堕ちきれない

髙木 春楡

落ちていきたかった

 冬の寒さはもうほとんど消えていた。夜になれば肌寒かったけれど、もう桜は満開を少しすぎ徐々に、葉が顔を覗かせていた。

 その頃の僕は、心の穴を埋めようと必死になっていた。その穴はなぜ出来たのかわからないものだった。夢を叶えようと思っているだけで、行動出来ていない自分に対する苛立ちによって出来た穴なのか、恋人に振られたことで出来た穴なのか、はたまた、家族との仲の悪さから出来た穴なのか、どんなものかはわからなかったけれど、僕はそれを女性で埋めようとしていた。

 ネットで知り合った子と会う。身体を重ねることもあれば、遊ぶだけで終わることもある。だらしのない人間だった。それでも、その生活は楽だったし、少しは気が紛れていた。それに、別に誰かを不幸にしているわけではないのだから、責められるいわれもない。

 そんな時期に出会った彼女のことが、何故か心に残っていて、その頃から少しだけ僕は変わっていった。

 彼女をSNSでフォローしたのは、載せていた写真から、かわいいことがわかったからだ。かわいさもあり、綺麗でもある。そんな人だろうと写真から想像していた。ありがたいことにフォローバックもきて、ダイレクトメッセージで話すことも出来た。そこから会うに至るまでに時間はかからなかった。それは、きっと僕の趣味と彼女の目指しているものも関係していた。

 僕は、映像を撮っている。ただ色々な景色を撮って自分でナレーションを入れ、満足するだけの自己満足。でも、いずれは、物語性のあるものを撮りたいと思っていた。所謂映画のようなものだ。だからと言って明確に映画監督になりたいわけではなかったし、なりかたも知らない。ただ漠然と映画が好きで映像を撮ることが好きだっただけだ。

 そんな僕が出会った彼女は女優を目指していると言っていた。学生時代は演劇部に入っていたようで、今もオーディションを受けたりしているようだ。僕が惹かれたのもそんな部分もあるのだろう。他の人とは少しだけ違う。そんなふうに思っていた。だから、僕は映画監督になりたいんだと嘘をついた。そんな大層な夢なんてない僕だけど、少しでも彼女に見合うようになっていたかった。その夢が笑われることはないし、彼女は寧ろ喜んでいた。「私のこと撮ってくださいね!」なんて言うから、今度の休みまだ桜咲いてるし桜をバックに撮らせてくれない?と聞いてみる。もちろん、答えはYesだった。

 そうして、その週末僕らは出会うことになる。天気は晴れ、暖かくて半袖でも過ごすことが出来そうな日だ。高校卒業と同時に親に貰った軽自動車を運転して彼女を迎えに行く。

 大きな駅の近くは有料駐車場しかない。たった何百円ではあるが、払いたくない僕は近くのコインランドリーに停めると待ち合わせ場所に向かう。待ち合わせ場所近くに着くと服装を教えてもらう。白いワンピースを着た人。だが、その場にいた白いワンピースの女性は携帯を触っていない。この人ではないのかと少し安心しながら先へ進むとソファに座っているネットで見たよりかわいく、美しい女性を発見した。

「どうも、羽山はねやまです。山吹やまぶきさんですか?」

「あ!どうも!山吹です!」

 携帯を眺めていた彼女が顔を上げると、辺りの空気が変わったかのように感じるほど、明るい笑顔を見せた。見た瞬間にわかる才能。目を惹き付ける才能。そんなものを感じた気がする。

「じゃあ、とりあえず車まで行きますか。」

「よろしくお願いしますね!」

 改めて軽い自己紹介をしながら、車へと向かっていく。長い髪が風で揺れているのを横目に見ながら、どこに行こうかなと今更ながらに考えていた。

 桜が見える公園、そこに向かっている最中に色々な話をした。学生だという彼女の学校生活について、休日は何をしているかなんていう、話の下手なやつがしそうな話題提供をしながらも、楽しく話せていたと思う。軽くボケながら相手の話を聞く。質問をする。そうしていたら、自然と二人の距離は少しだけだが、縮まったような気がする。初対面特有の空気感は薄くなり、気軽に話せるようになっていく。

