第2話 マルカの帽子

 今日もとてもいいお天気。

 雲は高いところをゆったりと流れている。朝起きるとマルの姿がなくて、どこかへ出かけているようだった。ぼくは特にすることもないので、草むらに腰を下ろすと、ぼんやりと空をながめていた。お客さんがいない日は、ふだんよりも時間がゆっくり流れていくみたい。ここはいつもおだやかな空気にみちていて、ときどきすずやかな風が吹き抜けるのも、すごく気持ちがいい。風がさわさわと周囲の草をゆらす音に耳をかたむけながら、ぼくは一人の時間をゆったりとすごした。


「それにしても、マルはどこに行ったんだろう」

 お日さまが真上をすぎてもマルが帰ってこないので、さすがにちょっと心配になってきた。もしかしてどこかで迷子にでもなったのだろうか? それともどこかケガをしたとか?

 ぼくが心配になってあれこれ考え出したころ、ちょうどこちらにやって来る白い人影が見えた。ぼくは待ちきれなくて、その人影の方へと飛び立った。


 その白い人影は、ぼくが予想したとおりマルだったけれど、近づくにつれて、どうにも様子がおかしいことに気づく。なんだかすごく落ちこんでるみたい。

「マル! どうしたの?」

 急いで近くまで寄って声をかけると、

「ネア……」

 と、捨てられた子犬みたいに途方にくれた顔でこちらを見てきた。その拍子にいっぱいに溜めていた涙が、大きな青い瞳からぽろぽろとこぼれ落ちる。

「ボクの大事な帽子……落としちゃったみたい……」

 言われてみるとたしかに、トレードマークの白い帽子がない。あちこち探し回ったのか、いつもキラキラかがやくお日さまみたいな金色の髪の毛が、くしゃくしゃになってかがやきを失っていた。ところどころ葉っぱもからまっている。

「マル……そんなに泣かないで。ぼくもいっしょに探すから」

 髪にからんだ葉っぱを取りつつぼくが言うと、鼻をすすりながらマルがうなずいた。

 とは言ったものの、むやみに探しても見つけるのは難しい。ここはとても広いのだ。

「今日はどこに行ってたの?」

「えっと……鏡の湖と、白霧の森……」

「そう。じゃあここからそんなに遠くはないね」

 どちらもひとっ飛びで行ける場所だ。

「まずは湖の方から探してみる?」

「うん……」

 ぼくはいつもの元気さがかけらもない様子のマルの手を引くと、二人で鏡の湖へと向かった。


 鏡の湖は山を二つくらい越えた先にある、きれいな円形の湖だ。空から見ると本当に大きな鏡が地面に置いてあるようにも見える。湖の周りを背の高い木々が取り囲んでいて、ぽっかりと丸くひらけた部分が、空を映し出していた。

 ぼくたちはひとまず湖のそばに降り立った。

「まずどこから探そうか。マル、どのあたりに行ってたか覚えてる?」

「ううんと……湖のこっち側に行って……そのあとあの木のあたりに行ったかな……」

 マルが湖の右側のふちにある少しひらけたところを指し、そのままその手を左に動かして、対岸にあたるとりわけ高い木が生えているあたりを指した。

「ここから見る限りだとなさそうだけど……。一度見てみようか」

「うん……」

 変わらず元気のないマルと一緒に、ぼくは湖の右手の方へと向かった。湖の上を横切った方が近いため、鏡面のような水面の上を通過する。ぼくは自分自身が映り込んだ水面を見ながら、もしここに落ちて沈んでしまっていたとしたら、見つけるのは難しいだろうなとちらりと思う。マルがこれ以上落ちこんでしまうといけないので口にはしないけど……。

 ほどなくしてぼくたちは湖の右手がわの、少しひらけたところに降り立った。何故かこのあたりだけ木がなくて、短くて柔らかそうな草がしげっている。湖をのんびりながめるにはいいところだけど、見渡す限りではそれらしいものはなさそうだった。

