第117話 変化
部屋に戻るとテーブルの脇に私が書いた書置きが落ちていた。レイが紙を拾う。
「これか・・・。慌てて歩き回ったから私が落としてしまったのかもしれないな。」
レイはふぅっと息を吐きながら椅子に座った。レイが私を見る。その視線にハッとして背筋を伸ばした。
「ぶっ、急に背筋伸ばしてどうしたの?」
「いや、なんとなく・・・レイが怒っているかと思って。心配かけてごめん。」
「今は怒ってないよ。どうして出かけたのかなとは思っているけどね。」
今はって。やはりさっきは怒っていたのか。おおぅ。
「部屋に一人でいたら、なんとなく外のお風呂に入りたくなって、近いところならいいかなって。」
「私が戻ってくるまで待っていてくれれば良かったのに。」
「でも、ほら、デートでしょ?遅くなるかもしれないしさ。」
「直ぐ帰ってくるって言わなかったっけ?それにデートってわけじゃないし。」
レイがため息とともに言葉を吐く。
「でも・・・楽しそうに歩いていた。」
リタがレイの腕に腕を絡ませていたことは敢えて言わなかった。
「見てたの?」
「うん、窓から偶然見えた。」
「・・・。」
レイが何かを考えるように顎に手をやる。
私は一体何を言っているのだろう。二人がどう過ごしたかなんて聞きたくはないのに。レイの口からリタとそういう関係になったと聞かされたら、よかったねとか、おめでとうとかそういう言葉を言えるのだろうか。言える自信などない。
「ちょっと飲み物買ってくる。」
このまま部屋にいてもどんどん空気が重くなるような気がした。
「・・・もしかして・・・妬いた?」
部屋のドアを開ける寸前、レイの声が聞こえて足を止めた。本当のことを言ってもいいのだろか。私が妬いたと言ったらレイはどんな顔をするのだろう。
いっそのこと言ってしまおうか。
でも、好きでもない女に妬かれるヤキモチほど面倒なものはないだろう。心の天秤が傾く方向を迷い、小刻みに震える。答えを出せないまま部屋のドアを開けた。レイを見て少し笑う。
「すぐ戻るよ。」
上手く笑えていただろうか。否定も肯定もしない、それが私に唯一できたことだった。
ライファが飲み物を買いに行くと出ていったドアを呆然と見つめていた。
否定も肯定もしなかった。いつもの笑みとは違う、泣きそうな表情にも見えたあの笑みは何を意味しているのだろう。
夕食の後、リタに話があるから時間が欲しいと言われライファを部屋に残して出かけた。会うなりリタは私の腕に手を絡ませてきたが、突然のことにどうしたものかとそのままにしていた。
まさかそれをライファに見られていたとは・・・。
リタが私を連れて行った場所は温泉街の中腹にある喫茶店だった。人が4人ほど入ることが出来る空間を崖の壁面に掘ることで個室のある喫茶店になっていた。その一室でお茶を飲みながら話をする。
「明日はどこへ向かうのですか?」
「ドーヤへ向かおうと思っているよ。」
「ドーヤですか。随分遠くへ行くのですね。」
「うん、絶花という薬材を探しているんだけどリタさんは何か知ってる?」
「絶花ですか?すみません、初めて聞きました。」
「そうか、やはり珍しい薬材なんだろうな。」
会話が落ち着いたところで、リタがお茶に視線を落とした。
「レイ様、また森のうたに来ていただけますか?」
「ん?あぁ、いつになるかはわからないけど、お風呂もたくさんあるしまた来たいな。ライファも一緒に、今度はもっとゆっくり・・・」
「そうじゃなくて。」
言葉を遮る様にリタが顔をあげた。
「私に会いに来てほしいんです。ライファ様と一緒にではなくて、レイ様おひとりで。」
「え?」
「レイ様、私をレイ様の愛人にしていただけませんか?身分が違うのは重々承知です。ですから、レイ様の愛人に・・。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。え?なんで?どうして?」
「お金なんていりません。私には森のうたがあるし、レイ様のお世話になろうだなんて思ってはいません。私、レイ様のことが好きなんです。」
リタはそう話すと今にも泣きそうな目で私を見た。少し前のめりになって私の返事を待っている。私は自身の気持ちを落ち着けるために一口だけお茶を飲んだ。
