第117話 新たな望み
超越の力を失ったひとりの異能者と五体の百頭竜は、鎧袖一触でこの世から消え去った。
超越の力のみを殺せる超越者。
モニクが言っていた通りの能力。
だが、それは彼女の力のほんの上っつらを説明したに過ぎなかった。
半壊した屋上で、モニクはウィスプに語りかける。
「《死の権能》の代償は術者の消滅。ボクは間もなくこの世から消え、世界に還元されるだろう。もう、次の朝を迎えることは出来ないな」
…………いや、次の朝もそん次も思いっきり迎えてるけど?
そういや現実のモニクはまだ生きてたわ。
いっぺんに色んなことが起きたせいで混乱して忘れかけてたわ。
モニクの能力は想像通り『命と引き換え』というものだったが、何故結果が変わったんだ?
「覚悟は出来ていた。心残りは次代の冥王が――《死の超越者》がいないこと。それだけのはずだったんだけどね……」
…………?
「この期に及んで、ボクには新たな望みが出来てしまった。それは、命と引き換えに《死の権能》を使うことではなく――」
言葉はそこまでだった。
モニクの輪郭がぼやけ、色を失い、その存在を知覚できなくなっていく。
ヒュドラ生物の消失にも似たその現象に、再び最悪の結果を妄想してしまう。
だが、ウィスプの身であっても魔力の流れや生命の有無を感知できるようになっていた俺は、その考えが杞憂であることを悟る。
かつてのモニクの力は光の粒子となって世界に還元され……。
目の前には、子供の姿で寝息を立てるモニクだけが残されていた。
五感が途切れるような感覚。
眠っているモニクが無自覚に、ウィスプを収納に入れたのだろうか。
――そこで、記憶は途絶えた。
目覚めると朝だった。
向かいのソファでは夢の続きのようにモニクが眠っている。
ハイドラは部屋に戻ったのだろう。
モニクが起きるのを待った。
やがて目覚めたモニクは眠そうに、しかしすぐに俺に気付く。
「おはよう、アヤセ」
「ああ、おはよう」
足を床に下ろし、姿勢を正そうとしているがまだ眠そうだ。
そして、昨日の記憶について聞いてくる。
「それで、どうだった?」
「……本当は、全部分かってたんだろ?」
モニクは少し目線を逸らしてうつむき、ややあってから再び俺を見る。
「うーん、記憶が飛んでいるのは本当だから確証は無かったけども。その分だとヒュドラはもうこの世に居ない、ということでいいのかな?」
「ああ……。ていうか、あんな能力に勝てる奴なんていないだろ」
「怒ってるのかい?」
「まさか。モニクは俺の恩人だ。無事に生き延びてくれて、それ以上求めることなんかないさ」
「人類の平和と天秤に掛けても?」
「何をもって人類の平和か。そんなのは人それぞれだからな」
「そっか……」
何がどう人類の平和に関わるのか良く分からなかったが、まあどうでもいい。
ヒュドラの血族を根絶やしにしなかったことを言っているのなら、そんなことは俺も望んじゃいないしな。まさに人それぞれってやつだ。
階段から足音が聞こえる。
ハイドラも起きてきたか。話の続きは朝食の後でいいだろう。悪いけど今日は手抜きメシだな……。
「さて、具体的にボクが生き延びたことによる影響について話そうか」
朝食後、記憶の内容についてざっくりと話した後にモニクはそう宣言する。
「待ってくれ。あたしにはなんでモニクが生き残ったのか、なんで子供の姿なのか。まずそこが分からない」
「いや俺も分かんねーけど?」
「なんでそれを平然と流せるんだお前は!?」
超越者の仕組みなんて真面目に考えても分からんからな。
そこも割とどうでもいい。
大事なのは今後起こり得ることと、その対策では?
