河野霧子の発芽①
離婚の理由として一番多いのは性格の不一致だそうだ。
それは結婚以前の付き合っている段階でも一番多いだろう。
なぜなら私や私の回りを見ていればそう実感できる。
だが性格の不一致と一言で言えるその言葉の中、そこには事細かな理由が無数に存在しているはずだ。
結局のところは付き合っていくうちに自然に恋愛感情が醒めていったのを説明できないからそんな曖昧な表現になるのだろう。
そして性癖の不一致というのもやはりその中に含まれてしまうと私は思う。
かつて好きあって、言葉で、態度でそれが不変だといくら言おうとも時間の流れにより最後はそうやって別れていくことは古今東西、ありふれた事柄だ。
そう思えばそのときには確実だった感情をいつまでも維持できない人間の不確実さは悲劇的ではあるだろう。
私の親友もまた同じように悲劇を…いやどちらかと言えば喜劇かもしれない。
そう言えばきっと彼女は「そんなことないよ~」と子供っぽい仕草で頬を膨らませて抗議するかもしれない。
確かにそれは悲劇ではあるだろう。
とはいえあまりにも理由が突拍子もなければやはりそれは喜劇と言わざるを得ないんじゃないかしら?
最後に付き合った彼に言われた一言を之葉は引きずっていた。
もっとも彼女自身がそれに気づいているかは他者である私には理解できないが。
「君が怖い」
一言で彼女とのどうしようもない不一致を表現した言葉はその簡潔さとは反比例するように複雑でドロドロとしている様を表している。
どだい性癖なんてものは度し難いものだ。
私はいい。 親友のそれは相手が必要であるからどうしようもないけれど、私のそれは一人で完結するものなのだから。
とはいえそれも私の親友から言わせれば「それも悲劇だよ~」と言うだろうけれど。
そんなことを考えながら私は自室でとある動画を見ていた。
USBを差したパソコンの画面には二人の男女が映っている。
隠し撮りのせいかピントや画面配置には不満があるが、まあ十分に観賞には耐えるものだ。
もう一つ要望を言えば間接照明だけなので映像が暗いというとこぐらいか。
それを後日、之葉に言うと「だって恥ずかしいんだもん」と返ってきた。
その内容をみれば何を言っているのよとも思えたが、親友からのプレゼントにケチをつけるほどには彼女ほどワガママではないのでそれ以上は言わない。
画面の中のそんな親友は平素のホンワカとした表情ではなくて、身体のあちこちを赤くさせ、ときたま殴られながら苦悶の声を挙げている。
対して小柄な彼女を殴りつけている男は、普段の気弱そうな外見とは裏腹に力強く拳を振るっていた。
いつも大学で見ているフンワリカップルの情事(?)を見つめながら感情は高揚している。
痛めつけられながらも之葉が喜んでいるのを感じ取り、そんな彼女を痛めつけている彼は苦悶に満ちた表情をみて同情すらしてしまいそうだ。
そしてそんな普通なら見ることの無い姿を『覗いている』という行為に私は自身の度し難さに苦笑しつつもしっかりと映像を見つめ続けている。
その度し難さを自身で理解したのは親友とは違い、大分遅かった。
私の父と母は比較的、夫婦仲が良い。 実際に今でもたまに二人っきりで旅行をするくらいだ。
けれどそんな両親でも年に数回は夫婦喧嘩をすることもある。
それは私が4歳の頃だった。
仲が良い反動なのだろうか?
両親の夫婦喧嘩はとても激しくて、当時まだ純粋であった私にはとても恐ろしい光景に見えた。
皿を投げる。 家具をひっくりかえす。 ときには父が母を平手打ちすることさえあり、そんな時に私は押入れに隠れては戸の隙間からそれを見ながら喧嘩が収まるのをひたすら耐えていた。
そしてひとしきり暴れた後にどちらからともなく謝って、その夜の『夫婦の時間』には激しく求め合うのだ。
寝ている私の横で、暗闇の中でユラユラと絡み合うさまは私にとっては混乱以外の何者でもなかった。
ほんの数時間前まで罵り合っていたのに…。
離婚だと騒いでいたのに…。
でも私は黙っていた。 寝たふりをしつつ瞳を開けてそれを観察し続けていたのだ。
何も知らないが故にそうしなければ両親は居なくなってしまうのかもしれないという不思議な確信を持ち、それを邪魔しないように私は息を殺して見続けている。
次の日にでもなれば両親はまた仲睦まじい夫婦に戻っていた。
夫婦喧嘩の際に発した罵詈雑言なんて無かったように接する両親の欺瞞を私は次第に疎ましくなるようになった。
そして世の中がそんな欺瞞に満ちていることに気づいて心はますます醒めていく。
…まあ年齢的なこともあるとはいえ、思い出せば気恥ずかしいけれど。
やがて私も成長し、家族も引越すことで自分の部屋を持つようになった。
それでもやはり年に数回は両親は激しく喧嘩をしてはまた激しく求め合う。
そんな様子を私は壁に耳を当ててずっと聞いていた。
両親の喧嘩が年間行事のように繰り広げられていくので、私もまたそれを観察することが当たり前のことになってきたのだ。
それが私の『度し難さ』の種にはなったのだろう。
でもそれが発芽するのは高校に入ってからだった。
そしてそれによって私と之葉は親友となることが出来たのだから、なんて不思議な運命なのだろう。
之葉とはしばらくはただのクラスメイトで、違うグループにいたので付き合いはなかった。
もともと彼女と私、そしてその友人達はまったく別のタイプであり、交じり合うことは決してないほどにかけ離れていたのだが、とあるきっかけで仲良くなることが出来た。
おそらくはあのきっかけが無かったのなら、私達は親友どころか友人にすらなってなかっただろう。
そしてそれはお互いにとって絶対に不幸であったことは間違いない。
つまり私の度し難さの発芽することに彼女は大きく影響を与えて気づかせてくれた…というよりもむしろ之葉自身が私の度し難さの発芽の理由になったというのが正しい。
画面の中で頬を張られて悲鳴にも近い嬌声を上げる親友を見ながら、その『きっかけ』を私は思い出していた。
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