第26話 後来 新しい日 3

**



 圭徳二十六年十月晦日の昼過ぎ、即位を玉皇大帝へ報告するため、新しく蒼国王となる秦壮哲と縹公、碧公、藍公は蒼泰山の八合目あたりに建つ寛雅殿へと馬を進めた。

 即位の儀は、蒼国の祖である夏賢成、周文幹、秦思廉の三名が騒乱中に蒼泰山で夜を明かした翌日、玉皇大帝に目見まみえたという故事にちなんで行われる。新王の即位に際して青公三名と新王が蒼泰山にある寛雅殿で一晩過ごし、翌朝、日の出と共に王位継承の文書を山の頂にある宮で玉皇大帝に奉納することで即位の儀を終える。

 蒼泰山は中腹までは比較的登りやすい道があるが、そこからは徐々に岩場が多くなっていく。寛雅殿までは何とか馬で行くことができるが、そこから山頂へは自らの足で向かう。

 この日は雪がなかったため比較的登りやすい状態だった。



「親父殿、大丈夫か?」


 所々で休憩しながら進み、寛雅殿に到着したのは夕刻だった。すっかり日も落ち、気温がぐっと低くなる。

 病み上がりの縹公を気遣い、壮哲が声をかける。


「ああ。足を引っ張って申し訳なかった」


 蒼泰山へ登るにあたり、縹公は輿を用意しようとの申し出を断った。麻薬にさらされていた期間が短かったお陰か、幸いにも依存の症状も出ず、常人とは思えない回復ぶりであった。ただ、しばらくとこにいたせいか、体力は落ちているようである。


「明日は登れそうか?」

「問題ない。行かずにおられるか。絶対行くぞ」


 縹公はカラカラと笑って壮哲の肩を叩いた。

 壮哲と青公三名の他には、数人の護衛と侍従がついてきているだけである。佑崔は身の回りの世話をするために随行している。

 佑崔が故事に則った簡素な食事を用意し、壮哲たち四人が囲む。

 縹公は食事をとると先に休んだ。問題ないとは言っていたが、本調子ではない体にはやはり堪えるのだろう。

 残った三人は焚いている火を囲んだ。


「まさかこの面子めんつでここに来るとはな」


 壮哲がしみじみと言った。


「全くだ」


 昊尚が同意する。


「壮哲が王になることよりも、昊尚が藍公を引き受けることになったことの方が予想外だよ」


 英賢が言う。


「昌健に引き継ぐまでの間だけですよ」


 昊尚の兄である承健の嫡子の昌健はまだ十二歳である。年よりもかなり聡い少年だが、青公である周家の当主を継ぐにはまだまだ未熟だ。昌健が藍公を担うに足る時期が来るまで昊尚が代わりに周家の領袖となることにしたのだ。

 昊尚の言葉を聞いて、英賢の眉が曇る。


「……周公や承健殿のことは……本当に申し訳なかった……」


 英賢が沈んだ声でぼつりと呟いた。


「もっと陛下の周りに気を配るべきだった……」


 英賢の美しい顔が苦悩で歪む。


「英賢殿のせいじゃありませんよ。陛下のことは、父が自分が何とかすると言ってたんでしょう。……むしろ英賢殿にはご心配をおかけして申し訳ありませんでした」


 昊尚が静かに言った。


 恐らく父は弟である王のことは自分に任せてほしい、と言ったのだろう。進まない状況に、英賢殿は何度も父に王への対処を促したに違いない。それを中々受け入れられなかったのは父の方だったろう。結果、雲起らに付け入る隙を与えることになってしまった。


 昊尚は、いつも厳しい顔をしていても、意外と情に脆い父親のことを想った。

 重い沈黙が降りる。

 英賢は火を見つめる昊尚に視線を向けると、かすれた声で言った。


「……君が藍公を引き受けてくれたのが、蒼国にとってはせめてもの救いだよ」


 英賢の言葉に昊尚は応えず、パチパチと燃える火を見つめる。


「……朱国の澄季殿下はしつこいですから、まだ何か仕掛けてくる可能性がありますね。また雲起殿が曲者ですからねぇ……」


 重い空気を払うようにあえて苦笑を交えて言った。

 使者として蒼国に潜り込んで散々引っ掻き回していった、朱国の第三皇子を思い浮かべる。どうも本気で計画を立てて実行したようには思えない。思いつきで引っ掻き回された感が強い。


