平坂隆司の葛藤⑥
3階建ての映画館の2階、第4スクリーン室から出てみるとエスカレーターへ続く廊下は沢山の人々で賑わっていた。
「映画、面白かったね~、まさかあんなドンデン返しがあるなんてびっくりしちゃった」
「そうだね~、まさかあんな展開が来るなんてさ」
暗闇に慣れつつあった目に淡いオレンジ路の照明は優しい。
少しだけクラクラとしつつも屈託なく笑う之葉とたった今見た映画の感想をアレコレ語り合う。
そうしてエスカレーターの順番を待ちながらどちらからともなく手を繋ぎあった。
ほのかに暖かくて柔らかい彼女の手の感触。 ドギマギしながら手汗かいてないかと不安につつも出口へと下りていった。
外に出るとすっかりと暗くなっていて、初夏の暑さと晩春の程よく湿度の抜けた空気が心地良い。
之葉はまだ映画の高揚感が抜けきっていないのか、普段のおしとやかさからは少し離れてテンションも高くて口数も多い。
せっかくの誕生日。 彼女が楽しんでいるようなので最近はやや落ち気味であった僕の心も少しだけ軽くなった。
重なった二人の手はまるで溶けてしまったかのように何の違和感も無く、僕達の一部になっているようにも思える。
そんなちょっぴり幸せな気分で向かったレストランの2階の窓際。
そこから見下ろした歩道は賑わっていて、帰宅時間真っ盛りのタイミングなので様々な人々が歩いていた。
スーツ姿のサラリーマン。 友達と連れ歩いていく若者達。 そして腕を組み、手を繋いで談笑しているカップル達。
無表情、笑いあい、語り合い、視線の下で歩む誰もがきっと何かしらの悩みを抱えているのかもしれないな。
僕と同じように。
夕食を終えて、様々な料理が並べられていた皿はとうに片付けられていて、いまは一本の赤ワインのミニボトルとグラスが二つだけになっている。
「私ね、赤い色って好きなの…」
アルコールで少し顔を紅潮させた之葉の瞳は上品に照らされた照明の下ではまたさらに美しく見えた。
「ふ~ん、どうしてなの?」
緊張のせいもあるけれど体質であまりアルコールが飲めない僕はそれでもウットリとしながら彼女に問いかける。
「だって血の色みたいじゃない…流れてるのを見るのも好きだけど、叩かれたりしたときに鼓動と同じ感覚で痛むあの痛みで…ああ私、生きてるって感じるの…だから今日は凄く楽しかったし、このあとも楽しみ…フフッ」
潤んだ瞳でワイングラスのふちを細くしなやかな指がそっとなぞる。
「…そうなんだね」
僕はそう返すことしか出来なかった。
いままであったウットリとしたほろ酔いのような感覚は消えて、いまは軽い二日酔いのような眩暈がしてくる。
鼓動が早くなって、それは酔ってフニャフニャとなった之葉の表情と口調を見ることでより激しくなっていく。
できればこのまま帰りたいというような気持ちにさえなった。
たとえこの後にとっておいたホテルの部屋をキャンセル料で満額払うことになったとしても。
いや、いっそこのまま時間が止まってくれてほしいかも。
でもそんな馬鹿なことを考えても当たり前のように時間は進む。 ふとスマホの画面を見ればホテルの予約時間へと近づいていた。
優柔不断の僕は「今日はこのまま帰ろうか?」なんて言えない。
想いとは裏腹の言葉を発して席を立つ。
「それじゃ、そろそろ行こうか?」
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