ブルーサファイアの死神
染井雪乃
現在、とある個室にて
憂鬱、その名は伊月直
カツカツとヒールを鳴らして廊下を歩く、
この面談を水無月は十年も前から嫌っていた。子ども相手に手が出る相手ではなかったし、そういった倫理規定の面においては、この組織において誰よりも厳しくあるのが、この相手の特徴だった。潜在能力者研究機関、監視者。非能力者であっても、能力者であっても、倫理観などというものは歪みがちな組織において、誰よりも厳格に、強固に、倫理規定を含めたルールを運用する。そういうところが、水無月は昔も今も、会ったときから、ずっとずっと大嫌いだ。
メッセンジャーで指定された通りの部屋の前にたどり着くと、水無月は深呼吸をする。
第一に、相手のペースに乗せられてはいけない。
第二に、相手の望む答えを探っても無駄だ。
第三に、何も意味をなさない。
絶望でもって、水無月悠は、部屋の中の人物にへし折られてきた。この面談の度、否が応でも水無月は自身の無力さを噛みしめることになる。無力さを感じて、水無月は何度だって、世界を呪うのだ。無力さを思い知らされるこの時間は、ひたすらに水無月を苛んでいる。
後ろで括った髪を指に絡めて、もう一度深呼吸をする。これは、この面談に挑む前の儀式のようなものだ。この儀式じみた行為も、耳のいい相手には、知れたことであるかもしれないし、せめてもの情けとして水無月がドアを開けるまでは音楽でも聴いていてくれているかもしれない。どちらにせよ、この行為はもう知れたこと。
俺が嫌がっているのも、何もかもわかっていて、あの人は俺と絶対に距離を置かない。それは、まるで、呪いそのものだ。
呪いなんて非科学的なものが存在しうると思ってもいないが、水無月はこの相手に関してだけは呪詛を吐く。吐いたところで、死にもしない相手だ。刺されたって、きっと死なないだろう。本当に刺されてしまえばいいのに。
水無月は、覚悟を決めて、ドアを開けた。
「来たな」
真っ暗な部屋から、低いけれども女性と判別できる声がした。水無月はこの声が、心底嫌いだ。
ピッと音がして、真っ暗だった部屋に光量五〇%ほどの照明がつく。水無月も面談相手――
部屋の中では、伊月が一九〇センチ以上ある長身をグリーンのキャスターつきの椅子に収めて、紅茶を飲んでいた。伊月の机の上には、大量の紙の資料とタブレット、それから本だ。伊月も長い髪を束ねているが、それは顔の右側に沿うようになっており、一昔前のアニメの母親を思い出させた。もっとも、伊月に母親など、似合いもしないし、今日は組織内での仕事を行う日だからこその、そのファッションなのだろう。その他はいつも通り、動きやすそうな黒のパンツに、Yシャツを着ている。Yシャツと同化するほど白い髪が伊月の動きに合わせて、水無月の方へと動いた。
「本日も、よろしくお願いします」
眼鏡を外し、伊月は立ち上がって、水無月の分も紅茶を淹れ始めた。手で、水無月には黒のキャスターつきの椅子を勧める。水無月も慣れた調子でそれに従った。
「……おまえは、何年経っても私の前が嫌なんだな」
表情を変えずに、声音だけで伊月は傷ついてみせた。
そりゃそうだろう、と水無月は思った。組織内でも有数の荒事に長けた女性、その上厳格とくれば、誰だって関わりたくないに決まっているじゃないか。ところが、意外と伊月は年下に懐かれやすいらしい。
「今日は、個室なんですね」
問いには答えず、水無月は伊月の意識を逸らそうと試みた。
「片付けなきゃならない事務仕事が残っていてな。おまえの面談は基本的には部屋を取りたいのだが、なかなかそうもいかなかった」
ため息をつく伊月の様子に、嘘偽りもない。この面談は仕事の片手間に、ついでのようにやるものではないのだと、伊月自身が何度もそう言っている。この面談のシステムを発足させたのも、伊月であるとの噂もある。
「別に、部屋を取ってもらうまでしなくても俺は構いませんが」
「私は構うんだよ。おまえ、何度この面談で暴れている。それに、物事にはそれに向いた環境があるんだ」
瞬間、水無月はつとめて穏やかに見せようとしていた表情に不穏な色を乗せてしまった。伊月はそれを感じ取って、その上で水無月を見つめ返した。
「暴れたのは、ずいぶん昔です」
「そうだな。もう、八年も前か」
しまった、と水無月は内心で舌打ちした。この時期には、伊月はいつもその話題を持ち出してくる。
お盆を控えたこの季節、水無月は親戚一同を死に至らしめた。
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