第六章「引き裂かれる者たち」

6-1:大聖堂へ向かう

――早く! 早く来て!――


――――わたしを、解放して――――


 相変わらず、眠れば聞こえて来る"声"に苛立いらだち、サフィリアは瞳を開ける。

「サフィリアをどうするつもり?」


 馬車に揺られながら、サフィリアは同乗するヴィオレッタをにらみつけた。

 涼しい顔で、本を読みふけっている彼女は気が付かなかった様だ。サフィリアの耳につけたイヤリングの宝石が――淡い光を放っていた事に。


 サイザリスの魔導研究所マジツクベースで意識を失った後――気が付けば、そこは既に走行するアナスタシス教団の帆馬車の荷台だった。

 乗っているのは、この二人だけ。サフィリアとヴィオレッタのみ。

 他のシスターは馬にまたがり、その周囲を『ゴーレム』が警戒する陣容だ。


「大体さ、サフィリアの事をうやまっているのなら、これ・・はないんじゃない?」

 手錠てじようをはめられた腕を上げて見せ、サフィリアが不満をれた。

 それだけではない。

 足枷あしかせもはめられているばかりか、馬車を降りて花摘みする事さえ許されない。

 これでは、どの辺りを進んでいるのか見当もつかなかった。


「大変心苦しく思っております。抵抗なさらなければ、丁重ていちようにお出迎え出来できたものを……」

 ヴィオレッタの声が聞こえて来る。相変わらず余裕に満ちた口調だ。

「サイザリス様には、テユヴェローズへ戻りヴェルデグリスに触れていただく手筈てはずでございます」

「触ったって、”解放の言葉マギコード”も”破壊の言葉エンバーコード”も結局思い出せてないけど……?」


 サフィリアの言葉にくすっと笑う声。

フィルグリフこれを再生していただければ、話は早いのですが……」

 言ってヴィオレッタがサイザリスの魔導研究所マジツクベースから頂戴ちようだいしてきた魔導石をかかげる。記録された映像を再生出来るのは、サフィリアだけだ。

 当然断ったが……。


「女神ローザから聞かされてはいないでしょうか? 貴女あなた様がヴェルデグリスと接触を果たせば、何らかの干渉かんしようが発生する……と。

 わたしたちの考えでは、完全とは言えずとも、魔女により近い存在へ戻られると確信しております」


 ヴィオレッタの言葉に、サフィリアは寒気を覚えた。もし、そうなったら自分はどうなるのだろう?

 カラナやクラルと一緒にいた記憶も無くなってしまうのだろうか?


「……カラナは……どうしたのさ?」

 聴きたくはなかったが、ふと脳裏に浮かんだ彼女の顔を見て、問わずにはいられなくなった。

 自分が人質に取られた後、優勢に闘えたハズがない。


「さぁ? わたしの剣で胸を串刺しにしてさしあげましたわ」

 さらりとした口調で応えるヴィオレッタ。

 目を閉じて、唇の端を血が噴き出すほど強く噛み締める。

「……魔女の魔力ちからが戻ったら……あんたを真っ先に焼き尽くしてやる……!」


 ヴィオレッタを、これ以上にない憎悪でにらむ。

 しかし、そんなサフィリアの怒りもヴィオレッタはどこ吹く風でかわす。

「ご心配には及びません。往年おうねんの記憶を取り戻されれば、あの様な下賤げせんやからの事など、すぐに忘れ去ってしまうでしょう」


 何を言っても、どれだけ感情をぶつけても、この女には響かない様である。

 ヴィオレッタとの問答もんどうを諦めて、サフィリアは思考をめぐらせた。


 失望に捕らわれて、思考を停止させてはならない。

 ヴィオレッタの手から自力で逃れる手段を模索もさくすべきだ。カラナがいないから何も出来ない……ではあまりに情けない。


 まずそのカラナだが、クラルが一緒いつしよにいる。

 例え致命傷を負わされたとしても、クラルが回復出来る筈だ。

 ヴィオレッタも想定しているだろうから、魔法で回復できるレベルの傷で済んでいるかどうかだが……。


 クラルやリリオが使う回復魔法リカバリはサフィリアから見ても恐ろしくレベルの高いものだ。

 通常では決して治せないケガはもちろん、絶命してしまった者でさえ、早く手をほどこせば呼び戻す事が出来る。


 しかし、そこには限界もある。

 命が消えてからある程度時間がってしまった場合、肉体の損傷が復元不可能なほど深刻な場合、そして頭部を破壊されてしまった場合だ。

 どんな強力な回復魔法リカバリでも、そうなってしまった場合――――


 変わり果てた姿のカラナを想像して、サフィリアは頭を振る。

 こんな事を考えても意味は無い。彼女はきっと健在けんざいで、自分を追って来ているに違いない。

 後は、追いついて来られるかどうかだが……。


 やはり自分で現状を打開しなければならない。

 ちらりとヴィオレッタを見やる。

 彼女はと言えば、本の続きを読んでいる。


 端正たんせいな顔立ちの美人であるが、その横顔には無機質な冷たさがただよう。

 白く手入れの行き届いた肌をあい色のローブでおおい、そのひたいには銀で出来たティアラ、広く開いた胸元にはネックレス、華奢きやしやな手首や細く長い指には腕輪や指輪をはめている。

 長く滑らかな銀髪にも銀製の髪留めをほどこしており、そのすべてに深いあおの宝石が散りばめられている。


 あの宝石すべてが魔導石だろうか?

