沈む太陽の5倍の速さで山賊を倒せメロス
一睡もせず一光秒の路を急ぎに急いで、海抜0mに近い村へ到着したのは、あくる日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは沈む太陽の0.9倍の速さで野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに、沈む太陽の0.8倍の速さの羊群の番をしていた。
彼女は沈む太陽の1.05倍の速度でよろめいて歩いて来る兄の、
「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」
妹は沈む夕日の100倍の速さで頬をあからめた。
「うれしいか。綺麗な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」
メロスは、また、よろよろと沈む太陽の1.03倍の速度で歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、沈む太陽の1.8倍の速さで花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。
婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。
沈む太陽の1倍の速さで訪れる夜明けまで議論をつづけて、どうにか婿を説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり沈む太陽の1.6倍の速さの雨が降り出し、やがて大雨となった。
祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、爆発的に降り注ぐ雨を力場でそらし、陽気に歌をうたい、手をうった。メロスも、満面に喜色を湛たたえ、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。
祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。
今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、沈む太陽の1.3倍の速さで肩を叩いて、「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。この世界には速さよりも大事なことがある。正直であること、人を信じることだ。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん誰よりも速い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
「私の家で宝といっては、沈む太陽の0.9倍の速さの妹と、0.8倍の速さの羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。たぶん、この世で最も速い」
花婿はてれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、沈む太陽の2倍の速さで羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは沈む太陽の2.36倍の速度で跳ね起きた。南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。
メロスは、0.5ミリセコンドで悠々と身仕度を終えた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、加速の邪魔にならないよう雨粒を前方からはじき出すと、翼安定徹甲弾の如く走り出た。
村を出て、野を切り裂き、森を打ち抜き、隣村に着いた頃には、雲は割れ、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。
ここまでくれば大丈夫。メロスはのんきに沈む太陽の1.8倍の速さでぶらぶら二里三里を飛び越えていく。その足がはたと止まった。見よ、前方の川を。昨日の雨で沈む太陽の2倍の速さとなった激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。
転がり落ちる大岩が、まばたきの間に泥に変じる。川岸は
彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、
メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。しかし濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。そうして時と川岸は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。
メロスは泳いだ。中天から落ちていく日の、3倍も速く泳いだ。
鉄を斬る荒波を越えて川を渡ったメロスは、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然目の前に、沈む太陽の3倍の速さで走る、一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私には沈む太陽の1.5倍の速さで走るいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
山賊たちは、一斉に棍棒を振り挙げた。
「ここを通りたくば、沈む太陽の4倍の速さで走ってみせるがいい。」
メロスは走った。沈みゆく夕日の、その5倍の速さで走った。
山賊たちもつられて沈む太陽の4倍の速さで走ったが、5倍のメロスにはかなわない。たちまち、三人を熱圏まで殴り飛ばし、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。
一気に峠を駈け降りると、とうとうシラクサの城壁のところまで来た。しかし、千里の道で言うなら、これは一歩前進したことにすぎない。目指すべき市は一光秒先。月も間近なラグランジュポイントにあるのだ。
死闘に疲れた身体に、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、勇者はついに、がくりと膝を折った。
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