「それに関しては、実はボクも分からないのだけど……かつてのボクの望みというのは、結局アヤセも聞けずじまいだったんだろう?」
「そうだな」
「ちょっと前の自分の望みだろ? なんか心当たりは無いのか?」
「以前のボクは《死の権能》を使うことにためらいなんて無かったんだ。使ってしまった後だからこそ、死を目前にしたからこそ、浮かんだ考えというものも……あるのかもしれない」
本人にも分からないような望みが、俺に分かるわけもないか。
「結局、死にたくなくなったから生き残った、ってことでいいんじゃねーの?」
ハイドラは単純だな。
でも正直それしかないよな。
だがそうだとすると――
「じゃあ、子供になったのは?」
「それは単に、ボクが超越者に至る前の姿だからだろうね。超越の力を持たない、先代冥王の眷属だった頃に戻ってしまったというべきか」
サラッとモニクの過去について語られたが、それについて聞くと果てしなく脱線しそうだ。ここは我慢しとくか。
「《死の権能》は世界の理を捻じ曲げる力。ヒュドラ毒が水のそばでは消えてしまうように、強すぎる力は反動を呼ぶ。だから《死の権能》は《死の超越者》の存在そのものを代償とする。そう思われているし、ボクもそう思っていた」
「実際代償にするのは超越の力だけで、本人は死なないってオチだったのかね」
「アヤセの言う通りなら歴代の冥王も実は生きていて、人として一生を終えたのかもしれないね。だがそれは楽観に過ぎる。ボクは払うべき代償を十全に払わなかった。だから世界に歪みの一部が残されたままになった。そう考えてみようか」
なるほど、それがさっき話していた『人類の平和』に関わることか。
仮定の話ではあるが、用心するに越したことはない。
三人でその可能性を考えてみることになった。
ハイドラが最初の仮定を述べる。
「ヒュドラが実は死んでいなかった、というのは?」
「アヤセが見た記憶によれば、超越者ヒュドラは確実に消失している。何かが起こるとしても、毒の超越者の力が一度拡散してしまった後のことになるね」
ヒュドラ消失に際して、モニクが言っていた内容を思い出して聞いてみる。
「エキドナの魔法そのものを消した、って言ってたな。他の奴が同じような魔法を使ってヒュドラ復活、とかはあり得んの?」
「条件は厳しいだろうけれども、誰かがもう一度同じような魔法を編み出せば可能だよ。でもそれは、ヒュドラそのものではないね」
ふむ。
ヒュドラは力の内容というよりその行動に問題があったわけだから、他の奴が似たような力を持つこと自体は心配しても仕方がないか。
「うーん、あたしには難し過ぎるな。死の権能で実行したのは超越者一体の消失で、その程度なら終末化現象ってのは起こらないんだろ? 軽い災害くらいなら起こるのか? 異常気象とか」
「規模としては妥当なところだね。ただ、超越の力に関することだから、それに関しての反動が起こる可能性のほうが高いとボクは思う」
拡散した毒の超越者の力か。
一度世界に還元されても、いずれはなんらかの形でこの世に表れる。
だとすれば――
「……イルヤンカ」
「え?」
「あん?」
百頭竜イルヤンカ。あいつの魔力は異常だった。
俺がイルヤンカに遭遇したのは、ヒュドラが消失した後だ。
「ヒュドラが消失したとき、近くにイルヤンカが居たはずだ。あいつが拡散したはずの超越の力を吸収して、新たな超越者になる可能性は無いか?」
「超越者に至るには素質が必要だ。イルヤンカにそれは無いと思うが、
「……冗談だろ」
そうつぶやいたハイドラにとっては、由々しき事態だろう。
だが俺の考えでは、そうであってくれればまだマシなんだがな。
「イルヤンカはまだこの瓦礫の街に居る。もし超越の力を得たのなら、それに耐えきれずに死んでしまうか、あるいはとうに超越者化していても良さそうなものだとボクは思うけど」
「あの化け物は調子が悪そうだってスネークは言ってたよな? だったらその影響でとか?」
……………………。
残念だが、どうやらハズレみたいだ。
確かにイルヤンカの魔力は膨大だが、測定できないほどではない。
つまりあれは、超越者ではない。
……この話題は、ここで切り上げるべきだな。
「他に案も無さそうだし、俺ちょっとイルヤンカの偵察に行ってくるわ。ああ、あとモニク――」
席を立って、俺はモニクに最後の質問をする。
「ヒュドラ《九つ首》の生き残っている三体。そいつらの名前を教えてくれ」
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