「いっつも女の子をこんなふうに誘って、映像撮ってたりするんですか?」

「いや、全くだよ。映像撮ってることすら話さないから、こんなふうに誘ったのは山吹ちゃんだけ。」

「ほんとかなぁ?軽そうだからなぁ羽山さん。」

「否定はしないけど、そんなこと言うなら山吹ちゃんこそ、こんな変人と会うくらいだから、よく色んな人と会ってるんでしょ。」

「えぇ、そんなイメージになっちゃいます?否定はしませんけど!」

 彼女も僕も、清純を装うことはしなかった。多分できなかった。他の人にならいくらでも出来るだろう。でも、僕らは話していく中で分かっていたんだ、自分達が同種族の人間であることを。僕らは穴を埋め続ける人間だ。


 桜が散る中、僕はカメラを彼女へと向け続ける。歩く彼女を、花を愛でる彼女を、カメラを向けた僕に笑いかける彼女を、僕は写し続けた。コロコロと表情を変え、彼女は桜の中へ消えていく。そして僕は誰もいなくなったその場所を写す。

「もう大丈夫ですか?」

 そう言いながら少し不安げに彼女が戻ってきた。

「もちろん、素晴らしかった。ほんと色んな表情が出るもんだね。表情筋死んでる僕には無理そうだ。」

「えぇ!そう言ってくれてありがとうございます!確かに、羽山さんは表情死んでますよね。でも、クールな感じでてるのでありですよ!」

 この子はあざとい。絶対に喜ぶのがわかっていて言っている。その人が好きそうな表情をして、無邪気な雰囲気を出す。多分人を惚れさせる天才だろうと思う。

「ほんと、あざといね。カメラ回ると全然雰囲気変わるのに。」

「それ褒めてます?褒めてませんよね!もー!」

 上手いなぁ。僕がほだされることはないだろう。でも、いけそうな気がするとくらいは思ってしまいそうになる。ほんと、いけない。

「次どうする?撮りたいのは撮ったけど、何かしたいことある?」

「特にはないですけど、何か逆にあります?」

「そうだな。こっちの方住んでたから、足湯の穴場スポット知ってるんだけど、そこ行くか。」

「足湯!いいですねー!センスありますよ!」

 足湯でセンスがあると思われるとは、感性が少しズレていそうだ。

 その場所は旅館から少し離れたところに何故かある、何故ここに作ったのかもわからなければ、誰かが使っていることを見たことすらないが昔住んでいたところの近くにこの足湯はあった。特別景色が綺麗なわけでもなく、ひっそりと佇んでいるそれに惹かれて、こっちに住んでいた時学校帰りによく寄っていた。

「すごく地味なところにありますね。」

「静かでいい所でしょ。誰かが使ってるとこ見たことないけど、いっつも綺麗なんだよね。」

「確かに汚さゼロですもんね!いいなぁいいなぁ、早く入りましょ!」

 靴を脱ぎ靴下を丸め靴の中へと押し込む、僕はズボンをたくしあげると足を入れる。

「うわー、男の足って感じですね!ジャングルだ。」

「そりゃ男ですからね。山吹ちゃんはツルッツルで撫でたら気持ちよさそうだね。」

「あ、その展開読めますよ!触ってきてダメな雰囲気になっちゃうやつですね!」

 馬鹿みたいな会話だ。駆け引きなんていっつもしているはずなのに、駆け引きが出来なくなっている。清純なんて言葉とは真逆にいる二人のはずなのに、何故か心が清純になっている。ぎこちない雰囲気、そんな中僕はふとスマホのカメラを回した。