「ごめん、私は愛人をつくるつもりはないから。リタさんはちゃんとリタさんを好きになってくれる人と一緒にいるのがいいよ。」
「レイ様・・・。」
縋る様なリタの視線に耐え切れずに、もう一度、ごめん、と言った。
好きだと伝えることにどれだけの勇気が必要だっただろう。その勇気を私は未だに振り絞ることが出来ずにいるというのに、ちゃんと伝えることが出来るリタをすごいと思った。
「ありがとう、リタ。好きになってくれて、伝えてくれてありがとう。」
私がそう言うと、リタは少し顔を歪めて笑顔を作った。
もう一杯お茶を飲んでから帰るというリタを残して、ひとり森のうたへ戻る。
そして部屋の扉を開ければ、そこにライファが居なかった。
「ライファ?いないの?ライファ?」
部屋の中を探すも見当たらなく、ベルもいない。館内かと館内を探すも見つからず、誘拐だったら・・・という考えが掠めた瞬間、全身の血の気が引いた。その後の自分の行動はあまり覚えていない。
外に出た瞬間、見知らぬコートにくるまれたライファが男に抱きかかえられているのが見えて駆け寄った。その時点では男に抱えられていることも、見知らぬコートにくるまれていることもどうでもよくて、ライファが見つかったことにただ安堵した。
怪我もなく無事だと知って初めて、他の男の腕の中にライファがいることが嫌で、自分の元へ来るように抱き寄せればコートの中は全裸だという。事情を聴いて納得はしたものの、この男がライファに乱暴なことをせずに運んできてくれたことに感謝した。
人の感情というものは不思議なもので、大切なものが無事に手元に戻ってきたとたんそれ以外のことが気になってくる。無事に戻ってさえくれればいいと思っていたのに、あの男の手がライファに触れたのだろうかと考えたり、あの男の首に手を回していたライファの姿が脳裏で繰り返されたりした。
助けてくれた相手に嫉妬してはいけないと何度も自身に言い聞かせ、なんとか感情をコントロールする。
ライファと共に男の元を訪れれば、ルカというその男は不思議な男だった。人懐っこい笑顔でするすると人の心に入ってくる。ルカから感じる魔力は平民にしては高く、貴族だとするならば下流貴族であろうと思う。年齢不詳という言葉がぴったりの男だ。そして、すぐにからかってくる。
「二人はどういう関係なの?愛人?姉弟ではないよね。魔力が全然違うもん。」
ルカの質問にライファがしどろもどろになって答えを迷っていた。
「愛人ではないよ。」
ライファを条件や契約で縛るような愛人にはしたくない。ずっと側にいて欲しい大切な人だから、そう思っていたらつい声が出ていた。
「でも大切な人だから手は出さないでね。」
私の言葉に、へいへいと返事をして肩を竦めたルカ。
ルカに釘を刺すことには成功したものの、ライファが今の言葉をどう感じているのか、その顔を見ることができなかった。
そして先ほどだ。
リタと二人で出かけたことを気にしているライファの様子。
落ち着かないような、沈んだような様子のライファに、ちょっとした冗談のつもりだった。
こうだったらいいな、と思って声をかけた言葉。
「・・・もしかして・・・妬いた?」
その返事があの笑顔だ。
泣きそうなあの笑顔。
もしかして本当に妬いてくれたのだろうか。
ライファにとって私は友達以上の存在になってきているのではないか。
そんな期待を抱かずにはいられない。
そうだ。
リタとは何でもないということをちゃんと伝えなくてはならない。以前、レベッカとの仲を疑ったライファは私から離れる準備をしようとした。そんな誤解はたくさんだ。
ライファが戻ってきたらちゃんと説明しよう。
そして、ライファの中に私を想う気持ちが芽生え始めているのなら、もう引き返せなくなるまで大事に育てなくては。
つくづく、自分は臆病者だと思う。
それでも、ライファがちゃんと私を好きになってくれるまでこの気持ちは隠そうと決めているのだ。中途半端に思いを伝えて、その思いには答えられないとライファが去っていくことが怖かった。
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