平坂隆司の葛藤 エピローグ

「あ~あ、本当にやっちゃったのね」


 呆れ半分、興味半分といったところの霧子が僕が座ると同時に口を開いた。


「…まあ、もうしょうがないよね」


 講義の終了後、またいつかのように之葉を待ちながら僕と霧子は一緒に居た。


 特段、別にあのときのことを霧子に話したわけじゃない。


 之葉も朝から講義だったので彼女にまだ話ししていないだろう。

 

 だが左の薬指に痛々しく包帯を巻いた之葉を見て、すぐに察したようだ。


「正直、平坂君を見くびってたわね…まさかそこまでやるなんて…意外にあなた、そういう才能があったんじゃないの?」


 悪戯っぽく笑うけれど、僕は曖昧に笑って何も答えない。


「そこまで之葉の為にやってくれた恋人があなたが始めてよ…おめでとう、これで正真正銘、恋人同士になったわね」


 周囲を慮ってなのか、それともあくまで興味が半分程度だからなのか、僕と彼女だけにしか伝わらないような言い方で僕を褒め(?)そやしてくれるが、正直なところ、僕はまだまだ複雑だ。


「でもこれから之葉がどんなことを言ってくるか不安だよ」


「それは大丈夫じゃない?指は十本しかないからね、さすがに毎日は頼んでこないわよ……あっ、でも足を含めれば二十本はあるわね…一週間に一回くらいで済むかもね」


「そんなに折ってたら、何も出来なくなるからさすがにそれは遠慮したいね」


 それを惚気とかん違いしたのか、急速に霧子は興味を失ったように手元のコーヒーに口をつける。


「さすがにそこまで言うようだったら私の方からも注意しておくわよ、親友の彼氏のためだしね」


 冗談とも本気ともいえない口ぶりに苦笑してしまう。


 ふと霧子が視線を僕の後ろへ向ける。 


「ほら、彼女が来たわよ…私はもう行くわ、惚気をこれ以上聞いても退屈だしね」


 そういって立ち上がる。  どうやら僕の本音を惚気と判断していたようだ。


 振り返ると之葉がこちらに気づいて左手を振る。


 その薬指には指輪とは段違いの存在感を出す分厚く巻かれた包帯が見える。


 それはまるでアピールしているように見えて、『いやいやそんな馬鹿な…』とも考えたけれど之葉が右利きだったことを思い出した。

    

 霧子は之葉と一言、二言だけ話すと、何かを手渡されて逆方向に歩いていった。


 之葉は上機嫌に左手をまた振りながら僕の元へと小走りしてやってくる。


「お待たせー!」


 少しだけ息切らした彼女はいつものように満面の笑みで僕に笑いかけて。


「大丈夫、待ってないよ、霧子と話してたからさ」」

 

 チラリと之葉の左手の薬指の包帯を見る。 彼女もそれに気づいて愛しそうに少しだけ摩って「エヘヘ…」と照れ笑いをする。


 彼女の左薬指。 婚約者の場所。 結婚の証。 もしかしたらいつかは指輪をつけてくれるかもしれない。


 正しい意味で。 


 …なんて少しだけ気が早かったかな? さすがにまだ早いよね。


 ただそれまではそこは僕達の愛の証。 


 契約の場所なのだ。


 僕は之葉と同じように頬と唇を緩ませ、照れつつも彼女の薬指をそっと撫でた。

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