第116話 死の超越者

 エキドナ……。

 アネモネが追っていたという海外の九つ首。

 そして、ヒュドラの生みの親。

 ならば、あいつこそが真の黒幕ということか。


 モニクは先程、向かってくる九つ首の中にエキドナが居ればと言いかけていた。

 それはつまり、エキドナが居るならば命を捨ててでも仕留める覚悟だと、そういうことではないだろうか。


 ヒュドラはひとつの首が死んでも他の百頭竜が即座に新たな首となる、実質不死身のモンスターだ。

 しかし超越者たちには、そんなヒュドラにも対抗手段があるという。

 モニクにとっては、エキドナの存否がその切り札を切るかどうかの分かれ目なのだろうか。


 そして、俺もいい加減気付いてはいる。


 ――その切り札は、モニクの命と引き換えに使う能力なのだと。


 アネモネはモニクの能力について言葉を濁していた。

 今考えれば、エキドナを担当していたのがアネモネだったのは、モニクに能力を使わせないためではないのか。

 なら、アネモネの読みでは終わりの街こそがヒュドラ襲来の本命だったのだ。

 しかし現実は……。


 なにが《死の超越者》だ。……本人が死ぬって意味だったとか笑えねえよ。


 だが、まだだ。

 現実のモニクは生きている。

 ならばこの記憶での邂逅は、最悪の結果だけは免れるはずだ。


 エキドナから見ればウィスプへの会話はモニクの独り言に見えたのか、探るようにこちらを見ている。

 向かいのビルからそれなりの距離はあるが、まるですぐそこに居るかのように声が聞こえてくる。


「気安くわらわの名を呼ぶな。……誰と話している?」

「キミには関係ないことさ、エキドナ」

「……何故この街に来たのだ、冥王。イルヤンカの迷宮も落とすつもりか?」

「そうだと言ったら、どうするんだい?」


 ハッタリだ。モニク単独では迷宮に潜れない。

 ……ん?

 超越者ではなくなった子供のほうのモニクなら、迷宮に潜れるのか?

 いや、今はそんなことはいい。目の前の出来事に集中しろ。


「知れたこと。邪魔者は葬り去るまで」

「……カオスは来ていないようだね」

「フン、奴が居なければなんだと言うのだ」


 ――カオス?


 初めて聞く名だ。

 だが会話の流れから、何者なのか大凡おおよその見当はつく。


「自惚れるなよ。いかな貴様が相手とて、妾たちだけで充分だ」


 そして、六体の人影は掻き消えた。


 ウィスプの記憶では、目は見えるし音も聞こえる。

 しかし、俺の魔力操作ではそれが限界なのか、あるいはそういうものなのか、匂いや触覚は曖昧だ。気配であるとか魔力であるとか、そういうものも感じられない。


 ――そのため助かった。


 もし超越者の本気の殺気などを浴びていたら、記憶の中の出来事とはいえ俺の精神はどうなっていたことか。


 は地の底から鎌首をもたげるように、ビルの谷間から現れた。


 ――『蛇』。


 天を衝くような超絶に巨大な蛇。

 六つの首がひとつの胴体から生えている、悪夢のような光景が瓦礫の街に広がっていた。


 ウィスプに心臓は無いが……この記憶を覗いている、俺の本体の動悸が聞こえてくるかのような錯覚に襲われる。

 生身であれば、まともに立っていられるのかも怪しいほどの恐怖に心が支配されかける。


 映像に映っていた六つの首の大蛇は、やはりヒュドラだった。

 単純に《九つ首》が六体しか居なかったから、首も六つだったのだ。


 落ち着け……これは過去の出来事、映像に過ぎない。

 今俺が殺されることはない。落ち着いて状況を分析しろ。


「これは想像以上だな……。エキドナ、キミは確かに魔法の天才だ。超越者の素質なき者が、既存の超越者をも超える力を身に付ける。今のヒュドラは恐らく、戦闘能力に関しては地球最強の存在だろう」


『今更気付いたとて遅い。貴様さえ潰せば、後は迷宮の結界で時間を稼げば良いだけよ。妾の……勝ちだ』


「ああ、そのことか。対超越者結界を無力化したのはボクではないよ」


『……なんだと!?』


 ……えっ?

