第20話 ネズミ

 一夜が明けた。

 昨日作った弁当を食いながら考える。日用品が要るな。家電ショップには電池対応の生活用品も多少は売っていると思う。後で探しに行ってみよう。


 物資を持ち帰るためにリュックの中はなるべく軽くして、バックヤードからフロアへと出る。

 中央通りは天窓から光を取り入れているためそこそこ明るいが、日陰になる各テナント内は非常灯の光に照らされているだけだ。昼間でも昨夜見た日没後の光景と大差ない。


 これなら従業員用バックヤードのほうがよほど明るい。普通のご家庭でも見られるような飾り気のない窓が、そこかしこにあるからな。


 二階にある家電ショップを物色する前に、一階の食品売り場に寄ることにする。時間がかかるようなら、途中で腹が減るかもしれない。




 食品売り場に近付き、中に入る前にそれに気付いた。

 中で何か動かなかったか?


 おいおい、もうかよ……。

 たった一日で、電車一駅区間の半分の距離を行動範囲に収めてしまったのか?


 このペースだと、あと一週間もすれば封鎖地域内に俺の逃げ場はなくなってしまう。月末を待たずして、東の隣街も奴らに制圧されてしまうだろう。

 来月まで俺が生きているかどうか、かなり怪しくなってきた。


「チッ」


 仕方ねえな……。


 我知らず舌打ちをすると、バールを抜いて食品売り場の中に踏み込む。

 俺にもう迷いはなかった。


 俺とて巨大化生物に無謀な戦いを挑むつもりはない。なら何故自分から危険な場所に踏み込むのか。

 それは先日に自宅の前で見た雀の存在が気になったからだ。

 雀は襲ってはこなかったが、アオダイショウは正確に留守中の俺の部屋を破壊した。いくら鼻が利くといっても、ちょっと出来過ぎだろう。


 なんらかの情報共有をしたと見るべきだ。

 最初はそんな荒唐無稽なこと、考えもしなかった。

 だが、敵は人智を超えた神のような存在らしい。


 巨大化生物だけなら突然変異の怪獣みたいなものだと思えなくもないが、俺はそれを超えるであろう存在を既に二人も目にしている。片方は金髪のねーちゃん。もう片方は……。


 常識は通用しない。

 さっき売り場の外から見えた影は小型だった。

 なら俺にも勝ち目はあるかもしれない。


 発見されたら始末する。なんなら発見される前でも始末する。

 これがたった今決めた俺の方針だ。




 カリカリとなにかを引っ掻く音が聞こえる。

 生鮮食品売り場の方だな。腐敗臭が漂ってくる。

 棚の陰から音のするほうを覗いた。


 ネズミ……だよな?


 ネズミが生鮮食品を乗せる棚の足元をカリカリ引っ掻いてる。

 ネズミも例によって街中じゃ見ることはなかった。食品卸売市場とか、古い食堂が並んだ商店街とかではそれなりに出るらしいし、チラッとなら見たことはある。その程度だ。

 遠目にもネズミだとすぐに分かったのは――


 デカいなおい!


 そう、巨大化生物を引いてしまった。接敵ガチャに敗北した気分だ。リセマラを所望したい。

 ただし、ネズミが巨大化したところで猫ほどの大きさもない。ただデカくなったネズミというなら、勝てないこともないのではないか。

 ネズミの戦闘能力とかよく知らんけども。電気とか出さないよね?


 それにしても何してんだアレ?

 腐った食品を漁りたいのか。だったら棚に登ればよさそうなもんだが。


 昨日も考えたけどヒュドラ生物は普通のもん食うの?

 ボスは踊り食い専門のグルメなのに?


 ふと、奴らは生前の記憶に従って、クセでそういう行動をしているだけなのではないかという考えが浮かんだ。

 そこまで本気で食事を求めていないから、棚の上にも登らないのでは、みたいな。


 あれ?

