『「指を折って」と指折り待つ彼女』
中田祐三
平坂隆司の葛藤①
スマホをベッドのサイドテーブルに置く。
そして溜息を一つ。
これは覚悟を決めるため。
切り替えるため。
なぜならこれが必要不可欠な儀式なのだ。
僕にとっては。
視線を横に向ければ、ひび割れたようにシワの入ったベッドの上、そこには両手を頭の上で縛られて目隠しをされた女が一人座っている。
女と言うよりも少女に近い見た目。
小柄で髪は肩甲骨の間くらい、その薄栗色の髪が明るい照明の下ではよく映えていた。
名前は竜宮 之葉(これは)年齢は僕と同じ二十歳。
「さて、はじめるよ」
画面をタップする。 表示された900秒の数字が変化していく。
ビクリとした反応。
視界をふさがれている彼女には見えないはずだけれど、ベッドに手を置いたことで気づいたのだろう。
傍目から見れば犯罪行為にも見える。
事実、こんな現場を見られたら何の言い訳もできないだろう。
彼女は震えている。 怯えているようにくぐもった声しかあげられていない。
でも信じられないことに…。
ああ…本当に信じられないことに。
彼女は同時に期待もしているのだ。
それが嫌と言うほどに理解できる。
なぜなら長くは無いとはいえある意味、僕と彼女は濃密な付き合いを続けているのだから。
そう、正真正銘。 いま目隠しをして縛られている竜宮之葉は僕である平坂隆司の恋人である。
けれど僕は彼女の髪を遠慮なく掴みあげる。
ブチブチとした音と感触が指先から手首、そして脳内へと伝われば、途端にフツフツと鳥肌が立った。
「うっ…あっ…」
声にならない苦悶が桜色の唇から漏れ、間髪居れずに頬を張ってやる。
力は弱すぎず、そして強すぎないようにというジレンマ。
ただ叩いた痕が赤くなるくらいには。
ビリビリとした感覚が自身の手のひらに広がってジンワリと熱くなるくらいには。
乳白色のシーツの上、彼女が倒れこむ。
その下のくたびれたスプリングのきしむ音が大きくギシリと部屋に響き、手には数本の黒髪が指に絡みつき、それを乱暴に振り払う。
可愛らしいチェック柄のスカートから覗く太ももの間に足を乱暴に挟みこんで震えている内腿を強くつねりあげれば、彼女の身体が痛みで跳ね上がるからその薄い胸に左手をたたきつけてやる。
「ゴホッ…う、あっ…や、やめ…て」
「うん?うるさいなー」
もう一度頬に平手を叩き込む。
「い、痛っ!」
「また、声を挙げたね?」
バシッ! さらにもう一度叩き込む。
「……っ!」
理解して声を押し殺す。
自分の歯で内部を切ったのか?
口元から一筋の血が流れていた。
それが美しくて…。 薄い紅を塗ったように唇は染めあがり、同時に柔らかい香りが生臭く鮮やかな臭いで汚されていく。
気持ち悪い。 胃の辺りをドロドロとした何かが蠢いてる。 視界が歪んでくる。
視線の下では之葉の唇から垂れた血が涙とファンデーションで混ざり、滲んだ色合いの線が走っていた。
「お前、よく似合ってるよ…それ」
すべすべとした皮膚の表面に走る線を人差し指でなぞり、グジュグジュになったそれを掬い上げて舌先で舐めあげる。
そしてそのまま指を之葉の唇にねじ込んだ。
トロリとした唾液が指先に絡み付き、ふにゃふにゃとした舌を指で弄ぶ。
痛みと恐怖…そしてそれとは相反する感情で震える身体。
それがとても綺麗に見えるから余計に不愉快な感情に支配されてしまう。
クソッ! なんでこんなことしているんだ!
心がひどくささくれだつ。
その腹いせのようにまた平手を打ち込み、倒れこむ彼女を蹴り上げるとベッドから彼女が転げ落ちた。
なんで…。 なんでこんなこと…。 クソッ! ああ! なんで…どうして!
罵声の言葉を心の中で叫び続ける。
バシッ! バシっと言う痛めつける音が部屋に響くたびに同時に自分自身への嫌悪感が沸いて…。
ああ矛盾した行動と思考がこんなにも苛立たせるなんて…。
頭を掻き毟りたくなる衝動を誤魔化す為に視線を外した先、そこには先程置いたスマホの画面が有り、その数字は100を切っていた。
終りを考えないと…。
どうすればいい?
何がベストだ?
