第81話 余話7 理淑と佑崔
時期的には、余話5の直後あたりの頃です。
************************************
「佑崔殿はお酒を飲んだらどうなるの?」
羽林軍の鍛錬後、並んで剣の手入れをしていた理淑が隣にいる佑崔を覗き込んだ。佑崔が剣を磨く手を止めて理淑を見返す。
「そんなことを聞いてどうするんですか」
「参考までに」
明るめの碧色の瞳が興味津々に光っている。
「子どもが飲むものじゃないですよ」
佑崔が眉を顰める。
「子どもじゃないです。もう二十だもんね」
理淑が、ふふん、と得意げに言う。
何に威張ってるのかわかりませんね、と佑崔は苦笑し、目線を戻して剣を磨く作業に戻る。そういえば先日、理淑が二十になったと英賢がしみじみと言っていたのを思い出す。
「酒を飲んでも私は特に変わりませんよ」
「なんだ。つまんない」
同じく、理淑も止めていた手を再び動かし始める。
理淑の隣で剣を磨いていた同僚兵士が、話に参加してきた。
「理淑殿は酒を飲まれるんですか?」
「ううん。まだ飲んだことないよ」
「今度、宴会に来ませんか?」
「え? 何それ。行く行く!」
隣で交わされた会話に、佑崔の弓形の眉がぴくりと上がる。
どうにも嫌な予感がする。
「軽々しく誘わないで下さい。碧公に睨まれますよ」
余計なことを言った同僚兵士に佑崔が嫌そうな顔を向けると、理淑を誘った兵士は首をすくめた。
*
壮哲の執務室に来ていた英賢が、退室しようとして思い出したように足を止め、側で控える佑崔へ声をかけた。
「理淑が羽林軍の宴会に行くって言ってるんだけど、佑崔も行くんだよね?」
先日の嫌な予感が現実になりそうだ、と警戒の色を露わにした佑崔の目が英賢に向けられる。
「あれ? 違うの?」
英賢が訝しげな顔になる。
「私は行きません」
佑崔がきっぱりと答える。
「そうなの? 理淑がね、羽林軍の宴会に誘われたから行きたいって言うんだよ。反対したんだけど、どうしても行きたい、って聞かなくて。それで、佑崔も行くのなら、って仕方なく許可したんだけど」
「行きませんよ。正式なものでもないですから、行かなくても支障ないと思います」
「そうか。佑崔が行かないなら、駄目だな」
英賢が幾分ほっとした様子で言うと、会話を見守っていた壮哲が口を出した。
「いやいや、普段から仲間と親睦を深めておくのは大事だぞ。お互いに命を預けることもある。相手のことをよく知っているのとそうでないのでは、いざという時に安心感が違う」
元羽林軍将軍の壮哲が宴会参加を擁護する。そして続ける。
「佑崔、お前、宴会に参加したことがないだろう」
「ありませんが……」
佑崔にとっては、壮哲の護衛が最優先であるし、酒は大して美味いものではないので、誘われたことはあるが行こうとも思わなかった。
「よし。佑崔、お前も行ってこい」
壮哲が妙案とばかりに頷きながら言う。
「しかし、護衛が……」
流れが望んでいない方向に進もうとしている。佑崔がその流れを修正しようとすると、壮哲が遮った。
「私のことは気にするな。右羽林の誰かに言っておく。それより、佑崔が他の者たちと親睦を深める方が大事だ」
「いえ、お気遣いは……」
佑崔は抵抗を試みた。しかし。
「まあまあ。一度くらい行ってみろ」
壮哲が機嫌よく佑崔の肩を叩く。
抵抗はあっさりと失敗に終わった。
*
数日後、曹将軍宅で宴会が開かれた。参加者は佑崔と理淑を含めて十名弱と、思ったより少人数だったが、将軍の奥方が酒と料理をたっぷりと用意してくれていた。
佑崔は来たことがなかったが、よく将軍の屋敷で宴会が催されるらしく、同僚たちは勝手知ったる様子で上がりこむ。参加者や人数は勤務の関係で毎回まちまちで、これに参加したことがないのは佑崔と理淑くらいだった。
曹将軍が度々部下たちを屋敷に招いて宴会を催していると聞いて、佑崔は意外に思ったが、壮哲の言うところによると、実は曹将軍の奥方の差配だという。堅物の曹将軍が部下と親睦が深められるように、と奥方に勧められて部下を屋敷に連れてくるようになったらしい。
そんなしっかりした奥方がいるならば、ということで、英賢も理淑に参加を許す気になったようだ。
しかし、何かあれば、英賢に文句を言われるのが自分であるのは、佑崔にはわかりきっている。
理淑を確認すると、曹将軍の奥方の隣に座り、同僚兵士たちと楽しそうに話しながら大人しくしている。酒を口にしている様子もない。
これなら大丈夫だな、と佑崔は適当に酒を口にしながら同僚たちの話に耳を傾ける。
確かに、佑崔はこんな風に同僚とゆっくり話したことはない。特に侍郎として壮哲に常に従っているため、鍛錬の時以外はあまり一緒に過ごさない。
こうして皆と話すのも、たまにはいいのかもしれない、と佑崔が思い直した時。
どっかりと隣に先輩兵士が座った。
「よし。佑崔、勝負しろ。剣では勝てないが、酒なら勝てる。吞みくらべだ!」
酒豪を自負する体格の良い兵士が言った。
「嫌ですよ」
佑崔が即座に断ると、その兵士は不満げに、どん、と杯を置いた。
「お前は本当に付き合いが悪いな。たまには良いじゃないか」
そうだそうだ、と周りも囃す。
もう皆酔っ払っているんじゃないか、と陽気な雰囲気に囲まれながら佑崔が苦笑する。
そこでふと佑崔は、実は自分がどのくらい酒を飲めるのか把握していないことに思い当たった。
