第31話 第一章最終話・オロチ

 轟音と共に地面に亀裂が走る。

 バス停の土台はアオダイショウの口腔内、下顎に突き刺さっていた。

 嗅覚を司るヤコブソン器官に匂いを運ぶための二股に分かれた舌は、もはや原形を留めていない。

 硬い鱗の内側から攻撃された下顎は、一撃で粉砕されその機能を失った。


 勢い余った上顎は俺の頭上を通り過ぎようとした。

 俺は即座にバス停から手を放し、後方に跳び上がりながら蛇の上顎先端を掴む。


 蛇の頭は地面に縫い付けられた下顎に引っ張られるように止まり、俺は勢いのまま後方に――蛇の前方に身体が流される。

 掴んだ上顎の先端を軸に、鉄棒を回るように一回転する。

 そのまま蛇の頭上へと着地した。


「やっと……止まったな」


 俺は頭上に手斧を掲げると、動きを止めた蛇の脳天へとそれを振り下ろす。


 硬い鱗を斬り裂き骨に達する感触が伝わった。

 間髪入れずにもう一撃。次は骨を砕く。

 足の下の蛇が危険を察知して身をよじる。


 手斧を放り投げると、背中からバールを抜いた。

 頭上で半回転させてから金テコ部分を下に向け、頭蓋骨を砕いた場所に突き立てる。

 同時に蛇は大きく動く。

 下顎の上のバス停を強引に振り払い、俺を振り落とすべく頭を振るう。


 傷は脳に達しているだろうに、全く止まる気配がない。

 俺はテコの先端部を蛇の頭骨の内側に引っ掛け、バールと両脚を支えにその場で耐えた。


 そして精神を集中する。

 水を俺の周囲へと展開させた。

 大気中の水分を集めるだけではとても足りない。


 自身の魔力も水へと変換させていく。修練の末、水を魔力化して集めた分の魔力も水魔法に転用できるようになっていた。その水量は俺と蛇の頭部をすっぽりと覆い包むほどである。

 大量の水は周囲のヒュドラ毒を急速に溶かし始めた。


 しかし、これだけの水を空中に維持することは叶わず、次々に地面にこぼれ落ちる。

 とんでもなく魔力コストがかかる攻撃方法。

 しかし今の俺にはこれが精一杯だ。


 大気中の水分、魔力内の水、更に流れ落ちた水を材料に再び水を作り上から落とす。

 俺もずぶ濡れである。なんとかならんか。


 前方に見える蛇の胴体は散々暴れ回って周囲の物を破壊しまくっていた。頭部はそこまで動かないので辛うじて振り落とされずに済んでいる。


 ひたすら大量の水をかけ続けた。なんだかアホっぽい攻撃だが、敵の呼吸は苦しいはずだ。

 その前に頭を貫いた時点で死なんの……?


 まあこいつらは超常の生物なので、普通の攻撃がどんだけ効くのかは何ともよく分からないところがあるのだが。


 というか俺が息苦しい。

 頭から水をかけられ続けたら、別にヒュドラ生物じゃなくても呼吸が苦しいという知見を得た。

 気管に水が入ってむせる。

 魔力操作が乱れて水が止まる。


「あ、やべ」


 俺の焦りとは裏腹に蛇の動きは鈍い。頭部がスッと下がる。

 そして頭が完全に地面に落ちると、蛇はそのまま動かなくなった。


 根比べに勝てた。蛇の身体は色を失い、光の粒子となって俺の身体に吸い込まれていく。


 ところで蛇の死因が窒息じゃなくて頭に刺さったバールだったら、最後の攻防ってひょっとして無意味だった?


 …………。


 窒息死ということにしておこう。

 水魔法での戦い方を指南してくれたエーコのためにも。


 バールのようなもので殺害された蛇はいなかったのだ。




「おめでとう。見事な戦いぶりだったな。流石は破毒の狩人だ」


 いつの間にかモニクがそばにいた。本当に危ないときには助けてくれるつもりだったのだろう。


「ありがとう。モニクのおかげだよ」


 そして心の中でエーコにも礼を言う。

 モニクは俺に背を向けて駅の方角を見ながら言った。


「北の迷宮出入り口がある以上、また同じような生物が出てくる可能性はある。でもこちらから侵入するのにも、あれは便利かもしれないな」


 そっかー。まだそれがあったかー。

 俺は自分で思ってたよりは奴らと戦えるみたいだが、地下の敵は地上よりも手強いって以前エーコが言ってなかったか。

 先は長いな。


 雨が降ってきた。

 時間制限に間に合ったな。

 まだぽつぽつとだけだが、空模様を見るに本降りになるかも。


 天気予報を見た上で、今日を決戦の日に選んだ。

 雨が降った時点で奴らは逃げるから、そこで強制的に戦闘終了ってわけだ。

 俺が負けそうになったときの保険のつもりだったが、蛇を逃がしてしまう可能性もあったな。


 人類にとって恵みの雨。

 そして来月からは梅雨の季節。

 駆け出しヒュドラハンターの俺としては、一年中梅雨でもいいくらいだな。




 ときに五月三十一日。


 かつて追われた住処を、俺は取り戻した。

 いやもう住めないけど……。

 でも俺はこの日、初めてヒュドラに一矢報いることが出来た気がした。

 俺の人生に、光明が差したような気さえしたのだ。


「どうやら、希望を見いだせたようだね」


 その言葉にハッとする。モニクは背を向けたままだ。


「覚えているかい。キミがそれを見つけたなら、ボクの望みをひとつ聞いてくれる約束だったね?」


 そう言ってモニクは手を後ろで組みながらくるりとターンをして腰を折り、上目遣いで俺を見る。

 なにその動き。あざと可愛いかよ。

 なんでも聞く気になっちゃうだろうが。


「そろそろ」


 うん?


「キミの名前を教えてくれてもいいんじゃないか?」


 ……はい?


 もしかして、望みってそれ?


 俺の名前――

 興味ないわけじゃなかったのか。

 いや、聞かれなかったからってずっと名乗らなかった俺もどうかとは思うが。


「オロチ」

「ん?」

「俺の名前。大蛇おろち綾世あやせ

「ぐっ」


 …………。


 なんだ今の反応。

 もしかして噴き出しそうになるのをこらえたのか?


 確かに『あやせ』とか女の子みたいな名前なのであんまり名乗りたくはなかった。でもそこまでウケるほどのことでもないと思う。


「オロチ……オロチか……くっ」


 ツボだったのは苗字のほうらしい。


「いや、すまない。ああ、とてもいい名前だよ。これからキミのことはアヤセと呼ぼう」


 そっちで呼ぶんかい。

 でも悪い気はしない。


「そうか……オロチとヒュドラ……くふっ」


 まだウケてるよ。

 まあ日本神話に登場するヤマタノオロチとギリシャ神話に登場するヒュドラは、全く無関係な怪物なのに外見が似てるって、たまに引き合いに出されたりするしな。

 俺も敵の名前がヒュドラだと認識したときは、複雑な気持ちにならないこともなかった。

 なんだその東西化け蛇対決。


 オロチ対ヒュドラ。


「まるで午後ショーだな……」


 雨が落ちてくる曇天を見上げながら、誰にともなく俺はつぶやいた。






  第一章 終わりの街のオロチ  ~完~

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