「足湯、気持ちいいですか?」

「え、突然ですね。気持ちいいですよ。」

「今日は楽しいですか?」

「なんですかこれ、AVの撮影みたいになってません?」

 僕もそれ思ったよ。だけど、今はカメラマン。

「僕は楽しかったな。なんかこんなに合う人がいるんだって運命だななんて思ったりしてね。」

 関係なく話を進めていく僕のやりたいことがわかったのか、すぐに顔を変え告白前の二人の雰囲気が作られる。

「私も、楽しかったですよ。ずっとドキドキしてました。」

「それはよかった。でも、僕は意外とクズだからさ。」

「知ってますよ。私もそうですから。」

「なら、クズ同士だ。運命だね。」

「これを運命って呼ぶんですか?」

 髪を耳にかける仕草をしながら、こちらを見て微笑む。僕は今演技をしているのか、それとも普段の自分でいるのかわからなくなっていく。

「運命だよ。だって、君のことが好きになったから、そう信じたいんだ。」

「だったら私もそうだと信じます。」

「ありがとう。」

 そう言ってカメラを下げる。

「急にどうしたのかと思いましたよ!なんであんなことし始めたんですか!」

「いや、なんか急に撮りたくなったから。」

 多分こうしないと本心が見抜かれる気がした、だから、僕はあんなことを始めたのだろう。勘違い男になりたくないから。

「才能ある映画監督っぽいこと言えば許されるわけじゃ、ないですからね!」

「でも、流石の演技だなぁ。演技なのか、わからなくなるくらいだったよ。」

「そんな褒めます?素直に照れます。」

 両手で顔を覆った君は、僕の右隣にいる。ほとんどカメラ越しにしか彼女のことを見てなかったなと思いながら彼女を眺めてみると、左手の薬指に指輪がはめられていた。もちろん、結婚してるわけじゃないのはわかっている。

「左手の薬指に指輪してるんだね。一瞬人妻?って思っちゃったよ。」

「あ、これですか?サイズがここに合うから付けてるだけですよ。」

 変わらぬ笑顔で彼女はそう言った。辛いのはそれが嘘だとわかってしまうからだろう。

 僕は何も見ていなかった。身体を合わせることばかり考えながら彼女を誘った。そして、かわいくて美人な彼女を見ながら、少しだけ恋に近い感情を抱いていた。でも、それは恋に近いだけの勘違いだ。だから、こんなことにも気づかない。最初からしてたはずの指輪にすら終盤で気づかなかった。

「かわいい指輪だね。」

「お気に入りですからね!」

 今日は、身体を合わせることはないだろうな。きっとこのまま帰るだけだ。でも、僕らはどこまでもクズであった。心の穴をどうにか埋めようとする人間達だった。


 彼女を駅までではなく、家の近くまで送っていった。その近くなったコンビニで僕らは帰るまでの名残惜しい時間を過ごしていた。

「いやー、ほんと楽しかったな。」

「ですね!なんか、初めて会った気がしなかったです!」

「ほんと、そうだな。でも、沢山会ってるうちの1人だからな、この場でキスでもして印象に残してやろうかな。」

 些細な冗談、いや、半分以上は本気の冗談。僕は彼女のあざとくて、計算高そうな顔が少しでも、歪むところが見たかった。悪い意味に歪むのではなく、少しでいいから求められたいと思ってしまった。彼女の思うつぼなんだろう。

「してくれるんですか?」

 君にはきっと彼氏がいるんだろ。そんなことを言ってどうするんだよ。

「そんなこと言われたら本当にするよ。」

 頷いた彼女に顔を近づける。触れるだけの優しいキス。普段するような欲にまみれたキスではかなかった。ただ触れただけ、ただそれだけで僕の心は崩落していった。

「ごめんね。いきなりこんなことして。」

「え、謝らなくていいのに。私から誘ったみたいなもんじゃないですか。」

 二人は分かりあっていた。知っていた。多分お互いにお互いが勘づいていることに勘づいている。落ちて落ちて落ちていく。

 でも、これ以上落ちることが出来ずにいる。だから、帰ることにした。触れただけのキスを最後に僕らは別れることにした。

「ばいばい!また会いましょう!」

「うん、またね。」

 そう言い合った僕らが会うことはなかった。

 彼女に撮影した動画と写真を送り、また休みが合う時に撮影しましょうなんて言ったけれど、僕らが会うことはなかった。それに、SNSでの繋がりもなくなった。

 あの時に撮った動画を今でも、見ている。初めて誰かを撮った。そんな記念でもある。ただ、僕らは心の穴を埋めるために会っただけなのに、僕の大切な初めてを奪われてしまったのだ。だから、今でも大人になれずにいる。ずるい大人にはなれずにいる。夢を追いかけるフリーターにしかなれずにいる。

 それでも、映像は撮り続けた。再生回数なんて100にも満たないけれど、動画投稿サイトに投稿をし始めていた。色々な人に出てもらい、物語を作っていた。

 あの日、僕は変わってしまった。クズになりきれない僕のことを少しだけ愛してしまった。だから、そんな僕を少しだけ信じてみることにしたんだ。だから、あの人を僕は忘れられそうにない。初めて撮った人で、僕を自分を好きになれるきっかけをくれた人だから。

 僕らは、あの日落ちながらも救いあったんだ。

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堕ちきれない 髙木 春楡 @Tharunire

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