第10話 伯爵令嬢を雇ってしまった その2

 バートンが接触してきてから1ヶ月後、早くも面倒なことになった。


 いや、もはやこれは面倒とかいうレベルではない!


 レイチェルを解雇しなければ除名する――飲食業ギルドがそう宣告してきたのだ。


「どうするのですか!? 私以外の人をウェイトレスにしたから神がお怒りになったんですよ!」


 またしてもララが荒ぶる。


「お怒りになっているのは神様じゃなくて貴族様な」


 飲食業ギルドは冒険者ギルドに比べて政治的に弱いギルドだ。権力者の要求は飲まざるを得ないことが多い。


 しかし、困った。飲食業ギルドから追放された場合、この店は経営状態とは関係なく即終了なのだ。


「やっぱりもう一回冒険者に戻りますか? 私、エヴァンさんと一緒ならどこへでも付いて行きますよ!」


 ララはガッツポーツでやる気をアピールしてくれた。


 だが――、


「その場合、レイチェルは自動的に解雇することになるから、意味がない」


「そうでした! えへへへへへ」


 ララは照れ笑いをする。


「えへへへへへ――では、ないぞ」


「エヴァンさんはどうして私のためにそこまでしてくださるのですか? やはりワタクシが容姿端麗だからでしょうか?」


 お、おう……自分で言うのか……?


「そうなんですか、エヴァンさん?」


 なぜかララが睨んでくる。


「レイチェルが美人であることは否定しないし、雇っている理由の1つではある。だが、俺がレイチェルを解雇したくないは一番の理由は権力に屈したくないからだ」


「……わかりました。やはり、これ以上エヴァンさんにご迷惑をおかけするわけにはいきません。ワタクシは修道院に戻ります。ワタクシが自分で戻ればエヴァンさんが屈したことにはなりません」


「レイチェルさん、あなたの犠牲は無駄にはしません」


 どうやらララの中ではそれで解決らしい。


「待て待て、俺はそれを敗北と考えるぞ」


「私はエヴァンさんを尊敬していますが、上級貴族に勝てないのは仕方がないことですよ」


 と、ララは反論する。


 結局、Sランク冒険者とはいえ社会的存在である以上、できることは限られるのだ。ましてや、冒険者を引退して、大都市のど真ん中に店を開いてしまった俺では――。


 俺が腕を組んで唸っていると――、


「お困りですね。ウフフフフフ」


 陰湿な空気をまとってリネットが現れた。


「今日はもう閉店だぞ」


「今のエヴァンさんにピッタリの依頼を持ってきました」


「言っただろ? メニューにないものを注文しないでくれと」


 お決まりの文句を返すとリネットはニタァと笑った。整った顔立ちでそこまで不気味さが出せるんだから逆にすごいよ。


「この依頼への対応の仕方によってはレイチェルさんを修道院送りにしなくて済む、としたら?」


 ――リネットの一言で場の空気が一気に変わった。


「どういうことだ?」


「スプリングフィールドで“アリ”が出たんですよ。巣の規模はかなり大きいようです」


「なんだって!?」


 リネットのいう“アリ”というのは『ビッグアント』というモンスターを指す。こいつらは人間や家畜襲って食料とする忌むべき存在だ。普通のアリとの違いは大きさの他、中足と後ろ足による4足歩行であり、前足は人間のように腕として機能している。


「この討伐を取引に使います。エヴァンさんとララさんの参加条件をレイチェルさんの自由とします。もちろん、通常の報酬もいただきますよ。ウフフフフフ」


「つまり、伯爵に金を積ませておいてレイチェルも返さないということか!」


「ええ、そうですね……」


「おまえ……アリが出るってわかっていたのか?」


 だが――、


「まさか、そんなピンポイントで予想できるわけありませんよ。まぁ、何か取引材料が湧いて出ることを期待していましたけどね。ウフフフフフ」


「都合よく出なかったらどうするつもりだったんだ?」


「レイチェルさんを修道院送りにすればいいだけではないのでしょうか?」


 リネットはしれっと言う。


「おいっ!」


「冗談ですよ。積んでいただいたお金をお返しするだけです」


「なるほど。そこまで考えていたのか」


「はい。最初から突っぱねた場合は何も貰えませんからね」


 それで済むのは冒険者ギルドの政治力が強いからである。他のギルドではこんなセコイやり方はできない。いや、こんなことを平然とできるのはリネットぐらいだろうか。


「あとは相手がどれだけ早く交渉に応じてくれるかだな。早くしないと領民に被害が出る上に、仕入れにも影響が出るかもしれない」


「ワタクシのワガママのために領民に被害が出ることがあってはなりません」


 やはりレイチェルは人間ができている。そんな彼女だからこそ助けたいと思うのだ。


「もはやレイチェル個人の問題ではない。俺と伯爵の闘いだ。俺のワガママなんだ。それにレイチェルも付き合ってもらう。だからレイチェルが伯爵の要求を飲んだ場合、俺はスプリングフィールドを助けない。レイチェルは俺を軽蔑するか?」


