第17話 買い出し

今日は定休日。本日発送分のチーズケーキの最後の一個を梱包し終えると凜は踊るようにオーブンを覗いた。

「うん、いい匂いっ」

自分の為に作ったアップルパイが今、正に焼きあがる寸前で豊潤な香りが厨房を埋め尽くしている。やることをやったら今日は自分の為の休みにしようと決めたのだ。

厚着してアップルパイとお茶を持って、1人ピクニックもいいなぁ。

こんなに満たされた様な気持ちになれているのはやはり田丸の存在が大きい。


「昨日のご飯、デートって言ってもいいよね。ってか、ご飯行くってのとデートの違いって何よ?」


昨日は帰りの車で「凜ちゃんと一緒にいると本当に楽しい」と田丸は微笑んでくれた。その言葉を思い出すたびに凛の心の中に灯りがともったかのように温かくなる。凜ちゃん寒くない?と車内の温度を気にしてくれるところ、高校生の頃より濃くなった髭、新しい田丸の一面を知るたびに高校生の頃よりも田丸の近くにいる気がして嬉しくなる。

「んあー、もう、やばい」

凜が頭の中の田丸を追い出そうと声をあげたとき、携帯電話のメール着信音が聞こえた。


【凛、たすけて】


「え?」その言葉の衝撃に凜は階段を駆け上がった。




 「二日酔いですと?」

メールを読んで直ぐにPCを起動しハルトの部屋へ這い出ると、グッタリとテーブルに突っ伏したハルトがいた。慌てて声をかけた凜にハルトが呟いたのが「大きな声はやめて・・・」だった。

「ったく、二日酔いには味噌汁がいいって聞いたことある。家に来る?」

「いく」

ぐったりしたハルトが画面から這い出てくる姿と言ったら、それはもう傑作で凜は声を出して笑ってしまった。

「人の不幸は蜜の味」

「不幸って言うか、自業自得ってやつでしょ」

ぐったりハルトをリビングに寝そべらせると凜は味噌汁を作り始めた。作ると言っても凛の味噌汁なんてお湯が沸けば出来上がりというくらいお手軽だ。沸騰したお湯に凜特製の粉末だし(カツオや煮干し、昆布を粉末にしたもの)を加え、豆腐とねぎ、そして味噌を溶かす。これでおしまい。二日酔いなんて時はこういうシンプルなものが良いのだ。


「ほら、味噌汁」

「ありがと・・・」

ハルトは味噌汁を一口すすると、ふぅっと長めの息を吐き出した。

「生き返りそう・・・」

「よかった。私ちょっと厨房に行ってくるから休んでていいよ。テレビ観たかったら観ててもいいし」

「仕事中だった?」

「ううん、仕事は終わって自分の為にアップルパイを焼いてた」

「アップルパイ・・・おいしそう・・・かも」

「もう少し元気になってからね」


凜がアップルパイを持って部屋に戻るとハルトは眠っていて、今日の分の集荷が終わる時間まで眠ったままだった。そのハルトが起きたのはいつもの声が聞こえた時だった。


「宜しい、ですかの?」

「いいけど、しーっ。静かに。ハルトが今眠ってるから」

凜がブランケットをかけて横たわるハルトを指差すと、ブランケットが大きく動いた。

「起きたようですな」

「そうだね」

「娘が凜様に会いたいと申しておりまして。宜しいですか」

「ハルトがいてもいいならいいよ」

「では連れて参ります」

リックに次いで現れた娘の耳があまりにもピクピク動くものだから、ハルトの視線は娘の耳に注がれたままだった。

「シーナ、こちらはハルト様です」

「初めまして。私はリックの娘のシーナと申します」

「どうも。初めましてハルトです」

頭を下げ合っている二人を見ながら、ピクニックに行き損ねちゃったな、と凜は思っていた。時間は17時。日も暮れ外は真っ暗だ。


「そうだ、今日さ、バーベキューにしない?」

「バーベキューですか?」

シーナは初めて聞く言葉に頭を傾けたがリックは「わお」と嬉しそうに声を上げた。

「この家、いいところがあるんだ」

凛の家にはキッチンに裏口があり、そこはバルコニーへと繋がっている。そこにはテーブルと椅子とレンガのバーベキューコンロがあった。もともとこの家についていたもので、凜は密かにいつかここでバーベキューがしたいと思っていたのだ。

