第88話 二年仲夏 鵙始めて鳴く 2




「本来ならば、翠国の内部のことをこのような形で他国の方にお話しするべきではないのですが……」


 奏薫は少々後ろめたそうに前置きをすると、青灰色の瞳を真っ直ぐに昊尚に向けた。


「……私が折れるように細工した材木を送って事故を起こした、ということにしたかったようです。計画したのは、私の従兄弟の柳延士でした」


 昊尚が、ふむ、と顎に手を当てる。


「何のためにですか」

「私に蒼国と翠国の間に不和を生じさせようとした疑いをかけるためです」


 奏薫が膝の上に組んだ手に目を落として続けた。


「……藍公にこのようなことを申し上げるのは、適切ではないとは思うのですが……」


 言葉を切った奏薫に昊尚が、どうぞ、と先を促す。


「……我が国の主流派ではないことをご承知おきいただきたいのですが、翠国の派閥の中には、蒼国をよく思っていない一派があります」

「どの国にもそういう派閥はあるものです」


 昊尚は穏やかに奏薫の言葉を受け入れる。そういった派閥が翠国にあることは承知していた。

 先日の朱国の騒乱では、武恵を支援するため実際に兵を派遣したのは紅国と蒼国のみで、翠国と墨国は書面での協力だった。それに対して、翠国の内部では、紅国が兵を派遣するのはわかるが、蒼国が紅国と同じように大きな顔をして兵をさし向かわせたことが気に入らない、という声が少数ではあるが上がったと聞いていた。小国のくせに、ということらしい。


「……ご理解いただきありがとうございます。……どうも私が、その派閥に同調して今回のことを起こしたことにしたかったらしいのです」


 奏薫は頭を下げた後、背筋を伸ばすと、報告するように淡々と言った。


「計画では、故意に細工した材木が売られて事故が起こったことに対して、蒼国から翠国に苦情が寄せられると予想されました。記念事業の、しかも宗廟のための材木ですから、そのようなことがあれば、抗議されるのは尤もなことです。それに対して翠国側は、身に覚えのない言いがかりをつけられたと蒼国に不信感を抱く。そこにつけ込み蒼国との関係を見直すべきだ、とその一派が声を上げる。騒ぎを大きくした後、実はそうなった原因は、私の故意によるものだったと告発して、混乱を招いた責任を取らせるつもりだったようです」

「でも、当国は抗議などしていませんよね」

「はい。冷静なご対処をしていただき感謝しております。先日お伺いした折には、失礼な態度をとってしまい申し訳ありませんでした。材木の件を直接私にご連絡いただいきましたので、騒ぎを起こされずにすみました」

「では、その時点で目論見が外れたということですね」


 ならば何故、奏薫が逃げてくることになったのか。


「しかし、あくまでも今回のことは私に罪を着せることが目的でしたので、それでは終わりませんでした」


 奏薫が薄い唇をきゅっと結んだ。


「先日、こちらから帰国すると、まずは代わりの材木をお送りする手配をいたしました。その後、上司である計相にこの件を報告に行ったのですが、そこで私は捕えられました。指示したのは計相です」


 奏薫は自分の父親のことを計相と職名で呼んだ。


「何故貴女が捕らえられる必要があるのですか」

「細工した材木を貴国へお売りしたのは事実ですから、不祥事であることに変わりはありません。それを全て私の責任として内々に処理するためでした」

「計相が貴女のせいにするというのが、理解できませんが」


 奏薫が視線を落とした。


「……捕らえられると、柳の屋敷に連れて行かれました。そこには従兄弟の柳延士がいました。彼の目的は私を排除することでした。延士はそれを……弟の宣明にも手伝わせていました」


 宣明は奏薫の年の離れた弟で、統来の嫡男だという。


「延士は自分が何をしたのか、計相に全てを話したようです。その上で、計相を脅したのです。計相の跡継あとつぎである宣明もこの件に加担している。これが明るみに出れば、宣明も一緒に処分を受けることになる。私をそのままにしておけば、必ずこの件を明らかにするだろう、と。延士は、蒼国との関係に不和を生じさせようとした疑いで私を告発するのを止めて、計相に内々に私を処分させることを選んだのです」

「計相は自分の息子のやったことを隠すために、貴女を捕らえたということですか?」


 奏薫が頷く。


「しかし、計相は貴女の父親でもあるでしょう」


 昊尚は取り乱すこともせず静かに語る目の前の奏薫を痛々しい思いで見る。


「柳計相にとって私の利用価値は、もう無くなったということなのでしょう」


 奏薫は温度のない声で呟いた。


「……そんな馬鹿な理由が……」

「計相はそういう方です。最近、私も柳の家を出て計相とは少し距離を置いていましたし、そう思っても不思議ではありません」


 昊尚には返す言葉がなかった。計相に直接会ったことはないが、噂では人当たりの良い出来た人物だと聞いた覚えがある。


「……そうと分かった時点で、そのまま終わっても仕方ないと思ったのですが、叔父が……敬元叔父が監禁されていた私を連れ出してくれました。私が皇城からこっそりと柳の屋敷に連れて行かれるのを偶然見て、おかしいと気づいたようでした」