あっ…そうだ!
之葉の薄い身体に圧し掛かりながら首元に左手をあてがい、押しあてる。
よほど苦しいのだろう。
羞恥ではなく、酸欠で赤くなった頬の彼女から一旦手を離してやる。
「ふっ、はっ、はあ…はあ…」
解放されたことで条件反射で大きく息を吸う彼女。
そして間髪居れずにまた首に左手を乱暴にあてがった。
「グッ…ガッ…グッブ…」
普段の優しくも可愛い声とは違う、濁ってくぐもった声が喉から搾り出された。
「へへっ、すっごい変な声でてるね」
すでに彼女の顔は涙と血、そして涎でグチャグチャになっていてひどい顔だ。
それでも抵抗するように彼女が僕の手首を縛られたままの両腕で突っぱねようとするが、所詮は女の力だ、とうてい引き離せるような膂力は無い。
祈りとも叫びともいえない心の声が脳内に木霊する。
そしてそれに抵抗するように行為を続けていく。
これは演技なんだ!
本気じゃないんだ!
皮肉なことにどちらにとっても……だ。
それでも込める力は演技というには程遠いくらいに強く握られている。
ギリギリとした呼吸器官が潰れかけ、ギシギシと骨がきしむのを否応なしに感じてしまう。
吐きそうになる。 今すぐ手を離したいという衝動が沸いてきて、それを振り切ってまだ続ける辛さに涙さえ出てきてしまう。
感情が…、行動との反比例さによってジグジグと削られていく。
それでも時計はまだ0を示してはいない。
もうちょっとだ。
…もう少し。
あと少し…。
20…15…8…3…2…1…。
ピピピピピピピピ!
ああ、やっと拷問めいた時間が終わることが出来た。
気づかれないように安堵して深呼吸を一つして涙を拭いとる。
「口の中、大丈夫?ごめんね…当てるところ間違えたかな」
濡らしたハンカチをそっと頬に当てながら謝罪するが、濡れた布越しでもそこが熱を持っていることにさらに罪悪感を刺激される。
「大丈夫、大丈夫…このビリビリした感じ、ドキドキするよね~」
……いや君のドキドキと僕のドキドキは絶対に違うと思うよ。
否定してやりたいが、やったのは自分自身なので何も言えない。
ただ表情には出ているようで、之葉がクスっと笑ってハンカチを返す。
「それで今回はどうだったかな?」
「最高だったよ~、髪の毛捕まれて平手された時なんてキュンっとしちゃったし…内腿つねられた時は声でそうになっちゃった…見てみて、ほら青くなってるね、なんかキスマークみたいで嬉しい!」
普段なら赤面して思わず目を逸らしてしまうような屈託ない笑顔をされても嬉しくない。
喜んでいいんだろうか?
悲しんでいいんだろうか?
どちらにしても複雑以外の何者でもない。
「それに…最後の…あれが一番良かった」
ドクンと心臓が高鳴る。
ジットリと粘つくような熱い声をして之葉が僕の左手を自身の首元に持ってきて先程とは違った笑みで見つめてくる。
普段の彼女とは違う。 声色も、印象も。 そして笑ってくれている表情。
ああ笑顔と一語で言い表せるけれど、こんなにもバリエーションがあるものなのだろうか。
華奢で守ってあげたくなるような。 こちらが照れてしまうほどに眩しいような。
僕が大好きなあの笑顔を思い出す。
同じ笑顔なのに妙に背中をざわつかせるようなこの微笑みをなんと表現すれば良いのだろう。
「酸欠ってねもちろん苦しいだけどね、だんだん視界が赤くなって、そこから暗くなっていくと気持ちよくなってくるんだよね。なんだろう?好きなだけ遊んで、眠いのが限界になった…そのあとにお布団に入り込むような心地よさがあるんだよね」
「…そうなんだね」
微塵も理解はできないけれど、ニッコリと笑って肯定する。
ぎこちなくなっていないかだけに集中した笑い方。
別れる直前のカップルみたいだ。
けれど僕達は愛し合っている。
きっと。 多分。
少なくとも僕は彼女を愛している。
それは間違いない。
なのに矛盾した行動。
900秒のお芝居。 喜ぶ彼女。 そして笑顔を貼り付けて戸惑う僕。
いまにも砕け散りそうにひび割れた薄氷の上に居るような不安を必死で飲み込む。
向かい合った彼女の潤んだ瞳には『一体どうしてこんなことになってしまったのだろう』と途方に暮れる僕自身が映っていた。
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