「外でご飯・・・」

ハルトが子供の様に呟く。その目が遠くの空を見つめている気がして、OKということだろうなと凜は思った。

「じゃあ、ハルトは一度家に帰ってあったかい恰好してからおいで。私は買い出しに行くけど、リックとシーナも来る?」

「え?ついて行ってもいいんですか?」

「・・・え?」

シーナとハルトが驚いた声をあげた。

「人は信じられない物を見た時、自分の中にある信じたいもの、信じられるものに変換するのですよ。つまり、我々を見ても外の人間たちは【着ぐるみ】だと判断するわけです」

「・・・確かに」

「と、いうわけで私たちは買い物に行ってくるから」

「それなら俺も行きたい」

「え?」

「なんか楽しそう。ちゃんと変装するから大丈夫」


「お、おう」



凛の車に助手席にシーナ、後部座席にハルトとリックが乗るといつも凜がいくスーパーよりももっと街中にあるスーパーまで足を延ばした。

「これは何?」

「これは車というのだよ。こちらの世界の主要な乗り物だ」

リックが丁寧に説明する。車が発進するとシーナは興奮したようにキャアっと声を上げた。

「あれは何?あ、こっちのは?」

窓の向うにある建物、自転車、信号、見るものすべてがシーナの好奇心をくすぐるようで、シーナは大興奮だ。楽しそうにするシーナが嬉しいのかリックも饒舌になり、アレコレと説明をする。ハルトは窓の外をじっと見つめていた。


スーパーに着くとリックとシーナも車から降りる。帽子を深く被り、少し色の入った黒縁の眼鏡をかけたハルトが凛の隣に来た。

「二人も中まで行くの?」

その目が「平気?」と聞いている。

「大丈夫だよ。そりゃあ好奇の目では見られるだろうけどね」

凜が言った通り、スーパーに入ればそこにある目が全てリックとシーナに注がれる。だが流石日本人と言うべきか。凝視するものはおらず、各々買い物に戻った。

「やっぱり牛かな」

「牛、いいね。あとはスペアリブもいいなぁ」

「あれ、食べにくくない?」

「その食べにくさがまた良いんだよ。食べづらいもどかしさが楽しいの」

「そう?」

「そうっ」

ハルトと二人寄り添うようにして食材を選んで買い物かごに入れていく。不意に持っていた買い物かごが軽くなった。

「持つよ」

「ありがとう」

体のラインが細くてもハルトはやはり男だ。凜が渡した買い物かごを軽々と持っていく。

「俺、マシュマロも欲しい・・・」

「ぷっ、いいよ。それも買おう」


お菓子コーナーへ移動しようとしていると「うさちゃんかわいいー」という声がした。振り向いてみれば、シーナとリックに数人の子供たちが集まって来ている。

「ねーねー、うさちゃんはどこから来たのー?」

「お山の方からでございますよ」

「このお洋服、あたしのリボンといっしょー」

リックが上手く子供たちに返答し、それを親たちがニコニコと見守る。まるで遊園地にいるキャラクターのようだ。

「凛のいう平気ってこういうことか」

「そ。ね?平気でしょ」

ハルトに向かって得意げな顔をしたとき、ハルトの背後に見知ったシルエットを見つけた。


「田丸くん!?」

「凜ちゃん!?どうしてここに?」

「友達とバーベキューでもしようと思って品数の多いスーパーに来たの。田丸君はこっちの方で仕事だったの?」

「そう。仕事帰りにスーパーによって卵を買って来てって頼まれちゃって」

「田丸君もこれから友達とご飯?」

「あ、うん。そう」

「田丸くんって料理するんだねー。何作るのー?」

「な、鍋かな」

視線を田丸君の買い物かごに移す。買い物かごの中には牛乳、卵、薄力粉やこんにゃく等が入っていた。

「自分の家のぶんも買ってるんだ」

「そうなんだ」

「田丸さんって凜が話してた高校の同級生?」

ハルトが凛の腕を引っ張るようにして凜に話しかけた。



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