 それを今バラしてしまうのか?

 もし俺の存在がバレて、ヒュドラに狙われたらひとたまりもないんですけど?


「カオスならば、そのことに気付かないわけがない。彼がここに居ないということは、勝ち目が無いとみて逃げられてしまったようだな」


『何を……何を言っている!?』


 そして、今まで一歩も動いていなかったモニクは――

 ここでようやく、魔剣タナトスを鞘から抜き放った。


「地球を我が物に、あるいは別の目的でも――。分を超える野望を持った超越者は今までにも存在しなかったわけではない。そして、何故誰も生き残っていないのか。キミたちは考えたことはないか?」


 ――『死』そのものを意味する大剣は、星の光を吸い込むように煌めいた。


「超越の力に対するくさびの座、《死の超越者》の名に於いて」


 一閃。


 その場で水平に振るわれた刃は、瓦礫の街を包み斬り裂くかのような光を撒き散らし、しかし何ひとつ斬ることも壊すこともなく、振り抜かれて停止した。




 ――そして、巨大な蛇の怪物は跡形もなく消え去った。




 向かいのビルには、消えたはずの六体の人影が再び現れている。

 だが先程までとは異なり、明らかな狼狽の気配が見て取れた。


「一体何を……! いや、使ったのか!《死の権能》を!! だが、超越者ヒュドラを破るほどの力など存在するはずが……!」


「肉体、精神、存在、概念――。この世のありとあらゆるものに『死』を与えるのが《死の権能》だ。その気になれば、ヒュドラの血族全てをこの世から消し去ることも出来る。ただ、それをやってしまうとボクの友人たちにも死を与えることになりかねないからね。だから、範囲を絞らせてもらったのさ」


 大剣を片手で軽々と取り回しながら、モニクは続ける。


「九つの異能をひとつの超越者と為す――超越者ヒュドラを生み出した魔法の存在に『死』を与えた。いずれにせよ、ヒュドラの生みの親であるキミが射程内に居る必要があったのだけどね、エキドナ」


「……………………!!」


 ヒュドラを超越者たらしめる魔法、それの存在そのものを消した?

 いや、やろうと思えばヒュドラの首のスペアである百頭竜を、全て消し去ることによってヒュドラを倒すことも出来ただと!?


 だが、ヒュドラの血族全てというのは恐らくドゥームフィーンドも含まれる……。

 あいつらを死なせないため、手加減した上でなお、この結果だっていうのか!


 途方もない……。

 ヒュドラの遥か上を行く力だ。

 だが、だが……!

 こんな途轍もない力を行使する、その代償は!


「なんということを! そのような、そのような権能こそ超越者の分を超えている! 《終末化現象》がやってくるぞ……《コズミック・ディザスター》にこの星を滅ぼされたいのか!」


 終末化現象……?

 コズミック・ディザスター?

 違う、俺が心配している代償とは、そんなものではなく。


ことわりを捻じ曲げれば反動が起きる。それが宇宙規模に達したものが《コズミック・ディザスター》だ」


 モニクは静かに、諭すように語る。


「ヒュドラを滅ぼした程度のことでは、《終末化現象》など起こらない。だから、安心するがいい」


 そして、魔剣タナトスが再び水平に振るわれた。

 それは、先程の煌めきとは打って変わった、荒れ狂う暴風の如き一撃だった。

 モニクの足元から先、ビルの屋上の表面は瞬く間に吹き飛ばされ、向かいのビルにも瞬時に無数の亀裂が走る。


 そして、屋上の上に居た六体の人影は、その暴虐の風の中で胴体を上下に引き裂かれ、吹き飛ばされていく。


 いつしか俺はウィスプの記憶の中でありながら、視覚や聴覚だけでなく魔力の流れも、そして命の最期を感じ取ることすらも出来ていた。




 百頭竜ガイア。絶命。


 百頭竜ウラノス。絶命。


 百頭竜タルタロス。絶命。


 百頭竜ゼウス。絶命。


 百頭竜ポセイドン。絶命。


 そして最後に《ヒュドラ・オリジン》エキドナ。絶命。




 世界大災害を引き起こした《毒の超越者》ヒュドラは――


 ――この日この時、世界から消失していた。

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