 しばらく二人でまわりのしげみや木の影などを探してみたものの、やはりマルの白い帽子は見あたらなかった。

「やっぱりここにはないみたいだね。反対側も見てみる?」

「……うん」

「……」

 マルの元気がない様子を見ていると、ぼくも本当に悲しくなってくる。マルにはいつも笑っていてほしいんだ。だから頑張ってマルの大事な帽子を探さなきゃ。ぼくは繋ぎ直した手に力をこめると、二人で飛び立った。


 さきほどいた場所の対岸、とりわけ高い木が生えているあたりに到着したぼくたちは、同じようにあたりを手分けして探してみたけど、ここにもマルの帽子はなさそうだった。高い木の周りも念入りに調べてみたものの、白い帽子は見当たらなかった。ひとしきり探してふと空を見上げると、お日さまの角度が湖に着いた時より少しずつ傾いてきている。あんまりゆっくりしていると暗くなってしまって、ますます見つけられないかもしれない。

「そろそろ森の方に行ってみようか」

 少し離れたところで諦めきれずに帽子探しているマルに声をかけると、ぼくたちは次に白霧の森へと向かった。


 白霧の森は、迷霧の森とも呼ばれていて、よく濃い霧が立ちこめている場所だ。ぼくたちなら迷わずに出てこられるけど、普通の人は迷いこんだら右も左もわからなくなってしまうかもしれない。ぼくはマルの手を引いて森に足を踏み入れた。

 森の中はやはり霧が立ち込めていて、遠くの方はほとんど見通せなかった。なんとかまわりの見える範囲をじっくりと見ながら先へと進む。思ったよりも足もとが平らで、歩きやすいのがありがたい。ぼくはマルの手を引きながら、なんとか帽子を見つけようと気を引き締めた。


 森に入ってどれくらい経っただろうか。元々薄暗かった森の中は、さらに闇を深めていくようだった。そろそろ切り上げて、また明日出直した方がいいのかもしれない。そうマルに提案するために、後ろを振り返りかけた時、目のはしに何か白いものが見えた気がした。あわてて向き直って目をこらすと、今歩いてきたところとは別の方向にある木の枝に、なんだか白いものが引っかかっているように見える。ぼくはマルに少しここで待っててね、と言って手を離し、その木の方へ急いで向かった。真下から見上げると、遠目に見えたとおり白くて丸いものが枝に引っかかっている。ぼくは周りの枝に当たらないよう慎重に羽ばたくと、白いもののすぐ近くの枝に飛び上がった。

「見つけた……!」

 近くで見ると、それはやっぱりマルの帽子だった。下からではよく見えなかったけど、帽子に取り付けられた青いリボンが、頼りなく揺れている。ぼくはそっと手を伸ばし、うっかり破かないように気をつけながら、マルの帽子をゆっくりと枝から外した。

「よかった……。破れたりはしてないみたい」

 裏返したりして軽く全体を見た感じでは大丈夫そうで、ぼくはほっとした。あらためて落とさないように帽子をしっかり抱えると、枝から降り立ってマルの待つところへ向かった。

「マル!」

 帽子が見つかった嬉しさからか、思わずいつもより大きな声が出て、自分でも少しびっくりしてしまう。マルは不安そうな様子でこちらを見ていたけれど、ぼくの手の中にある帽子が見えたのか、ぱっと表情が明るくなった。

「ネアっ! それ! ボクの……!」

 マルのところまで戻ると、マルは喜びのあまり、うまく言葉が出せなくなってしまったみたいで、手をパタパタさせながら、やっとのことで先ほどの言葉を発した。ぼくが手を伸ばして帽子を被せると、マルは神妙な顔で両手を上げ、恐る恐る頭上の帽子の感触を確かめるように触れた。やがて、いつもの慣れ親しんだ感触に安心したのか、じわじわと表情を緩めると、今までに見たことないくらい、はち切れそうな笑顔になった。

「ネア! ありがとう!」

 その様子に、ぼくは本当の意味でほっとしたみたいで、肩の力が抜けていくのがわかった。思っていたよりもずっと緊張していたのかもしれない。自然と口元が緩んでいくのを感じながら、マルに応える。

「どういたしまして。暗くなる前にそろそろ帰ろうか」

「うんっ!」

 差し出した手を強く握り返してきた手が、思いのほかあたたかい。ぼくは心まであっためられていくように感じて、ひっそりと微笑んだ。

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