第21話 命を喰らう者

 食品売り場を調べていると、すぐにもう一匹のネズミを発見してしまった。


 単独で来ていただけなんて、都合のいいことはやっぱりないか。こんなにも早く次に遭遇するとはな。

 何十匹もいたら流石に逃げる。リュックの中を軽くするため、非常食を宿直室に置いてきてしまったのは失敗だったか。

 十匹以内だったら頑張って駆除しよう……。


 さて、二匹目は先制攻撃をしてみたい。近付いても見つからないように……。

 無理でした。

 向かってきたネズミを蹴って、殴って、刺して倒す。

 止めを刺したことを確認したらバックステップ。

 光の粒子がふわっと襲いかかってきて、一瞬で追い付かれた。でも消えた。


 なんなのこれ。呪いかなんかか?

 勝ったのは俺のはずなんだが、なんか不安になる。


 売り場を一周する間にもう一匹見つけたので駆除。以下同文。

 これで全部か?

 むっ……。

 今なんか動いたな。あれは……。


 惣菜コーナーの窓ガラス。その奥は調理場だ。ガラス越しでよく分からないが、そこに何かいたような気がする。

 バックヤードか……。


 なんとなく俺の直感が、そこに入ることをためらった。アオダイショウから逃げるとき、狭い屋内は俺に有利に働いた。今回はどうだろうか。食品売り場は俺にとってそこそこ戦いやすい広さだ。落ちてる衣類や買い物カゴ、カート類は邪魔だけれども。


 深呼吸をしてからゆっくりバックヤードの入り口を開ける。中は売り場よりも雑然としていた。ここには既に入ったことがある。

 食料の在庫が置いてあるからな。ただ、店頭在庫だけでも俺一人ではとても消化できない。だからこっちは放置していた。

 狭い通路を奥へと進んでいく。


 ネズミは突如上から襲いかかってきた。


 しまっ……。

 奴ら、高いところには登れないんじゃなかったのか!?


 いや、雑然と積まれた荷物、棚の横のダンボール群。ここは。

 ここは奴らにとって、上に登りやすい環境だったんだ。

 咄嗟にバールを持ち上げて防御する。上手く当たってネズミを弾いた。


 これはバント? バントっぽいな? 別にどうでもいいけども!


 落ちたネズミに追撃すべく、バールを長く持ち替えて振ろうと――

 甲高い金属音とともに、バールの動きが止められた。スチール棚の柱に先端がぶつかり手にしびれが走る。「狭い場所では長ものは不利ッス」と、誰かに言われたような気がする。ネズミはすぐに起き上がった。


 バールから手を離すと、落下するそれにぶつからないよう前方に踏み込んだ。そして起き上がったネズミを蹴飛ばす。吹っ飛んだネズミは奥の荷物に激突するが、多分たいしたダメージではない。


 右腰のアックスホルダーから力任せに手斧を引き抜いた。前方に走りながら刃に取り付けられたカバーを引き剥がす。

 体勢を立て直してこちらを向くネズミに対して、腰を折るように、地面に叩きつけるように手斧の一撃を振り下ろした。

 肩口からざっくりと、胴体の半分まで切り裂かれたネズミはそのまま絶命する。

 光の粒子はもろに浴びてしまった。


 手斧をじっと見た。べっとりと付着したはずの血液はきれいさっぱり消え失せている。

 ……ダメだこの武器。

 地面すれすれを攻撃するのに使う武器じゃない。腰を痛めるかと思ったわ。これならバールを慎重に振り回したほうがマシ。どう転んでもこの場所ではネズミに有利みたいだ。


 手斧を腰に戻してバールを回収し、探索を再開する。今度は上に注意を払うのも忘れない。

 居た。棚の上を走ってくる。

 バールを振りかぶって上斜めの方向に振るう。ネズミに直撃した。

 地面に落ちたネズミは今のカウンターで既に虫の息。

 バールの先端を振り下ろすと胴体をあっさり貫通し、更に床に穴を穿った。


 はい?


 なんかこの個体、妙に柔くないか?

 あとここの床も脆くない?


