前編

「夏……だな。」

 只野は呟いた。只野は熱血漢である。夏と言えば強化合宿である。新人B.I.N.D.S.エージェントとチルドレンに正義とは何かを伝える二泊三日の強化合宿、そこまでは決まっていた。問題は中身がまるで決まっていない事であった。何をやるか決まっていない合宿に人を呼ぶことができない事くらいは彼にも分かる。そのため、誰かに手助けを求める事にした。


「いや、僕は部隊長の仕事もあるからそういうのはちょっと……」

「表の仕事の締切が近いの!ごめんね!」

「合宿?いやよそんなの。私はファーと二人で過ごすから。」

「……(こくり)」


 どうにも皆の都合が悪いようだ。日頃の正義が足りないのかもしれない。


「僕は、その……えーっと……」

 只野は最後の頼みの綱、近江有と話していた。彼もまだ新人と言える経歴だが共に修羅場をくぐり抜けた戦友だ。その正義の力を疑う必要はない。

「君の力を見込んでお願いしたい。組織に入ったばかりの新人たちが道を違えぬよう、仲間としてやっていけるようこれは必要な儀式なのだ!」

 ガバと頭を下げる只野。只野なりに真剣に後輩たちの前途を考えての行動なのだ。決して遊びで合宿をやろうというわけではない。

「……わかりました。お手伝いします。」

 観念した近江が小さな声で答える。この身体オーヴァードになって人との繋がりの重要性について思うところがないでもない。『共に苦難を乗り越えた仲間』というものがいざという時に己を見失わぬ標となることもあるだろう。

「おお、ではさっそく計画を立てよう!やはりスイカ割りは必須であろうな!」

 目の前の先輩にそこまでの視野があると信じるのは無謀だったかもしれないと近江が思った頃にはもう引き返すことはできなかった。



「よし、諸君着いたぞ!ここが今回の合宿場だ!」

 目の前の海と背中の後ろにそびえる山に囲まれた自然豊かな温泉宿、といえば聞こえはいいが田舎の民宿に申し訳ばかりの露天風呂をくっつけた存在である。そして当然のようにボロい。

「これは、風情が、あり……ますね?」

 なんとか本音をオブラートに包むことに成功した近江の台詞に、只野は満足げに首を振る。

「いや、UGNもっとお金あるでしょ!?なんでこのボロ宿!?」

 参加者の一人、金谷満がストレートな一言を放つ。

「海って言うから映えスポット期待してたのに……これならフルーツ大福屋さんの開店記念行くべきだったなぁ。」

 同じく参加者の一人、入椅子玲子も小声で愚痴をこぼす。

「いやーまさしく合宿って感じでワクワクしますね。よろしくお願いします、教官!」

 最後の一人、面田真だけは目を輝かせて只野に握手を求める。

「君は優秀そうだな!期待しているぞ!他の者も正義とは何かをこの合宿でしっかり学んで欲しい!ではまずは海で泳ぐぞ!荷物を置いて着替えて三十分後に集合!」

 生徒の不満はスルーして、言いたいことを言い終わるとさっさと宿の中に入ってしまう。

「え、泳ぐのか?」

「海に来たってことはそういうことなんだろ。」

「え、でも……」

 遠くに見える黒雲、響く遠雷。天候、そして海の荒れは約束されたも同然であった。


「よし、全員揃ったな!まずは正義体操第一!」

 せっかく海に来たので……という近江の言葉に促されて水着に着替えた面々であったが、只野の台詞で再び硬直する。

「正義体操……ってなんすか?」

「近江さん、わかります?」

「いやこれは僕にもちょっと……」

 今すぐこの場を去って日常に帰りたい近江であったが、自分がいなくては合宿の安全を護る者がいなくなると考え直す。腹の底に力を入れ、只野に一言を物申さねばならない。

「只野さん!みんな知らないみたいなんで普通のラジオ体操第一にしましょう……」

 勢いがあったのは最初だけで徐々に小さくなる声はなんとか只野の脳までたどり着けたようだ。

「そうか!今回は女子もいるものな!では改めてラジオ体操第一、始め!」

 謎の理屈で納得した只野に、根が真面目な面田と入椅子が続く。近江も渋々動き出し、金谷だけがポカンと立ち尽くす。

「足攣ったオーヴァードなんか見たことねぇよ……」

 彼の呟きは白い砂に吸い込まれて消えた。


「近江、タイム25分34秒!最下位とは情けない!これは正義の注入が必要だな。」

 遠泳が終わりそれぞれのタイムが発表となる。『全体が見えるように』一番後ろにつけていた近江が最下位なのは予定内だが、只野の不穏な発言にイヤな予感が隠しきれない。

「正義の注入ってなんだよ?」

「罰ゲームみたいなものかな……多分。」

 後ろで金谷と入椅子がヒソヒソと話している。近江の予感も同じようなものだが、只野には『加減』というものが存在しない事が気がかりだ。

「正義とは、燃える命の輝きだ!というわけでこのアドレナリンたっぷりの『正義汁』を一気飲みしてもらおう!」

 そう言って只野が取り出したのはドロドロとした真っ赤な液体だ。刻みきれていない唐辛子がいくつか浮いている。

「教官!それはなんでありますか!」

 面田の問いかけに只野はニカッと笑ってこう答える。

「これは、正義だ!!!」

 後に入椅子はこの場面を「私も『女子力』を色んな意味で使っちゃうんですけど、あんななんでもありの『正義』は初めて聞きました」と語っている。

 ともかく、差し出された液体を飲み干さねば話が進まない事だけは近江にも理解できた。気は進まないがその大きなジョッキを手に取る。

「う、ううん……」

 一般にバイサズは通常の食事に対する感覚が鈍っているが、これはその鈍った感覚でもヤバさが察せられる代物である。

 意を決して口をつける。特別に辛かったり苦かったりはしない。むしろ飲みやすいくらいだ。

「ああ、味の心配はしなくていい《隠し味》でバイサズでも飲みやすいよう調節してある。別にまずいものを飲ませて罰ゲームにしようというのではない。単純に活力を与えるための栄養がメインだ。」

 近江の不思議そうな顔を察したのか、只野が補足する。他の新人たちも「あれ、意外とこの教官まともでは」という空気になる。

「ではその《狂戦士》のパワーで次の種目も頑張ってほしい。」

 その言葉を聞いた近江は目を見開いたまま最後の一口を飲み込んでいた。

 

「右です!右!」

「もうちょっと前です、近江さん! 」

「ポンデリングの丸一個分右回転!」

 三者三様の声を張り上げて目隠しした近江を誘導する。そう、スイカ割りである。本日の特訓の締め兼レクリエーションにと只野が用意したものだ。

「「「そこ!」」」

 三人の声が重なり、それに応えて近江の持つ棒が振り下ろされる。

 パン、という短い音とともにスイカが爆ぜる。《狂戦士》によって超強化された近江の力はスイカを割るだけに留めず勢いよく破裂させてしまったのだ。

「うわ!」

「ひゃっ!」

「イテッ!」

 近くで応援していた三人も声を上げる。金谷に至ってはぶつかった破片に驚いてしりもちをついている。

「スイカは悪ではない。そこまで強く叩いたら食べるところがなくなってしまったではないか。」

 サングラスに飛び散ったスイカの果汁を振り払いながら只野が呆れ顔で近づいてくる。

「いや、あの、すいません……」

 納得はいかないがつい謝罪の言葉を口にしてしまう。なんであれば至近距離でスイカの爆発を喰らって足や腹を痛めているくらいである。

「仕方ない。諸君、まだ食べれそうな破片はあるか?」

 只野が皆に声をかけつつ周囲を見渡すが、思いのほかきれいに爆発しており細かい破片しかない。

「せっかくの甘味が~。」

 入椅子がスイカが置かれていたシートを手に取るが果汁がべっとりついているだけで皮や果肉は残されていない。

「案ずるな諸君!こんなこともあろうかと宿にかき氷を手配している!待っていたまえ。」

 そう言い残して只野は宿へと歩いていく。この男、意外としっかり手配をしている。

「やったー、かき氷!夏と言えばかき氷だよね~。でもシロップ何があるんだろ。」

 入椅子は既に気持ちを切り替えてシロップについて思いを馳せている。

「なんか、思ったよりまともだな……」

 金谷は拍子抜けしたように呟くと、体に付いた砂を払う。

「厳しい特訓に皆で食べるおやつ、これぞ合宿といった感じです!いやー参加してよかった。近江先輩がうらやましい。只野教官と同じ隊の所属なんて。」

 面田はすっかり只野のファンと化している。これには入椅子と金谷も若干引き気味であるが本人は気付いていないようだ。

 そのようなやりとりの間に周囲には変化があった。これまで遠くのほうで漂っていた黒い雲が急速に海岸へと移動し、太陽の光を遮るように広がる。さらにはそこから大粒の雨が降り出したのだ。

「あれ、いつの間に雲が。」

 近江が気付いて空を見上げた瞬間、雷まで鳴り出した。

「わわ、大変。宿に戻ろうよ!」

 水着なので濡れるのは問題ないが、さすがに雷に打たれては敵わない。入椅子が宿に向けて走り出す。そのタイミングでもう一度雷が鳴る。

「近江さん……今のって……」

 金谷が真剣な表情で近江を見る。近江も同様の表情で見返し、うなづく。

「今のは《ワーディング》だ!」

 近江の叫びに呼応するかのように、海の中から《氷の回廊》が出現する。その氷の回廊上を滑り、敵がその姿を現す。

「おいおいマジかよ。」

「映画なの?」

「サ、サメ!?」

「頭が1、2、3、4、5……全部で5個。」

 そう、頭が5つあるサメである。正確には5つの重なり合う《高速分身》によって5体に見えるバイサズ・シャーク・ジャームであった!

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