第09話 伯爵令嬢を雇ってしまった その1

 ――ドラゴン討伐から一ヶ月経った。


 その日も最後の客が帰り、店の中に静寂が訪れた。


「ふぅ、やれやれ」


 だが――。


 ――ゴンゴン。


 店の戸を叩く音がする。


 まさか、今から飯を食わせろとかいう厄介系の客じゃないだろうな……。


 ――ガチャ。


 俺はそんなことを考えながら扉を開けた。


「こ、こんばんは……」


 長い銀髪の美しい女が立っていた。見知った顔である。


「レイチェル!?」


 レイチェル・ファウンテンはAランク冒険者である。〈水流〉のスキルを使いこなし、戦闘だけでなく飲料水の確保などで役に立つ優秀な人材だ。


「……今日はもう閉店なのだが」


「はい、閉店時間になるのを待っていました」


「そうか……まぁ、入れ」


「ありがとうございます」


 やれやれ……今から片付けやら明日の準備やら忙しいのだが、レイチェルはまともなやつだ。それなりの理由ワケがあるのだろう。


「あれ? レイチェルさんじゃないですか!?」


 思わぬ来客にララも驚く。


「お久しぶりです、ララさん」


「それでどうしたんだ?」


「ワタクシをここで働かせてくださいっ!」


「は?」「え?」


 俺とララがスットンキョウな声を出す。


「ワタクシを、ここで、働かせてくださいっ!」


 レイエチェルはより大きな声でゆっくりはっきりと言い直した。


「いや、ちゃんと聞き取れたし、言い直さなくていいから」


「すみません……」


 レイチェルは申し訳なさそうにうつむく。


 俺は腕を組んでうなる。


「う~ん、冒険者を雇うほどの余裕はないなぁ……」


 用心棒として冒険者を雇う店もあるが、この店では必要ない。俺もララも元Sランク冒険者だからなぁ。


「いえ、そうではなく、ウェイトレスとして雇ってください。給料もウェイトレス基準で構いません」


「……うん?」


 なんか聞き覚えがあるセリフだ。


「ワタクシはもう冒険者ではありません。冒険者ギルドを追い出されてしまいました……」


 レイチェルが恥ずかしそうに言ったその言葉に俺は驚きを隠せなかった。


「バカな!? アレクシスたちですら、追い出されるどころか降格さえなかったんだぞ! 君は何をやらかしたんだ?」


 レイチェルは能力があり、その上性格も良い。何かの間違いとしか思えなかった。


「実は……レイチェル・ファウンテンというのは偽名で本名はラシェリア・スプリングフィールドといいます」


「スプリングフィールドというのは隣のスプリングフィールド州のことか?」


「その通りです」


「貴族令嬢という噂は本当だったのか……」


「はい」


 ガサツな人間が多い冒険者たちの中でレイチェルは異常に振る舞いが上品であるため、実は高貴な身分の生まれではないかと噂されていた。


「父は結婚相手が見つかるまでの檻としてワタクシを修道院に預けていたのです。ですが、あまりに退屈で窮屈で抜け出してしまいました」


「マジかよ……」


「もちろん家に帰ることなんかできません。それでとりあえず隣であるケンジット州に移動し、冒険者ギルドに加入しました」


「冒険者ギルドは身元確認とかザルだからな……」


 良くも悪くも成果主義なのである。


「それで冒険者としてなんとかやってきたのですが、ついに父に見つかりました。父は修道院に戻るように言ってきましたがワタクシはそれを拒否しました」


根性ガッツがありすぎるだろう……」


 やはりレイチェルは冒険者向きなのかもしれない。


「それで冒険者ギルドに圧力を掛けてきたのです。そしてワタクシはギルドを脱退させられました」


 冒険者ギルドはそこまで弱いギルドではない。貴族といえども正面から対立するのは難しい。ましてや自分の領土でなければ。


 ……さては金を積んだな?


