すね毛、サブスク

メンタル弱男

すね毛、サブスク




『失敗した。まさか世の中こんな事になるなんて……』


 野口は力なく椅子に腰掛け、虚しく光るスマホをぼんやりと眺めていた。


 はぁぁ……。ため息は重力に逆らう事なく足下へと落ちていく。彼のすねのあたりは見事なまでに、つるっつる。毛の気配は毛頭ない。


 しかし彼は、そんな美脚を撫でながら、こう呟いた。


『バカだなぁ。何で、脱毛してしまったんだろう………』



          ○



『すね毛は処理するべきか否か』


 これは長い長い歴史の中で多くの議論を呼び、正解のない美への追求の為に、数々の失敗作を生み出してきた。


 中途半端に剃って途中で諦めてしまったもの。磁石にくっついた砂鉄のようにトゲトゲとして気持ちが悪いもの。剃り残しが、某漫画の呪印のように斑点模様に仕上がってしまったもの。あげればキリがない。


 また、時代が変われば、すね毛に対する印象もことごとく変わっていく。そしてそのトレンドに反抗するかのように、派閥ができ始めた。すね毛の趣向によって、日本が分断されるのではないか?とワイドショーでは激論が繰り広げられたほどだ。


 そんな中、ある時を境に『すね毛は無い方が良いのだ』という、つるつるオシャレ説法軍による圧政の為、すね毛の脱毛希望者数が非常に多くなった。


 我先に!と、脱毛へ駆け込む若者達。毛がなくなった足を一目見ては、あまりの輝きに目が眩んだ輩もいるという。


 そしてまさに野口も、自分のすね毛に悩んでいた若者の一人であった。


 彼は人一倍毛深かった。そしてすね毛がパンチパーマのように、くるくる絡み合って、ボリューム感も尋常ではなかった。お風呂の湯船に浸かるとゆらゆらとすね毛が広がる。乾燥わかめを水で戻した時くらいの膨張率を誇っていたのだ。


 誰もが、すね毛を無くしたい。そういう時代に、野口もとうとう、つるっつるの仲間入りを果たしたのであった。


 彼の人生は一変した。つるつるオシャレ説法軍の冷ややかな目線は、みるみる内に歓迎の色を帯び、遠慮がちだった膝上短パンも、気兼ねなく穿けるようになった。プールも温泉も何もかも、心から楽しむことができたのだ。


 心というのは、非常に扱いやすい。彼はすね毛にのみ、悩み苦しんでいたのである。


 しかし人類の歴史は教えてくれる。時代の流れの中で“不変なもの”など何一つない、という事を……。


          ○


『最近若者の間では、すね毛こそがダンディーの印であると認識されています』


『すね毛が無いってのは、ちょっと頼りない感じですね』


『短パン穿くなら、すね毛はマストっしょ!逆につるつるだったら絶対に穿きたくないよね』


 トレンドほど曖昧なものはない。


 とあるすね毛ボーボー系ダンディー俳優が台頭し、お茶の間を席巻し始めてから、瞬く間に世間のすね毛に対するイメージが変わってしまった。


『僕は、すね毛が原因で、とても悔しい青春時代を過ごしました』


 そのダンディー俳優は言う。


『本当に悔しかった。だからこそ、僕は処理しなかった!このすね毛と共に、世界を変えてやろうと思ったんです』


 なんというサクセスストーリーであろうか。彼の強い心は、彼だけではなく、同じ悩みを抱える多くのモジャモジャに、優しい光をもたらしたのだ。


 しかし一方で、つるつるが放つ怪しい光にに幻惑されて、脱毛に走ってしまった若者達は、突然世界から手のひらを返されたように蔑まれ、笑われ、疎まれた。あれだけ影響力のあったつるつるオシャレ説法軍も今や見る影もない。


 そして我らが野口も、スマホを見る度、テレビを観る度、街を出歩く度、心ない声に胸を痛め、かつて自身のすねに確かにあった剛毛を思い描いては、帰らぬ毛根達へ祈るように懺悔した。


 あれから数年、野口は暗い人生を歩んだ。自分が選んだ道だからこそ、余計に後悔の色が頭を埋め尽くす。


 そんな時だった。


 “すね毛、サブスク。月額500円!”


 スマホに煌々と刻まれる、広告の文字。


『なんだこれ……』


 彼はそう呟きながらも、迷う事なくクリックしていた……。


          ○


 月額500円!


