第2話 中身の無い服

 身投げする人間が靴を揃えて置いておく、という話は聞いたことがあるが実際に見たことはない。ただ、そういう悪戯は見たことがある。屋上に靴が揃えて置いてあったりとか。悪戯だよな?


 目の前の服は、なんだかそういうものを連想させた。悪趣味な悪戯だ。そういえば隣の部屋にも服が落ちてたけどあれも悪戯か?

 まさかなあ。


 バイト先のコンビニまでは徒歩二分もかからない。物凄く近所なのだ。電話が通じなかったのなら、店員の誰かが部屋に来ていた可能性もあるだろうか。


 ただ、いくら近所とはいっても知らない人から見れば、どのアパートのどの部屋に俺が住んでいるかなんて分からないものだ。

 来られるとしても住所を知っている店長くらいなものだろう。あの人シフトの穴埋めにいつも忙しそうだからな。そんな余裕はなかったかもしれない。


 人けのない道を通りコンビニに着くと、また『それ』を発見してしまった。


 服だ。


 入り口自動ドアから数歩の場所に、倒れるような格好の服が地面に落ちている。上下ともだ。直視しなかったが多分靴も靴下もあるのだろう。ぞわりとした感情が腹の底から上がってきた。


 怖い。これが悪戯だとしても怖すぎるわ!

 どうなってんだ一体。怖いからすぐに知り合いに会いたかった。バイト先の他の店員に興味はなかった。仲間とか思ったこともない。でも今は一刻も早く自分の無事を伝えて相手の無事を確認したくなったのだ。


 冷静に考えて、これが異常者か何かの悪戯だとしたら、服が落ちているコンビニに近付くのは危険だったかもしれない。でもそんなことより店員の無事を確かめたかった。俺はあの人たちが心配で仕方がなかったのだ。


 俺は意外と薄情者ではなかったらしい。


 地面の服はなるべく見ないようにして早足で入り口に近付く。自動ドアが開き、お馴染みの入店チャイム音が鳴り響いた。店内放送もいつも通り元気に流れていて少し安心する。


 でも店内はメチャクチャだった。床に物が落ちまくっている。元々地震対策はしているので棚が倒れているとか商品が全部落ちているとか、そういった状態ではない。でも地震から三日経ったのに床に物が落ちまくっている状況が異常だ。


 店内には誰も居なかった。


 店が開いてるのに? このコンビニは冷蔵庫裏だけでなくレジの後ろにもバックヤードがあって、そこが事務所になっている。俺は出勤したときと同じようにそこへ向かった。事務所のドアを開けるときにレジカウンターの内側を見る。

 そこには――


 コンビニ制服を羽織った服が一式、床に崩れ落ちていた。


 ヒュッと息が出る。これは悲鳴か。絶叫はしなかったけど悲鳴のなり損ないみたいなものだ。逃げ出したくなった。


 逃げるべきだろう。でも何処に?


 自分のアパートか? でも隣の部屋にも服が落ちていたじゃないか。何が起きているのか全く分からないが、自分の部屋もこのコンビニも危険度でいえば大差ないんじゃないだろうか。


 しばらくその場で固まっていた。能天気な店内放送は流行りの歌を流し、そして新商品の宣伝を始めた。少し冷静になってきた。自分でも意外なほどである。


 知り合いの店員の服が視界に入るのは落ち着かないので、一度レジの外に出ると床にへたりこんだ。まずどうするか。通報だよなやっぱ。ただどうやって説明するか。


「あ」


 駄目だ。電話は通じないんだったな。スマホを見るが相変わらずアンテナは死んでいる。そもそも大災害のときってパトカー呼んでもそうそう来れないんじゃなかったか。待てよ、事務所には固定電話があったな?


 仮にこの現象が起きたのが地震のあったときなら、店員は二人いたはずだ。昨日か一昨日なら俺が無断欠勤した日なのでワンオペという可能性もあるだろう。


 一人見るのも二人見るのも同じだ。覚悟を決めて事務所の中へ入る。そこにはやはり、コンビニ制服を羽織った服が落ちていた。


 まっすぐ机の上の固定電話に向かう。ワイヤレスの受話器を持って110番にかける。


 通じない。知ってた。


 いやネットが生きてるのになんで通じないんだ。もしかしてアナログ回線なのか? 店内放送は無事みたいだが、部分的に壊れる可能性もなくはない。しかし俺には区別が付かないな。


 さて、次はどうするか。街の人たちはどうしている? 避難所に集まっていたりするのだろうか。近所に小学校があるからそこの様子を見るのもいい。でもその前に交番に行くか。駅前まで徒歩十分。