 でもそうすっと俺が普通の食事をしているのも、もしかしたら……。

 いやこの考えは止め止め。怖いわ。


 あ。こっち気付いた。やるしかないか。


 俺は落ち着いていた。まあだからこそくだらんことを延々と考えてたんだが。

 ネズミはこちらに向かって駆けてくる。俺がヒュドラ生物に嫌われているというのは本当のことらしい。

 だが。


 だが遅い。

 そう、このネズミの動きは遅かった。


 元の大きさと比べて、絶対的な速度は上がっていると思う。通常サイズと競争すれば、デカいほうが勝つだろう。大きい分当然ともいえる。しかし動きは精彩を欠くというか、デカい身体を持て余しているように見える。


 この巨大ネズミは小さめの猫くらいの大きさだが、猫には及ばない動きだ。

 だけど仮に普通の猫と同じ動きが出来たところで、その程度では結果は変わらない。


 俺は足元に迫ったネズミを、思いっきり蹴り上げた。


 わざわざ向こうから突っ込んできたのだ。サッカーボールを蹴るよりも容易い。俺はサッカーボールを蹴った経験がほとんどないけれども……。斜めに飛んでくるパスとか受け取るの、難しくね?


 ヒュドラ生物もピンキリというか、こいつは失敗作だろう。

 こいつは棚に登らなかったんじゃない。登れなかったんだ。


 ネズミはサッカーボールの如く弧を描いて飛び、床に叩きつけられた。

 ここで「やったか?」とか言って手を止めるのは駄目。

 もう俺は先日のカラスで学習した。バールで殴られてアスファルトに叩きつけられた鳥がすぐ起きて飛べるわけがない。こいつらはオリジナルより頑丈だ。それもピンキリなのかもしれないが簡単に見分けはつく。


 あいつはまだ『消失』していない。


 俺はバールを構えて飛んでいったネズミをダッシュで追った。

 案の定、床に転がったネズミは手足をバタつかせて起き上がろうともがいている。


 逃がさん……!


 慌てては駄目だ。止まっている標的とはいえ、走り込みながらバールを振り下ろしたら隣の地面を叩いてしまう可能性がある。練習もしていない動作など急にはできない。

 俺は倒れたネズミの直前で急停止すると、狙いを定め、力を込めてバールを振り下ろす。


 先端部がネズミの腹に命中し、妙な悲鳴と血を吐き出す。まだだ。

 更に踏み込むと、バールを持ち替えてテコと逆側の先端部を下に向ける。

 それをネズミへと突き立てた。

 最悪の感触だ。しかし怯んでなどいられない。


 腹部を貫かれたネズミは、力尽き動かなくなった。

 周囲に飛び散った血、俺への返り血も急速に色を失っていく。


 死体消失現象が始まった。


 だが、予想外のことが起きた。

 ネズミの死体は発光しほどけるように粒子と化していったが、その光の粒子が突然俺に襲いかかってきたのだ!


「んなっ!?」


 どういうことだ? この状態ではまだ完全に死んではいないのか?

 反応が少し遅れる。跳び退こうとしたが間に合わない。

 俺は光の粒子にまとわり付かれ――


 だが、粒子はそこで消えてしまった。


 助かった、のか?


 体に痛みはない。特に異常も感じられない。

 ネズミは最後に反撃しようとしたが、あの状態では結局なにも出来なかった。

 ということでいいのだろうか?




 俺は一度食品売り場から離れ、考え事をしていた。

 ネズミは一匹だけだろうか。他にもいるとして、場所は食品売り場内だろうか。

 巨大化とは相性の悪い相手で助かった。

 もし小さいままだったら負けることはなくとも、むしろ倒せなかったまである。

 的が小さいと攻撃を当てるのも一苦労だからな。


 また、巨大化したら鈍くなるとは限らない。油断はできない。

 アオダイショウのサイズまでいくと鈍くなってるのかどうか、もはや見当も付かない。金髪のねーちゃんは人間の動きとは思えなかった。大きさではなく身体能力そのものを強化した個体が混ざっている可能性もある。

 普通サイズの猫でも、虎の如き戦闘能力を有していたら俺に勝ち目はない。


 事前に分かるわけもなし。これはもう完全に運だ。

 接敵ガチャ。次もいいカードが引けるように祈っておこう。


 考えをまとめた俺は、侵入者を駆除するべく再び食品売り場へと向かって行った。

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