 敬元とは、明遠を訪ねて喜招堂に奏薫と共に来たという人物だ。


「……本当は、自分のやったことを後悔するあまり、私は気が触れて自ら命を絶ったという筋書きにするはずだったようです。でも、さすがに私に手をかけるのは、計相も躊躇しました」


 他人事のように話す奏薫の言葉を聞いているうち、昊尚の眉間に深い皺が寄る。


「そのお蔭で柳の屋敷から逃げ出すことができました。役所に事情を話しに行こうと思いましたが、既に計相や延士の手が回っていました。私はもう気が触れていることになっていました。延士は御史台の役人なのですが、私を見かけたら保護するように手配しているようでした」

「……皇太子には相談されなかったのですか?」


 奏薫は皇太子からの信が厚いはずだ。若いとはいえ、権力はあるだろう。彼女を保護することはできるのではないか。


「恭仁様はちょうど地方へ森林の視察に行っておられました。……それに、恭仁様は計相のすることに口を挟むことはできないでしょう」


 奏薫が続ける。


「計相はとても信頼できる人物だと思われています。そしてそう振る舞うのが得意です。皆、計相を信じるでしょう。それに、……そうなるように……計相が信頼されるように仕向けていたのは、私です……」


 昊尚は、自分が耳にしていた計相の姿が、奏薫が作り上げていた虚像だったことを知った。

 以前、統来が計相にまで登りつめることができたのは、本当は奏薫のお蔭だ、という人がいたのはこのことだったのか、と昊尚は溜息をついて首を振った。


「私の自業自得だと思いました。だから受け入れるべきかとも思ったのですが、敬元叔父に叱られました。このまま罪を被ってしまったら、お前を信頼していた恭仁様を裏切ることになるのだぞ、と」


 昊尚は奏薫に辛うじて味方がいたことに安堵する。


 それにしても、何故奏薫はこんな目に合わなくてはならないのか。


「貴女の従兄弟は何故そんなに貴女を敵視するのですか。それに、弟君が加担とは一体どういうことなのです」


 昊尚の問いに奏薫は目を逸らしたまま答えた。


「延士は計相の兄の二番目の息子で、私とは年が同じなのですが……私が、女のくせに塩樹部の長官をしているのが気に入らないと言っていました。私がいなければ、自分が皇太子の側近になることができたのに、とも」


 奏薫が無意識に頬に手をやった。


 そう言われて殴られたのだろうか。

 あまりに理不尽な理由だ。


「完全な逆恨みですね」


 昊尚が苦々しく呟くと、奏薫は俯いたまま少し首を傾げて物憂げに言った。


「……恭仁様がお生まれになった時、私はまだ幼かったのですが、柳家から養妃様のお世話をするように、女童として後宮へ遣られました。そのため、恭仁様にもお顔を覚えていただきました。そこから延士の不満が始まっているようです」


 男子が後宮で仕えることはできないのだから、そこを不満に思ってもどうしようもないだろう。それに、奏薫が塩樹部の長官となったのは、官吏登用試験に若くして合格し、功績を重ねたからのはずだ。

 しかし逆恨みに道理を説いても無駄なのだろう。


「弟の方は……わかりません。嫌われているとは思っていなかったので……」


 奏薫は、蒼国にはご迷惑をおかけして申し訳ありません、と小さく呟いた。

 このような目に遭えば怒ってしかるべきなのに、どこか諦めたように、自分のことは二の次で謝る奏薫が昊尚には歯がゆかった。

 もし明遠が奏薫を連れてくる判断をしていなかったら、と思うとひやりとした。

 後で明遠を労らなくては、と考えながら、昊尚は話を変えた。


「翠国では材木の件で何か他にわかりましたか?」


 すると、奏薫の声が再び事務的なものに変わった。


「手配したはずの代わりの材木がこちらに届いていないことからも、私の部下も一枚噛んでいたと考えられます。材木は蒼国へ運ぶ船の中で細工したと思われます。敬元叔父が細工した職人について調べてくれると言っていました」


 この件について調べるのを止めた訳ではなさそうだ。


 ということは、と昊尚が聞く。


「蒼国へは身を隠しにきただけではないのですね?」


 奏薫が頷く。


「蒼国の担当者を調べさせてください。何らか翠国側からの指示があったはずです。翠国では私がやったこととして証拠や証人が揃えられているようなので、こちら側で証拠を探させてください」

「わかりました。こちらの担当者については碧公が調査を進めているはずですので、話を繋いでおきます」


 昊尚の言葉に奏薫が深く頭を下げた。


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