強い方だという自覚はあるが、限界値を知らない。以前壮哲に付き合わされて、滅茶苦茶に呑んで潰れたことはあるが、結局どのくらい口にしたのかは覚えていなかった。
壮哲の護衛をするのに、いざという時どの位なら酒が入っていても役目を全うできそうなのか、把握しておいた方が良いのではないだろうか。
そう考え、佑崔はこの機会に自分がどれほどの量の酒を摂取しても大丈夫なのか、試してみることにした。
「わかりました。呑みましょう」
「おおっ!」
まさか佑崔が受けるとは思っていなかった周囲はどよめいた。
宴会が進むにつれて、佑崔の周りには酔い潰れて転がる兵士たちが一人二人と増えていった。最初に勝負を挑んできた先輩兵士が「無念……。後は頼んだ……」と言い残して倒れると、次々と残りの同僚が引き継いだが、結局いずれも佑崔には敵わなかった。
「あらあら、もうお酒がありませんね」
曹将軍の奥方が酒甕を覗き込む。
「あ、申し訳ありません……」
曹家の酒を飲み干してしまったかと、佑崔が恐縮する。
恐縮する余裕があるどころか、まだ顔色すら変わっていない。
「佑崔の圧勝だな」
吞みくらべに参加しなかった曹将軍が苦笑する。
佑崔も酒甕を確認すると、もう中身は僅かしか残っていない。そして空になって転がっている、白酒と黄酒の二種類あった甕は計五つ。
甕二つ分は自分が呑んだ筈だが、まだいけそうだ。思考もしっかりしているし、身体の感覚も特に変わりない。しかし、剣を持った時に思うように動けるのか。
佑崔は実際に試してみたくなった。
「将軍、もし大丈夫なら、ちょっとだけ手合わせにお付き合いくださいませんか?」
思いもよらなかった言葉に曹将軍が唖然とする。
「多分酔ってはないが……酒を飲んで手合わせするのは……」
あまり乗り気でない様子だ。
それはそうだと反省する。
と、その時。
音もなく近づいてきた影が、佑崔めがけて何かを振り下ろした。
それを、佑崔はわずかに体の向きを変えただけでいつものように避けた。
「じゃあ私と!」
長めの箸を武器に見立てて構えた理淑が楽しそうに宣言した。それを見た曹将軍の奥方が、あっ、と声を上げる。
しかし、理淑は続けて手にした得物を佑崔に振り下ろす。佑崔は避けながら立ち上がると、理淑から向けられる攻撃を軽やかに
佑崔は、甕二つ分なら問題なさそうだな、と身体の動き具合を確認しながら理淑の攻撃を避ける。
すると、突然。
理淑が動きを止め、ふらりとよろけて膝をついた。
「理淑様?」
理淑の異変に佑崔がぎくりとする。理淑はさらに地面に手をついて動かなくなった。
「どうしました?」
佑崔が理淑に近寄ると、その体がぐらりと揺れたため慌てて肩を支える。
「……目が回る……」
「あらあら。酔いが回ったのね。お酒を飲んで急にあんな激しい動きをしたらだめですよ」
心配そうに見ていた奥方が理淑に駆け寄り、水を飲ませる。
「酒を飲んだんですか」
佑崔が驚いて聞くと、奥方が、少しね、と理淑の代わりに答えて苦笑する。
皆が吞みくらべをしているのを見て、理淑も参加したがったが、奥方に止められて見学をしていたはずだ。
しかし、盛り上がって楽しそうな皆を見ているうちに、やっぱり酒を飲んでみたくなり、薄めた
うーん、と目を閉じて唸る理淑に佑崔が呆れたように声をかける。
「ところ構わず挑んでくるからこんなことになるんです」
理淑が眉を顰めたまま目を開けた。碧色の瞳はバツが悪そうに見える。
「私に勝とうと邪心満々で不意打ちしてくる限り、私は負けませんよ。そもそも、あれは結局、私の訓練にしかなってませんからね」
佑崔が諭すように言うと、理淑がしゅんとして目を伏せた。
叱られた子どものようになった理淑を見て、佑崔が溜息をつく。
「強くなりたいという気持ちはよくわかります。ちゃんと稽古に付き合いますから、ところ構わず打ち込んでくるのはやめましょう。周りに迷惑がかかります。特に今日は行儀が悪すぎます」
今回に限って言えば、自分の動きを確認したかったから不意打ちされて丁度よかった、ということは黙っておくことにする。
理淑は素直に頷いて、ごめんなさい、と小さく言った。
さすがに箸を使ったことは自分でも激しく反省しているようだ。普段はこのような無作法をする理淑ではない。
やはり酔っていたのだろうか。
「で、酒はどれくらい飲んだのですか?」
「小さい杯に半分くらい…」
英賢に文句を言われるほど理淑が酒を飲んでいないことに佑崔がほっとする。しかし、それだけで酔うのであれば、酒は控えた方がいい。
「これで理淑様は、自分が酒には強くないことがわかりましたね。今後気を付けてください」
念を押すように佑崔が言うと、伏せた睫毛がぴくりと振れた。
「鍛えてみる」
ぽつりと呟いた理淑の負けず嫌いぶりに、思わず佑崔が吹き出す。
「そんなことは鍛えなくていいです」
「佑崔殿と勝負してみたい」
「阿呆ですか」
佑崔が反射的に暴言を吐いた。
佑崔に勝ってみたい理淑ではあったが、この日を境に、ところ構わず不意打ちを仕掛けることはしなくなった。
************************************
壮哲の方が佑崔よりお酒に強いです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます