第4話
就活サイトをサーフィンしての企業研究と自己分析が終わった僕は、いつしか暗くなった夜空を窓越しに確認すると、さっとカーテンを閉めて私服に着替えた後、食事の準備を始めた。冷蔵庫に昨日作った鍋料理の残り物があるのでそれをレンジで温めて、そこにご飯を載せて夕飯にする事にした。
ふすまを開いて台所へ移動。古びたガスコンロで水の入った鍋を温め、その中へと乱暴にご飯を放り入れるだけで、今日の夕飯である雑炊の完成だ。
六畳間へと戻る。床に散らばったコミック本で転ばないよう慎重に、机へと夕飯を運んだ。そして、そんな僕とは対照的に幽子はクッションの上で胡坐をかき、楽しそうにテレビを眺めていた。時刻は午後七時。ゴールデンの番組が始まっている頃合いだった。
「日本の誇るスーパーキッズ特集だって!面白いよ!」
と言って僕を手招きする幽子。僕は机に夕飯を置いてテレビ画面に視線をやる。
「続いて紹介するのは、将棋界の若きエース、藤井聡(そう)太郎(たろう)六段、十四歳です!」
そうナレーションが高らかに宣言すると、中学生くらいの落ち着いた雰囲気の男の子が画面に映し出された。髪型はもっさりとしたキノコ風で、服装は紺色のスーツ。赤く若々しい印象を与えるネクタイと対照的に、本人の顔つきからはただの中学生とは思えない、人生経験豊富な大人のような貫禄が滲み出ていた。見た目からしてまさにスーパーキッズ。
「藤井六段は先月開催された第十一回朝目杯将棋オープン戦にて見事優勝を収めました!十四歳での優勝は史上最年少です!」
「大会中どんな気持ちでしたか?」とインタビュアーの若い女性が藤井六段に質問する。それに対して藤井六段は毅然と落ち着き払った表情で答える。
「いやあ、特に何も考えていませんでした。ただこの大会を楽しもうと思っていて、ひたすら試合に没頭していたらいつの間にか、勝っていた……という感じでしたね」
これに対してインタビュアーは絶句したようなオーバーリアクションで返す。
「特に何も考えていなかったと!何も考えずに朝目杯史上最年少制覇だなんて凄過ぎます!将来の将棋界を背負って立つに相応しい逸材ですね!」
「いやあ……それほどでも」
なるほど。世の中には凄い子供がいるもんだ。
日本の誇るスーパーキッズ特集とやらは次のトピックに進む。スケートリンクをバックグラウンドに、インタビュアーがこれまたオーバーアクションで状況を説明する。
「続いては、若干十四歳で今年の全日本選手権を制し、日本一となった天才少女です!」
彼女が指さす先にはスケートリンクを颯爽と滑る小柄な女の子がいた。氷上をまるで自分の庭であるかのように悠々と滑る女の子はジャンプするや否や優雅に三回転。トリプルアクセルってやつか。この歳でもう出来るなんて凄いな。
技を決めると何事も無かったかのような表情でインタビュアーの元へ滑り寄る。近くで見るとなおさら小さい。こんなに小さな子が日本一だなんてにわかには信じられなかった。そんな彼女は手すりに手を掛けると、「こんにちは。宮原智子(ともこ)です」と自己紹介した。
「宮原さん、今回の全日本選手権優勝おめでとうございます!」
「有難うございます」
「最年少での全日本制覇ですが、上手くなる特別な秘訣とか習慣とかってあるんですか?」
「いえ、特には無いですね。他の選手と大体同じ練習をやっていると思います。ただその量が多かったのが今回の優勝に繋がったのだと思います」
「大体何時間くらい練習するんですか?」
「一日、十時間以上はやっていますね。朝九時から始めて大体夕方の七時過ぎ頃に練習を終えます」
インタビュアーがこれまたオーバーリアクションで答える。今度はマイクを落としそうになった
「一日十時間以上!凄く長い時間練習するんですね!才能がある上に努力家とは、これはもう誰も敵いませんねー!」
「いえいえ。好きでやっているので特に才能があるとか、努力しているとか思っていません」
謙遜する宮原。しかしまんざらでもないみたいで、笑顔を見せる。その笑みに驕りは全く感じられず、むしろ子供らしい純粋さが見て取れた。そこはまだまだ幼さが残る無垢な十四歳という感じだった。
「宮原選手は来年のオリンピック出場を賭けて選考会にも出場する予定だそうで、今後ますます期待がかかる選手です!日本のスケートファン皆で応援していきたいものですね!」
その後好きな食べ物は何だとか、彼氏はいるのかだとか色々な雑談をして本トピックは終了した。その後スタジオが映し出され、ひな壇に座った芸能人達が個々の感想をコミカルに語り合った。
「二人とも俺より年下なのにすげえな」
テレビに出ていた少年少女は共に十四歳。中学生だ。凄い凄いと感心する一方で、僕は大学生にもなってあの子たちの出した成果の百分の一も出せていない事に気付く。
さらに受験に失敗し、親に学費の事で迷惑をかけている。就活が始まるまでアルバイトに明け暮れる学生生活を過ごしていたために、大学の成績も振るわず。挙句の果てには、現在の就活の状況もイマイチだ。きっとあの子たちは、スポンサーもついていて、僕が必死でアルバイトに明け暮れ稼いだ額すら優に超える収入だって得ているだろう。そう思うと何だか自分がとてつもなく不甲斐無く、無力な人間に思えてきた。この手の番組見るとよくこんな感傷に浸るんだよな僕は。
「なあ幽子」
「うん?」
「今テレビに映っていた子たちと僕、何が違うんだろうな?」
突如生じた感傷のせいか気付けば僕はそんな事を言っていた。
そんな僕を見た幽子は怪訝な顔をしながらも、内にちょっと意地の悪い笑みを含んで答える。
「なぁに?もしかして、あの子たちと自分を比較して鬱にでもなっちゃってんの~?大人気な~い」
「ちがわい」
口ではそう言ったが、まさにそうだ。図星だ。
一瞬両者の間に沈黙が流れた後、幽子は口を開いた。
「そう言うあなたは何が違うと思う?」
逆に幽子が質問する側に回った。
何が違うって?それは勿論。
「才能だろ」
そう才能。英語でtalent。神様から貰える最高の贈り物。これを持つ人間は成功出来る。持たない人間は成功出来ない。簡単な話だ。生まれた瞬間から与えられる、越えられない壁。
「『才能が無くても努力さえすれば成功出来る』みたいな類の臭い台詞は、耳に出来たタコが削げ落ちる程聴いてきた。こんなクソみたいな綺麗事を言う奴は嫌いだ。こういう事を声高に叫ぶ奴ほど迷惑な存在は無い。こういう奴はきっと、生まれつき病弱で運動が出来ず体育の時間は常に見学しているような子供に対して、『君でも頑張ればオリンピックで金メダルを獲れる!努力しろ!』って言ってケツ叩く事に何の躊躇いも無いのだろうな。人生は初めから才能で決まっているというのに。
「ふうん。やっぱり嫉妬してるんだ」
「…………」
意地悪く笑う彼女に対し、無言の肯定でちょっとばかしの抵抗をしてみる。「まあな」とは一応心の中では思う。
「あの子たちが憎い?」
どうだろう。しばしの間考え込む。憎しみ。その感情は確かに無いと言えば嘘になると思う。だがあの子たちが憎いかと聞かれたらちょっと違う。本当に憎いのは僕に才能をくれなかった神様の方なのかもしれない。
でも神を憎んだところで何も生まれない。大体いるかどうかも分からないのだし。何より世間のほとんどの人は、人生に夢を持っていても才能は持っていない場合が多い。ゆえに夢は叶わず、平々凡々な人生を歩む方が圧倒的多数なのだし。
だがしかし、それでもそんな残酷な現実に納得出来ず、成功者を心から祝福する事が出来ない自分が心のどこかにいるのも事実だ。でもまあ。
「どうだろうな。しかし成功している人たちを見て、心から祝福出来ない僕ってやはり性格悪いのだろうか。テレビに出ていた、ああいう子たちには『才能を持って生まれただけのラッキーガイなだけのくせして調子のんな』って気持ちはちょっとあるかもしれない」
少し間を置いて続ける。
「僕は大人になっても何か特定の分野で大成したり、凄い人物になったり出来なかった。やっぱり僕には何も才能が無い。だからこそ会社の中で馬車馬のように働いて貢献して、少しでも社会のためになるべきだと思う」
それこそが才能の無い者の運命。
僕は真理を言ったつもりだったが、これを幽子はすました顔で返す。
「才能かぁ。でも才能だけじゃ日本一になんてなれないと思うよ。特にスケートの子は、一日十時間以上練習していたと言っていたよ。それだけ一つの物事を一生懸命継続出来たのが、一番の成功要因だったんじゃないかな。どんな天才だって努力を継続しなければ成功出来ないと思うし」
継続、ね。
「だが物事を長い時間継続するには高い集中力がいる。その集中力だって才能じゃないのか?やっぱり才能が全てだろ」
「うーん、あの子たちは『没頭』とか『熱中』していたって言っていたね。『好き』な事をやっている時ってそれこそ熱中しちゃって一、二時間くらいあっという間に経っている事あるじゃん?それくらい私もなった事あるし。チグセント・ミハイ流にはフロー体験って言うのかな。流石に毎日十時間とかは難しいけど。それでも特別な才能なんか無くても『没頭』とか『熱中』って誰でも出来て、どれだけ楽しい気持ちで物事に向き合うのかが大切だと思うよ。そうして楽しいと思った分だけ、きっと徐々に『熱中』出来る時間が伸びていくのだと思う。
幽子は立ち上がると、机の前までやって来て椅子に座っている僕を見下ろした、「要するに」と前振りをする。にっこりと笑いながら。
「自分の心の中の『好き』という気持ちに正直になれるかどうかなのよ」
『好き』ね。確かに好きでなければ、一日十時間以上も熱中して同じ物事は出来ないはずだな。だが。
「ああ確かにもしかしたら僕にも過去を遡れば熱中出来る、『好き』な事があったかもしれない。けれどもテレビに出ていたあの子たちみたいに『好き』な事だけやって生きていける人間の数なんてたかが知れている。そんな物事に時間を割くくらいなら、勉強したり、コミュ力を磨いたりして少しでも堅実に、将来の役に立つ事を考えた方がマシじゃないのか」
「好き」な事で生きていく。確かに良い事だ。だがそんなのは理想論だ。
「いくら『好き』な事があったって、それは勉強とか人間関係とか別の物事に押し潰されて、どこかへ消えて忘れてしまうし。それでも追い求めていたとしても、いずれどこかで挫折して諦める時が来る。そんな風に現実を見て皆大人になるんだよ。そうこうしているうちに就活が始まって、どこかの企業に拾われ、社会の歯車になる。世間のほとんどの人がそんな人生を歩むように社会は出来ているんだよ。初めから社会自体がそういう風に出来ているんだから仕方が無いだろ」
資本主義とはこういうものだ。
「例えばプロ野球選手になりたいといってもその椅子は限られている。プロ野球選手になりたい人間全員がなれる訳じゃないんだ」
理想論をほざく幽霊女に、もっと言わせてもらう。
「もっと言わせてもらえば、今僕が身を置いている就活という場は、そうやって大人になるまで何者にもなれなかった人間が行きつく場所なんだよ。何の才能も無い、何にも熱中出来ない、何も好きになれない。そういう奴らはスーツ着こなして、コミュ力磨いて、上司にゴマ擦って、少しでも質の良い歯車になって、感情殺して会社のため働くのがお似合いなんだよ。だからこそ良い会社に就職して勝ち組になって、良い暮らしをしようとするんだろ」
突然、幽子はバンッ!と勢い良く机を叩いた。その体勢のまま彼女は、さっきまでとは違う真剣な面構えでこう言った。
「そう思ってしまうのが問題なのよっ!」
呆気に取られた。いつも気楽そうな感じの彼女が、こんな風に激昂するのは初めてだったから。
「君みたいに夢も希望も無い人間が働いたところで成功なんて出来ないわ!そんなだから就活も上手くいかないんじゃない?ならいっそ自分の『好き』な事に熱中してそこに可能性を見出す方が絶対良いわよ!」
幽子は僕に顔を近づけて続けてトドメと言わんばかりに言い放つ。
「そういう自分の『好き』に嘘をつく生き方があなたを辛くしているんじゃないの!?」
この馬鹿幽霊と言って反論してやろうと思ったが、言葉が出なかった。心のどこかで彼女の発言が真理をついているような感じがしたのか、何故か否定するのを躊躇ってしまった。言い返す方法はいくらでもあったかもしれない。けれども何も言い返せず、いや言い返さず、僕はゆっくりと肩を落として黙り込んだ。論破された。いや、論破されてやった。
しばらくの間、沈黙が流れた。しばらくして幽子は「ふん!」と言って振り返り、テレビ鑑賞に戻った。
僕は無言で黙々と夕飯を食べ続けた。
「そういや、あいつと喧嘩するの……初めてだな」
夕飯を食べながら僕は、そう小さく呟いた。
面接で失敗してただでさえ気分がすぐれないのに、唯一の話し相手と喧嘩までしてしまい僕のテンションは奈落の底まで急降下した。夕飯が終わったら漫画でも読んで落ち着こう。嫌な事があったら空想の世界に逃げるのは昔から続く僕の癖だ。
理想と現実、多くの人々はどちらかを捨てて生きているのだ。両者の狭間で揺れ動く人生は、もっと過酷だから。
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