 だとすれば、きらびやかなその意匠いしように反して、とてつもない重武装である。


 対するサフィリアはと言えば、唯一の武器である錫杖しやくじようを取り上げられてしまっている。カラナと出会ってからここまで予備の魔導石を調達するヒマがなかったし、あったとしても没収されてしまっただろう。


 やはり、素手でヴィオレッタに立ち向かうのは不可能だ。

 何とかして錫杖を取り戻さねばならない。

 ちらりとカバーの隙間すきまから、馬車の外を見る。


 どうやら森の中を歩いている様だ。

 馬車に同調して歩く馬に乗ったシスターと、その馬を引いて歩く『ゴーレム』の姿も垣間かいま見えた。その時――

 馬車の振動がむ。停車したのだ。

 カバーがまくられ、シスターが一人、馬車に飛び込んで来る!


「わっ!?」

 彼女と目が合い、思わずるサフィリア。

 シスターも驚いた表情をしたが、すぐに顔をまし深々と一礼する。


 しかし、これは奇貨きかであった。

 シスターがカバーをめくった瞬間、はっきりと目にした。

 最後尾さいこうびを歩いている『ゴーレム』が、サフィリアの錫杖を手にしているのを。

 どうやら、処分されてはいなかった様だ。

 だが、ここからでは距離が遠すぎて、魔導石に干渉かんしようする事が出来ない……。


「どうしました?」

 ぱたんと本を閉じ、ヴィオレッタが視線を手元に落としたままシスターに問う。

 シスターがひざを着いて報告する。


先遣せんけん隊より報告です。行く手の街道に紅竜騎士団ドラゴンズナイツが検問を張っているとのことでございます!」

紅竜騎士団ドラゴンズナイツが……?」

「はい。西関所ウェストゲート駐留ちゆうりゆうしているハイドラジア公国使節団が『ゴーレム』の襲撃を受けた事に対応した、警備強化だとか……」


 初めて、ヴィオレッタが想定外と言う怪訝けげんな表情を浮かべる。

 どこかで聞いた話だ、と思いつつもサフィリアとその思考を頭から捨て去った。


 今やるべき事はひとつだけだ!


 一瞬のスキを見逃さず、サフィリアは床を蹴って馬車の外へと飛び降りた!

「しまった!」

 ヴィオレッタの声が響く!


 馬車の後ろに続いていたシスターたちの隊列をすり抜けて走る!

 もちろん、足首に重い鎖のかせをはめられているので、そんなに長くは走れない。

 ――だが、それで充分だ!


 狙いは、『ゴーレム』の手にした自分の錫杖!

 体当たりを見舞い、転倒した『ゴーレム』から錫杖を奪い取る!

「やった!」


 ひたいに魔導石を当て素早く精神と呼応させる!

めなさい!」

 馬車の中からヴィオレッタが叫ぶが遅い!

 すでに”マギコード”の組み立ては終わっている!


てつけッ!」

 サフィリアの咆哮ほうこうと同時に数十発の氷弾が馬車目掛けて放たれた!


 馬車の帆を突き破って、氷弾の雨が撃ち込まれる!

 激しい連打音が響き渡る! ――筈だった。

 馬車に飛び込んだ氷弾が、再び帆を突き破ってあらぬ方向へと飛散する!

「えッ!?」


 わずかに間を置いて、荷台の暗がりからヴィオレッタがゆっくりと姿を現す。

 当然とばかりに傷一つ負っていない。


 全弾を防いだと言うのか!? あの狭い空間で!?


 追撃の構えを取るサフィリア。だが――!

 背後から伸びた二本の腕が、彼女の首にかかる!

「がはッ!」

 “マギコード”の詠唱中にのどを絞められ、もがく!


 錫杖を奪われた『ゴーレム』の反撃だった。

 そのままサフィリアの身体を地面に押し倒すと、『ゴーレム』が馬乗りになって、その細い首筋を圧迫する!

「く……ッ!」


 錫杖の先端を『ゴーレム』の顔に向け反撃をこころみる!

 先端の魔導石がわずかに碧く輝くが――やがて、その腕からちからが抜け、錫杖は音を立てて地面に転がった。


 首を圧迫され、息が出来ない!

 脳への血流もとどこおる!

「がは……ッ!」

 耐え切れず、サフィリアは胃の中の物を吐き出す!

 『ゴーレム』の腕を掴み引きがそうとするがまったく動かない!


「おめなさい!」

 ヴィオレッタの怒声が響き、『ゴーレム』がようやく手を離した。


「げほッ……!」

 吐瀉物としやぶつをまき散らしながら地面の上でのたうつサフィリアを『ゴーレム』の無表情な瞳が見つめる。痙攣けいれんしながら、サフィリアはその瞳を見つめ返した。


「何と言うことを!」

 乾いた音を立てて、ヴィオレッタが『ゴーレム』の頬を張り倒す!


「サイザリス様を馬車へ!」

 ヴィオレッタの指示でシスター二人がサフィリアの身体を抱き起す。

 両脇をかかえられ、脱力した両足を引きずる様に、荷台に運び込まれる。


 荷台に寝かされ、潰された気管にどうにか空気を送ろうと胸を上下させるサフィリアの耳に、ヴィオレッタの指示する声が届いた。

「サイザリス様をお連れした状態で紅竜騎士団ドラゴンズナイツの検問を通ることは出来ません。別のルートを辿たどり、北を迂回うかいしてテユヴェローズに入ります」


 えの意識の奥で、サフィリアは確信する。

 これはカラナの仕業しわざだ。


 何らかの方法で紅竜騎士団ドラゴンズナイツを動かし、ヴィオレッタを足止めしたのだろう。

「絶対助けてくれる……!」

 小さな笑みを浮かべ、サフィリアは意識を失った。

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