「いえ、エヴァンさんはスプリングフィールドの領民に対して責任を負っていませ。ですから、責められるべきではありません」


「なるほど……。それでどうするんだ?」


「ワタクシは――修道院には戻りません。エヴァンさんはアリを倒してください」


「わかった」


「それでは伯爵に脅迫――ではなく要求をお伝えします。ウフフフフフ」


「しかし、俺たち以外の冒険者が片付けてしまったらどうするんだ? 騎士団が出てくるという可能性もあるぞ」


 そもそも飲食業ギルドから除名されてしまうかもしれないが、そこはうまく交渉して処分を遅らせるようにしよう。


「店を畳むか、レイチェルさんを解雇するか好きな方を選んでください」


 リネットはまたしてもしれっと言う。


「結局、そういうことなのか……」


 リネットは冒険者ギルドの利益を最大化することを考えている。そういう意味では優秀な人間だろう。


「まぁ、あそこのギルドはレベルが低いので期待できますよ」


「それは知っているが、嫌な期待だなぁ……」


「エヴァンさんやララさんのような神々にはわからないかもしれませんが、アレクシスさんたちって超ハイレベル人材ですからね。それを他所よそに逃してしまうなんて惜しすぎます。そして、その責任はエヴァンさんにあるのです!」


 ビシッと指を指されてもなぁ……。


「あいつらの性格が悪いのが悪い」


 というか、神々ってなんだよ……。


    *


 ――それから1週間後。


「よかったですね。レイチェルさんは自由です」


 リネットは閉店後の店にやって来るなりそう言った。


「どういうことだ?」


「スプリングフィールド伯爵が要求を飲みました。あとはエヴァンさんとララさんが“アリ”を駆除するだけです」


「ああ、俺たちが戦うのは変わらないんだな……」


 俺はちょっとガッカリした。


「当然じゃないですか。ウフフフフフ」


「まぁ、エヴァンさんにかかればアリぐらい楽勝ですよ!」


「それじゃ、冒険の準備をしないとな。やれやれ、また閉店するのか」


「大丈夫ですよ。ここより美味しい店はありますが、エヴァンさんより強い冒険者はいません。ウフフフフフ」


 悔しいが事実なので仕方ない。


「何を言ってるのですか? ここより美味しい料理を出す店があるわけないじゃないですか?」


 ララは一生懸命かばってくれるらしい。


「味はともかく、“元冒険者”、な? もう引退したんだ」


「私は認めてませんよ」


 リネットがジト~っとした目で俺を見る。


「どうしておまえの許可がいるんだよ?」


「許可がいると言っていませんよ。選択を誤ったと言っているだけです」


 Sランク冒険者の出す成果は大きいため、冒険者ギルドとしては簡単に引退してもらったら困るのだ。だが、そんなことは俺の知ったことではない。


「おまえだって引退したクセに……」


「私はAランクのザコだからいいのです」


「ワタクシはザコだったのですか……。自分ではちょっとは才能あるかなと思っていたのですが、思い上がりだったのですね」


 俺とリネットの茶番でレイチェルが落ち込んでしまったらしい。いちいち真に受けるなよ……。


「はい、ザコですからがんばってSランクを目指してくださいね。ウフフフフフ」


「おまえはSランクになる前に引退して事務員になっただろうが!」


「そうでしたっけ? ウフフフフフ」


「それで……ザコなワタクシで申し訳ないのですが、一緒に連れて行ってもらえないでしょうか? 故郷の危機なわけですし」


「アリの巣に入った経験はあるか?」


「2回あります」


「じゃあ大丈夫だろう」


 アリの巣に突入するにはあまり大人数ではなく少数精鋭が望ましいが、3人なら全く問題ない。


 こうして、俺たちはスプリングフィールドへ向けて出発したのだった。

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