「それでこの店でウェイトレスとして働きたいと?」


 ちなみに、飲食店を経営するためには飲食業ギルドへの加入が必要だが、単に店で雇われるだけなら加入する必要はない。


「はい」


「ちょおおおおおっと待ってください! ここのウェイトレスはすでに私がいます! 以上終了っ! お帰りください!」


 突然、ララがまくしたてる。


「ど、どうしたんだ、ララ?」


「どうもこうもありません! エヴァンさんには私がいれば十分なんです!」


「確かにララは優秀だから、現状は君1人でなんとかなっている」


「そうですよね?」


 ララは笑みを浮かべた。


「だが、もし君が風邪をひいたりして動けなくなったら休業するしかなくなるぞ」


「私は風邪なんかひきません! バカですからっ!」


 自信があるのかないのかよくわからない。


「人材の採用に関しては店長である俺が決める、わかったな?」


「はい……エヴァンさんの御心のままに……」


 経営者権限を振りかざして荒ぶるララをなんとか鎮めた。


 さて、引き続きレイチェルに話を聞こう。


「飲食店は他にもあるが、どうして俺の店に? もうちょっと上品な店とかあるだろうに……」


 この店は元冒険者の俺が冒険者向けにやっている。だからお世辞にも上品とはいえない。ラシェリアの上品な振る舞いを活かせる場所は他にあるはずだ。


「リネットさんが困ったらエヴァンさんを頼るようにと……」


「またあいつか……」


 ただ、レイチェルの境遇を不憫に思う気持ちはある。それにこの才能を埋もれさせるのももったいない。とりあえずは俺が預かって様子を見るか……。


「わかった。明日から働いてもらおう」


「ありがとうございます! 卑しい仕事ですが一生懸命がんばります!」


「あ~っ! 聞きましたか? エヴァンさんの店で働くにはふさわしくないんじゃないですか?」


 鎮まっていたララが再び荒ぶる。


「卑しくて悪かったな……」


 わ、わかっている……。レイチェルには一切悪気がないのだ。貴族にとって基本的に仕事とは戦争か政治。レイチェルの中では卑しい仕事とはつまり普通の仕事のことなのである。


 レイチェル自身でもそういうズレを知ってはいるのハズだが、つい出てしまうこともあるのだろう。


「すみませんすみません」


 レイチェルは自分が言ってしまったことに気が付いて平謝りするのだった。


 こうして俺の店に新たな仲間が増えた。


 出費が増えたのは痛いが、まぁ良しとしておこう。


    *


 ――次の日。


 レイチェルは予定通り店に現れた。


 服装は……メイド服だった。ある意味で最もレイチェルらしくない服かもしれない。


「なんだ……その服は……?」


「卑しい仕事をするのでそれにふさわしい服を着てみたのですが、ダメでしょうか?」


「あーっ! また卑しいって言いました!」


 ララが騒ぐ。


「ごめんなさいごめんなさい」


「まぁ、卑しいという表現は良くないが、その服はいいんじゃないか。うん」


 むしろ、ウェイトレスの服装としては合っている気がする。


「なるほど! ちょっとその服買ってきます!」


 と、店の出口に向かうララを慌てて引き止める。


「おいおい、仕事サボるなよ。特に新人ウェイトレスに仕事を教えてくれないと」


 するとララはあからさまに不快そうな顔をして、


「え~~~!? 私には教えてくれる先輩はいませんでしたよ。エヴァンさんも『他の飲食店を思い出せ』って言ってじゃないですかぁ~?」


「最初だからそうするしかなかっただけで、やはり俺たちもノウハウの積み上げとかがあるだろう」


「しょうがないですねぇ……」


 なんとかララを納得させることに成功。やれやれ、人を使うというのも面倒だな……。いや、今までのララはそうではなかったはずだが……。


 最近は時々反抗的になる気がする。やはり、無意識レベルでは給料に不満があるのではないだろうか……?


 ……………………。


 …………。


 レイチェルは時々ズレたことを言うが、基本的には優秀だった。


 ちなみにメイド服の客受けは良く、1ヶ月後にはエスティアの半分のウェイトレスがメイド服になった。


    *


 案の定、レイチェルの親――スプリングフィールド伯爵はすぐにアプローチを起こしてきた。もちろん、伯爵が直接やって来るわけではない。俺に会いに来たのは代理人の男だ。


 初老の男はレイモンド・バートンと名乗った。冒険者とは明らかに違う上品な服装と雰囲気をまとっている。


「エヴァン・ガウリーさん。実はあなたにお願いがあります」


「レイチェル……いや、ラシェリアのことか?」


「はい。まずはお嬢様を雇うのをやめていただきたい。そしてできれば修道院に戻るように説得していただきたい。もちろん、それなりの謝礼を払う用意があります」


「……いくらだ?」


「雇うのをやめていただくだけで100万ダリル、お嬢様がすぐに修道院にお戻りになられれば追加で1000万ダリルをお支払いいたしましょう」


 確かにオイシイ話ではある。だが、俺は受けられない。


「断る。レイチェルが不憫だ」


「これほどの好条件を受けないというのですか? それならこちらにも考えがありますよ」


「どんな考えだ?」


「それはまだ教えられません」


 そう言って、バートンは去っていった。


 さてさて、どんな手が考えられるだろうか? まず、飲食業ギルドに圧力を掛けるというが考えられる。それは困るなぁ……。


「……ん?」


 背後に妙な気配を感じて振り返るとリネットだった。


「さっそく来ましたね。ウフフフフフ」


「おまえこそどこから来たんだ……」


「私はいつでもエヴァンさんのそばにいますよ」


「……また面倒事を押し付けてくれたな」


「エヴァンさんを信頼しているからこそできることですよ」


「俺の冒険者ギルドに対する信頼は下がったぞ。金でメンバーを売りやがって」


「大丈夫です。しばらくすればレイチェルさんはギルドに戻れますよ……。エヴァンさんがちょっとがんばってくれれば……」


「どういう意味だ?」


「そのうちわかりますよ。ウフフフフフ」


 相変わらずよくわからんやつだ。


 だが、リネットの“予言”は意外と早くに実現するとはこの時の俺は思いもよらなかった。

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