「雲起殿とはどんな人物なんだ?」


 壮哲が聞いた。


「澄季妃が最も可愛がっている皇子なんだが、どうも得体の知れない感じがする。一度会って話したことがあるが、何を考えているのか全く読めない人物だったな」


 昊尚は商売の取引で朱国にいった際に紹介された雲起を思い返す。

 表面上は、澄季にそっくりな美しい顔で穏やかな笑みを浮かべていたが、その目には感情の欠片もなく、蛇と対峙している印象を受けたのを覚えている。


「朱国とはこれまで良好な関係だったが、これからはそうもいかないな。厄介な隣人になってしまったな」


 壮哲が深く溜息をつく。


「……そういえば、範玲殿が史館に勤めると聞きましたが?」


 不意に壮哲が英賢に話を振った。


「……明日から敬語はやめてくださいね。陛下。他の者に示しがつきませんから」


 英賢に敬語を使う壮哲をにっこりとたしなめる。


「う……皆の前では気を付ける……気を付けるが……」


 だってしょうがないよな、と昊尚に同意を求めるが、昊尚は曖昧に笑うのみだ。壮哲や昊尚にとって英賢はずっと尊敬すべき先輩なのだから気持ちはわかるというところだろう。


「範玲殿のこと、”陛下”にも知っておいてもらった方が良いのでは?」


 昊尚が範玲のことに話を戻すと、そうだな、と英賢が範玲の特殊な能力について説明した。

 それを聞いて壮哲は大きく溜息を吐いた。


「驚いたな。だから表に出てこなかったのか……。それにしても、醜女しこめだとか中々に酷い言われようでしたよ?」


 姿を見せない範玲のことを、知りもしないのにまことしやかに噂する輩は多かった。


「だってほら、あの容姿だろう? 下手に言い寄られても困るからね。あれこれ言われるのは不本意ではあったけれど、そのまま噂は放っておいたんだよ」


 ここでも英賢の妹への溺愛ぶりが漏れ出す。それを見て昊尚がまた苦笑する。


「良いんですか? 勤めに出してしまって」


 壮哲の言葉に英賢が美しい眉を下げる。


「範玲自身がやる気になっているからね。それに、音の問題は玄亀の耳飾りのお陰で大丈夫そうだし」

「あとはアレですね」


 触れると触れた相手の気持ちが読めてしまう能力のことを昊尚が示唆する。


「範玲殿のはあの呪禁師の長古利と逆の力、ということか。……そういえばあの呪禁師の力って、実際どんな感じなんです? いや、今後の参考のために」

「そうだねぇ……」


 英賢が包帯を巻いてある爪を剥いだ自身の指を見ながら、思い出そうとするように少し首を傾げる。


「あの時は、最初あの呪禁師が何をするつもりなのか分からなかったから、様子見のつもりでされるままになっていたんだよ。でも、あの呪禁師に触れられていると、大変なことをしてしまった、という感情が出てきて、徐々に、承健殿を殺害したのが自分みたいな気になってきたんだ。そんなはずはない、と内心抗っていたのだけど、段々それも感覚が鈍ってきてしまって。それで、あ、これはもしかするとまずいことになるかも、と思って」

「爪を剥いだ、と」

「そう。そうしたら、痛みで正気に戻ったのだけど、あれは危険だね。内側から暗示をかけられると、まるで自分の意志みたいに思えてくるんだよ。だけど、あくまでも暗示だから、意思を強く持てば防げるんじゃないかな。推測だけど」