 違和感を感じつつ周りを見渡す。視界に新手はいない。

 バックヤードを出ることにした。




 扉を開けてフロアに出た瞬間それに気付く。

 一匹、二匹……三匹いるな。


 よくすぐに気付いたものだ。普段の俺なら一匹目に気付いた後それに集中して、背後から他の二匹に襲われていたに違いない。なんか勘が冴えてた。


 三匹が一斉に飛び出す。だが連携はいまいち。距離が違うんだから、一斉に飛び出しても俺のところに来るのはバラバラだ。


 三匹を同時に俯瞰する。一匹目のネズミを視界の端に捉え、片手で無造作にバールを振り下ろす。直撃。骨を砕いた感触が伝わってくる。致命傷であることを即座に理解した。


 二匹目と三匹目の距離が近い。二匹目を攻撃したら、その隙を三匹目に突かれるタイミングだ。どう戦うか。蹴るのは駄目だ。蹴った直後、軸足一本で立っている体勢だと俺に出来ることは限られる。


 振り下ろしたバールの先端を走らせる。地面で弧を描くように、持ち手を変えて振り抜いた。二匹目の頭を砕いて吹き飛ばす。


 振り払われたバールの隙を突くように三匹目が突進してきた。俺は片足を上げると、三匹目の頭を踏み抜いた。頭蓋骨を一撃で砕き、そいつの命を散らす。靴の下のそれはもはや原形を止めておらず、やがて色を失い消えていく。


 周囲には三匹分の光の粒子が舞い、それらは全て俺の身体へと吸い込まれていった。




 俺は理解した。


 最初のうちは何が起こっていたのか分からなかった。だが光の粒子を浴びる度に、少しずつその内容が感覚で分かってきた。


 俺はヒュドラ生物の命を奪い、自分のものにしていることに。


 十匹も倒さないうちに、ネズミの駆除効率が格段に上がってしまった。コツを掴んだどころの騒ぎではない。身体能力が明らかに向上している。


 何故俺にこんなことが出来るんだ? 何故俺はこんなに戦える?


 やっぱり俺は、化け物になってしまったのか……?


 ヒュドラの捕食という、おぞましい言葉が脳裏をよぎる。

 違う。俺はネズミを食う趣味とかはない。しかし死体消失はヒュドラの捕食行為って話だよな……。


 殺して喰うことはしても、食料には手を出さないヒュドラ……。

 もしかして、それが目的か? 他者の命を奪うことで強くなれる能力を持っているのだとしたら。

 世界大災害で途轍もない量の命を奪ったヒュドラは、いったいどれだけ強化された?


 想像も付かない。ネズミ十匹程度を倒した俺でも、今や一流のネズミスレイヤーだ。

 でもあれだな。成長曲線的な? なにごとも最初は急激に上達するものだ。ネズミ百匹倒したら今の十倍強くなるかと言われたら、ならない気がする。俺の感覚がそう言っている。これも命を奪うことで得た、新たな能力なんだろうか?


 腹が減った。


 あんだけ動けばな。でも腹が減るってことは、やっぱネズミを食ったことにはなってないみたいだ。メシを食うのと命を喰うのは別の概念なんだろうな。


 ドリンクのゴンドラからスポドリを取って飲む。ついでにサプリコーナーでプロテイン系のバーを取ってかじった。それからインスタント食品コーナーで袋麺を回収する。一度部屋に帰ろう。


 急に行動が隙だらけになったが問題ない。

 俺の感覚――索敵能力が、この場にはもう敵が居ないことを告げていた。




 鍋に水を入れて、食堂前の屋上に出る。いい天気だ。


 カセットコンロを点火して、鍋を火にかける。昨日はそんな余裕がなかったが、屋外で調理というのも結構楽しい。インスタントラーメンもキャンプで食うのは美味いらしいし。


 そう、この袋ラーメン。

 普段はたいへんお世話になっていたけど、半月くらい食ってない。大災害で最初に食ったのはカップ麺だったような気がするが、それ以降は保存の利かないものを優先的に食べるようにしていたからだ。


 とても腹が減ったので二袋茹でた。スープはとんこつ。何故なら一番空腹に効きそうな気がしたから。

 たまごとかチャーシューとか入れたいけど。その辺はもう難しいかな。代わりに瓶入りの胡麻を持ってきた。火から下ろした鍋の中にどさどさ入れる。


 青空の下、鍋の中に直接割りバシを突っ込む。持ち上げた麺に息を吹きかけ冷ます。ずるずるとすすった。麺を噛むと口の中に小麦粉の香りと甘みが広がる。胡麻のぷちぷちとした食感が快感を増幅する。飲み込むときの喉越しも気持ちいい。夢中で食った。


 即席麺は久々に食うと美味い。この世の真理だな。

 パイプ椅子の背もたれに体重を預ける。食堂の椅子としては酷いチョイスだ。従業員用なのでこんなものか。屋上の上は殺風景だが、その先には街が広がっているのが見える。

 空気が綺麗だ。排ガスとか一切出てないからなあ……。まあ見た目は綺麗でも猛毒なんだけどな、この空気。


 鍋を片付けるとケトルで湯を沸かす。食後のコーヒーを淹れた。違いは分からなくても香りはいい。ヒュドラ毒に満たされた死の世界でも、その香りは公平だった。


 あるいは今月に入って、今が最も穏やかな気分だ。




 それは……俺の心が怪物に一歩、近付いたことの証左なのかもしれないが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る