 すね毛が少ないあなた!

 かつて脱毛してしまったあなた!

 

 近年高まる、すね毛需要!

 植毛って言っても高いですよね〜


 でも、何もしないなんて勿体ない!

 悩んでいる間に、青春は過ぎていきます!


 そんなあなたに、月額500円!!


 たったひと月ワンコイン!!


 ダンディーな剛毛をあなたのすねに!!


          ○


 すね毛のサブスク。


 価格が高騰しているすね毛の植毛に対して低価格かつ月替わりでのスタイルを選ぶ事ができる。かなり奇妙な特徴を兼ね備えたサービスであった。


 方法はというと、立派なすねが並ぶオンラインカタログから、好きな型番(すね毛の種類)を選び、家に届いた錠剤を一週間飲むだけである。


 やはり体に直接服用するものなので、難しい説明書きが多い。認可されたものであるという事が長々と専門用語を連ねて書かれてある。ただ、レビューも多く、有名な芸能人が広告に出演していたりと、安心できる要素が沢山あったので、『物は試し』と、野口はとりあえず登録してみた。


 彼が選んだのは“C-1 やさぐれダンディー”というすね毛。彼が元々、その足に纏っていたものにそっくりだったのだ……。


          ○


 効果はすぐに現れた。どういう作用か知らないが、すねにプツプツと毛根が生まれ、服用開始から二日で立派な毛が生えた。


 その足に触れた野口は、以前はあんなにも鬱陶しがっていたモジャモジャ感にも関わらず、その確かな手応えに涙を流した。再会できるものと思っていなかった旧友と、めぐり逢えたかのような感動。『もう手放さないからな』と優しくすねを撫でながら、語りかけていた。


 とりあえずは一日一錠、一週間分は飲まなければならない。飲み終わった後もしっかりと毛が抜ける事はなく、誰もが振り返る美脚を手に入れた。


 服用からもうすぐ一ヶ月が経とうかという頃、オンラインサイトのマイページに、次のすね毛のタイプを選ぶよう指示が来た野口は興味本位で別の型番を選んでみた。


 “A-25 ハリネズミダンディー”


 ちょうど錠剤が届いた時、一ヶ月目のすね毛はポロポロと抜け始めた。


『どういう仕組みなんだ?』


 彼は抜け落ちるすね毛をかき集め、『ありがとう』と呟いて、ゴミ箱へ捨てた。そして、新たに届いた錠剤を飲む……。


          ○


 もう何ヶ月、いや何年続いただろう?


 野口は自分のすね毛に自信を持ち、誰かに見せたいという衝動から、真冬にも短パンを穿いたり、意味なく銭湯に毎日通ったり、オフィスのデスクに抜いたすね毛を並べてみたり………。


 本当に人が変わったようだった。


 その頃の写真を見ると、野口のすねは様々なバリエーションの剛毛で彩られている。

 

 そして誰よりもそのすね毛は輝き、彼の表情も翳りのない明るさを放っていた……。


          ○


 しかし最初に気づいたのはいつだったか?


 彼のすね毛はいつもボーボー、月替わりで模様替えしているのは変わりない。


 ただ、彼の他の部位が毛深くなってはいないか?恐る恐る、周りが質問し始めた。


『野口、なんか最近毛深くないか?髪の毛とか、髭とかさ……』


『そうかな?たしかに髭は剃る頻度が増えたような気もするけど……』


 最初はその程度だったかもしれない。


 だが明らかにおかしいと周りの人が指摘した頃には、彼は熊のような風貌になっていた。


『異常だよ!!昨日よりも数倍濃くなってるって!!こんなペースおかしいよ!』


 しかし野口は……。


『そうかなぁ。自分ではあまり分からないっていうか……。すね毛が濃いならいいんだけど……。』



 誰が注意しても聞かなかった。彼はすね毛が良ければ、他は全く気にしなかったのだ。

彼は“すね毛、サブスク”を続けた。自分の最高の美脚を追い求めるために…………。



          ○



『今日未明、アパートの一室から異音がするとの通報があり、警察が部屋の様子を確認したところ、約70kgもの体毛がベッドの上で発見されました。この体毛は人のものと思われ警察は、この部屋の住人と連絡が取れないことから、捜索を開始し、…………』



 あれから、誰も野口を見ていない……



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