「なるほど。心が弱くなっている時が危ないわけですね」


 壮哲が顎に触れながら心に留めるように頷く。


「呂将軍も、古利に暗示をかけられたのかもしれない。壮哲への嫉妬という心の綻びを古利に付け込まれたのではないかな」


 英賢がしんみりと言う。やらかしてしまったことは許せることではないが、優秀な武人だっただけに惜しいのだろう。


「恐ろしい力ですね」


 改めて古利の気味悪さに壮哲が呟く。


「その逆の範玲の力も厄介だけどね」


 英賢がまた困った顔をする。


「耳の件もそうですが、範玲殿自体が重要機密ですね。悪用されかねない」

「そうなんだよ。だから、壮哲も承知しておいてもらえると有難いな」

「わかりました」


 壮哲が頷く。そして続けて感嘆の溜息混じりに言う。


「それにしても玄亀の耳飾り、って凄いものを見つけましたね。誰がそんなものをくれたんですか」


 英賢が耳飾りの出どころを伏せて話したので、昊尚は知らぬ振りで無言のままいることにした。


「口外しない約束だから言えないんだよ」


 英賢が昊尚を見ないようにしながら、含み笑いする。


「怪しい出どころじゃないでしょうね」

「それは大丈夫だよ。信頼できる確かな筋からだから」


 英賢がにこにこしながら言うのを昊尚が無表情で見やる。

 この人は虫も殺さぬような顔をしているくせに結構な狸だよな…。

 昊尚は英賢が若干自分で遊んでいる節を察し、話の方向を変えることにする。


「そういえば、珠李が英賢殿の味方があちこちにいると言ってましたけど」


 珠李が喜招堂を訪ねてきた時に、帰り際に言っていたことについて尋ねると、英賢は長い指を眉間に当てて考える。


「味方ねえ……。そうだなぁ……。あれかな。……若いくせに、と言って自分より若い者を侮る高官は結構多いんだよ。私も父の跡を継いで司空に着任したばかりの頃よく影で言われてね。でも若いから気に入らない、という言い分はないだろう? だから若くても優秀な人材をできるだけ取り上げたいと思って、ちょくちょく声をかけているんだけどね。そのことかな。その彼らが私の味方と言っていいのかは分からないけど」

「頭の固い高官を徐々に減らそうとしてたってことです?」

「まあそうだね。立場上、色んな情報が上がってくるからね。あまり目立たないように進めてたけど、それも少し早めるかな」


 英賢が優雅に茶を啜りながら頷くの見て、この麗しき狸を敵に回してしまった連中は判断を誤ったな、と昊尚は思った。


「壮哲がやりやすいようにできるだけ整えるから」


 夜が明ければ王になる壮哲に向き直り、英賢が微笑んだ。


 ああ、なるほど。


 昊尚はその美しい顔を見て言った。


「ほんと、怖いな、この人。お前も気をつけろよ」


 壮哲も、だな、と言うと昊尚と顔を見合わせて笑った。



**



 その後も三人は夜通し様々な話をして過ごした。

 壮哲即位後の人事のこと、隣接国、周辺地域との外交のこと、国内の土木整備のこと、産業の振興のことなど尽きることのない議論が交わされた。そのうちに起きてきた縹公も揃い、いつの間にか頂上へ出立する時刻が近くなった。

 即位の儀の仕上げを行う蒼泰山の頂上にある宮へは、寛雅殿からは徒歩で登る。暗い中、冷え切った道を白い息を吐きながら壮哲を先頭に、縹公、英賢、昊尚が続いた。

 縹公は途中辛そうではあったが、最後まで自力で登り、無事に頂へたどり着いた。

 日の出までまだ少しあるので辺りは暗い。

 手燭の光を頼りに宮へと足を踏み入れる。玉皇大帝の玉座の間へ進み、壮哲を前に、その後ろに青公三名が控える。壮哲は一礼し、青玉の飾りが一つ無い玉座の前にある紫壇の台の上に、前王の罷免文書と新王の王位継承の文書を置く。そして元の位置に戻って日の出を待つ。

 じっと控えることしばし。

 次第に稜線が白く縁取られ、段々と東の空が白み始める。

 陽光が玉座後方の菱形の窓から差し込み、玉座を照らし始めると、壮哲と青公たちは頭を垂れて瞑目する。そして陽に照らされた玉座は直視できないほどの光に包まれた。

 一瞬ののち、光が収まる。

 壮哲たちが面をあげると、紫檀の台の上にあったはずの二通の文書は消えていた。


 それは即位の儀が無事に終了したことを示していた。



 宗鳳元年十一月朔日。青蒼国第十一代王、秦壮哲の治世が始まった。





(圭徳の記 了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る