちを素直に吐露して、私は反省した。


前世の経験から、容姿はやがて衰えて朽ちることを知っている。

学内一の美少女だって、老いれば普通の老婆だった。

だから私が近付きたいのは彼女の心だ。


彼女の心は実に好ましい。

その美しさをもっと知りたい。

心の形をもっと深く知り、その成長と変化をつぶさに把握したい。

なぜこんなに知りたいのかは分からないが、そこに理屈はないのだと思う。


でも彼女の言葉を受けて、知りたいという自分の気持ち優先じゃ駄目なのだと分かった。

彼女が楽しいと思える話をするべきだったのだ。

前世で八十二年、今世で十六年生きた中で初の婚約者ということで浮かれている自覚はある。

つい浮かれてしまい暴走してしまったのだと思う。


心の中で反省しながらふとアナを見ると、なぜか真っ赤になっていた。


「アナ? どうした? 顔が赤いぞ?

熱でも出たのか?」


会話の流れからして、アナが顔を赤くする場面ではない。

それなのになぜか顔を赤くしていたから、私は心配になって尋ねる。


「あ、あの……そこまでわたくしに興味をお持ち頂けたのが嬉しくて、それで……胸がドキドキしてしまいまして」


なんて可愛らしい。

私は抱き締めたくなる衝動を必死で抑えた。

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