09【分離】一

 「分離ぶんり」に必要なものは、一に集中、二に集中。


 とにかく集中あるのみ。あとは器用さだとか技術だとかセンスだとか色々あるにはあるが、集中が途切れてしまえば何の意味もない。


 弐朗じろうは零れ落ちてくる前髪を全てヘアピンで留め、深く息を吐く。


 場所はヨズミの自宅、真轟まごうの敷地内にある蔵のひとつ。その地下室。


 そこはひと間の地下室であるが故に窓は無く、出入り口は蔵の床へとつながる天井部分に観音開きの鉄扉があるのみ。

 板張りの床の半分には畳が敷かれ、その畳と板間を区切るようにがっしりとした木で格子が設けられている。天地を繋ぐ格子は後で増築したようなものではなく、元から作り付けられたもの。それは格子の深い黒橡色くろつるばみいろが床や天井との境目がわからないほど馴染む色であることからもわかる。


 ヨズミはこの部屋を「蔵の座敷牢」と呼ぶ。


 目的も用途も完全にそれ以外の何物でもないこの地下室は、何度か元号をまたぎ令和となった今も尚、現役でばりばり活躍している。


 ヨズミ曰く、更に古い座敷牢が母屋にあるらしいが、弐朗はその母屋とやらに入ったことがない。真轟の敷地はあまりに広く、奥まった場所に建つ建造物がなんなのか、弐朗には知る由もない。


 畳の上には今は青のビニールシートが敷かれていた。

 そのシートの上に仰向けに横たわるポロシャツ青年の横で、弐朗は跪座きざの姿勢を取りつつじっと顔を見下ろしている。

 服装は捨てても良い黒のロングTシャツに黒のストレッチジーンズ、裸足。その上から魚屋がつけるような業務用のエプロン。


 蔵へ続く傾斜のきつい階段にはヨズミが座り、虎之助とらのすけ刀子とうこは格子の中、弐朗と同じ側でそれぞれ適当に座ったり転がったりしている。

 虎之助と刀子は有事の際の処理係。ヨズミは最悪の場合には後輩三人諸共、対象を蔵に閉じ込め増援を呼ぶ係、だ。


 弐朗は全く動く気配のない青年の手首を裏返し、指先を当てて脈をとる。


 血液の量は一般的には人体の七から八パーセント、体重の十三分の一を占める。

 体重六十キロの男性であれば五キロ弱が血液であり、その三分の一を失えば活動に異常が出始め、半分を失うと失血死する。

 五キロは二リットルペットボトルを二本と半分。


 人は、個人差はあれ、二リットルペットボトル一本と少しの血を抜き取ることで死ぬ。


 弐朗は今から青年の血を二リットルほど抜こうとしている。


 それは青年から「血刀けっとう」を「分離」するために必要な下準備であり、何も殺そうと思ってやるわけではない。


 血刀は、平均的な血刀使いであれば、血液の十パーセントを使って抜刀する。

 これはおおよその数値であり、必ずしも全員がそうとは限らない。大振りな血刀を持つ者であれば一度の抜刀で血液の十五パーセントを使う者も居り、小振りなものの場合は二パーセントに満たないこともある。


 弐朗の血刀「磔刀たっとう俄雨にわかあめ」は十五センチ程度の黒い雫のような形をしており、これは小振りに分類されるが、抜刀時には十パーセント程度血が抜ける。

 というのも、俄雨は一度の抜刀で最大八本抜くことができ、抜刀後に刀身を伸縮させることもできるため、どうしても見た目以上にコストが掛かってしまうのだ。


 四人の中で最も少ない血液量、一パーセント程度で抜刀できるのが刀子の「削刀さくとう皮剥かわはぎ」で、刃も柄も黒の折り畳み可能な剃刀かみそりの形状をしている。

 抜刀は一本ずつしかできずリーチも無いため、刀子が皮剥を振るう場面は否応なしに接近戦となる。

 得意の隠密を活かして背後を取り、対象の急所を掻き切るのが刀子のスタイルだ。


 虎之助の「愚刀ぐとう錆前さびぜん」はシンプルな日本刀で平均的な十程度の血が抜け、ヨズミの「断刀だんとう断首だんしゅ」もまた、大振りのなたのような形をしているが、見た目の厳つさのわりに十の血で抜刀できる。

 二人の血刀は如何にも接近戦向きで、切れ味も良く、首を落とすことに長けている。


 抜刀に必要な血液量は実際に重さを計量するわけではなく、連続して抜刀を行うことで、抜刀可能な回数から推測する。

 全血液量の三分の一、三十三パーセント程度の血を失った時点で体調に異変をきたすことを基準に、三回以下の抜刀で気分が悪くなったり、眩暈めまい嘔吐おうと等の症状が出た者は、抜刀に必要な血は十以上、四回で大体八から十、六から七回抜ける者は五程度、十回で三、三十回以上抜刀できた場合は一パーセント以下、ということになる。


 自分の限界を知るためにも一度倒れるまで抜いてみろ、というのが弐朗たちが住む地域ではお馴染みの通過儀礼つうかぎれいとなっており、四人も例に漏れず小学生の頃に経験している。


 殆ど親族ばかりの血刀関係者が集まる新年会で、虎之助は根性で五回抜刀したが、直後に卒倒した。「実は四回目で既に具合が悪かった」と病院で白状した息子を前に、虎之助の父親はその不甲斐なさを叱咤した。


 刀子はまるで手品のように次から次に三十回ほど抜刀して場を沸かせ、ヨズミは四回の抜刀を披露した後「なるほどこれは気分が悪い!」と早々に自身の限界を見極めた。


 弐朗は一度に八本抜いたり二本抜いたりとばらつきが多く、翌年、翌々年の新年会でも抜刀させられ、四回の抜刀で情緒不安定になって大暴れし、結果、十は抜けているだろうと周囲が判断した。


 なお、血刀使いは体質的に造血ぞうけつのサイクルが早く、抜刀や怪我で一度に大量に失血しても、他人の血を経口けいこう摂取することや、食料を口にすることで造血を促し、貧血を回避することができる。

 中でも、骨髄こつずいはかなりの造血が期待できるため、古くは骨髄液を固めた丸薬がんやくが重宝されたりもしたというが、現代ではさすがに流行っていない。

 時々弐朗の父親が「こつずいちゅーちゅー」というギャグをかましてくるが、弐朗には何が面白いのかよくわからない。

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