 行く前になにかまだ調べられることがあるだろうか。あるな。嫌なことを思い付いてしまった。今倒れている制服の名札を確認してシフトと照らし合わせれば、この現象がいつ起きたのか分かるかもしれないじゃないか。


 無情にも制服の名札のあるほうは地面を舐めており、確認するには服を持ち上げなければならない。触れるのか、あれに。


 今起きていることは非現実的なことだ。だがそれでも、仮に悪戯であったとしてもだ。中身の無い服は、ある事実を示している。


 それは、服を着ていた『中身』が消えて失くなってしまったということだ。


 その場合、中身は生きているだろうか。これが超常現象だというのならば死んでいる。『午後の映画ショー』の世界ってやつだ。もし悪戯だとしても、これは明らかに死体を見立てている。

 どっちにしても。


「まるで午後ショーだな……」


 言ってる場合じゃない。冷静に考えられるようになったのはいいことだが、独り言が多いのはヤバい。開き直った俺は事務所に落ちてる服を掴むと名札を確認した。


 いや、制服の下に着ている服の系統から誰だったのかは大体分かってるんだけどな。レジのほうも確認して、シフト表を見る。


 日付は『五月一日』。

 昼番の名前は『小木』、『最上』。


 地震のあった日で間違いない。それはそうだよな。俺が気絶している間にシフトが変わった可能性が残っているとはいっても、床に散らばっている商品の説明がつかない。


 あの日以降、地震は起きていないらしい。何故か余震すら全くないのだとSNSで言ってるのを少し見かけた。その後はなんか陰謀論とかが続いていたのでよく読んでないが。


 とにかくあの日を境に、少なくとも俺の住んでいるアパートとバイト先の状況は激変した。ここだけ世界滅亡人類滅亡したみたいなことになっている。


 ここだけ。本当にそうならまだマシなんだけどな。俺はコンビニを出ると駅に向かって歩き始めた。




 交番に着いた。正直中を見るまでもない。ここに来るまでに、至るところに落ちていたのだ。服が。


 それは駅に近付くほどに多くなっていった。当然だな。そうか?


 あれだよ、仮にこれが人間消滅超常現象かなんかだったとしよう。それが前提なら駅に近付くに連れたくさん服が落ちてるのは当然だろ?


 駅構内とかもはや冗談のような光景だ。電車に乗って遠くへ逃げるとかも考えたが、流石にあの中には入りたくない。あとこの状況で電車が動いているわけがない。

 ロータリーにタクシーとか停まってるけど、運転席にはやっぱりドライバーの人が着るような服が落ちていた。


 少し感覚が麻痺してきた。交番に入ったら予想通りの光景が広がっていた。光景というか床に広がってるのは警官の制服だけどな。

 ここにわざわざ入ったのはあることを確かめるためだ。俺はもはやあまり躊躇いもせずに制服を掴むと、そこに拳銃があることを確認した。


 少し考え込む。仮にこれが俺の想像するような超常現象じゃなく、ただの悪戯だったとしよう。これを実行した奴は超常現象と同等か、それ以上にタチの悪い奴だ。

 超常現象か異常犯罪者の二択であり、危険度という意味ではどちらでも大差なくなってしまった。


 この銃はどうする?


 持って行っても俺にはこんなもの使えない。銃は素人が使っても簡単には命中しないっていうし、脅しが効くような相手じゃないと意味がないよな。護身用に持つなら、俺でも確実に扱える武器じゃないと駄目だ。これは後で考えよう。


 もうひとつ、これを他の誰かが持っていって脅威になりはしないかということだ。例えば火事場泥棒。でもこの駅の周囲に限っていえば、火事場泥棒し放題な状況である。銃とか別にいらんだろ。

 仮にこの現象が異常者の犯罪だった場合、犯人は銃になど見向きもしなかったということだ。火事場泥棒なんてそれに比べれば可愛いものだが、念のため対策は考えておこう。


 そもそも他に人が居るのかという疑問もあるのだが、俺がこうして生きているということを考えれば居る可能性はあるだろう。閉め切った屋内にいれば助かったとか?

 俺が三日間意識を失っていたのは当然無関係ではないよな。そう考えると、俺もこれから消える可能性があったりするんだろうか。いかん、また怖くなってきた。


 とにかくだ。いずれ他の地域の警察なりがここに来たときに妙なことになるのはご免だ。預かるよりもどこかに埋めてしまって、後で然るべきところに報告するのが妥当だろうか。でも今そんな余裕はないな。時間があったらやっておこう。


 警察や自治体の助けは今は期待できそうにない。しばらくの間はコンビニの食料で食いつなげるかもしれないが、もしこの状況がずっと続いたら?


 当面の食料を確保するため、俺は来た道を引き返すことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る