第31話 日向の過去①/宝物/一番大切な思い出
淡い月明かりが、私のことを照らしていた。
ベランダから眺めている夜空には、真っ白な月がぽっかりと浮かんでいる。月乃ちゃんが住んでる隣のベランダを見ると、窓に灯りはなかった。
悠人君、もう寝たのかな。
私もそろそろ寝なくちゃ、って頭では分かってるのに心がそわそわしてちっとも眠くない。高校受験の前の日の緊張感のような、そんな気持ち。
だって、明日は悠人君と初めての――。
(……家族として寄り添いたいから、かあ)
家族ってなんだろう。
もしそれが血の繋がりだっていうのなら、私と悠人君は永遠に中途半端な家族にしかなれない。私と悠人君には、半分しか同じ血が流れていないんだから。
じゃあ、私の本当の家族はお母さんだけ、ってことになるのかな。
生まれた時から母子家庭だった私を、お母さんは再婚するまでたった一人で育ててくれた。小さな頃は私を養うために仕事ばかりしてて、家に帰るといつも私一人だった。
私って、お母さんに嫌われてるのかな――そう思ってた頃もあったっけ。
思わず苦笑してしまう。あの頃から、私って家族への接し方が下手だったんだ。
悠人君と一緒に暮らしたいって相談した時も、最後には許してくれたけど猛反対された。お母さんは哲也さんが大嫌いで、だからこそその息子の悠人君と一緒に住ませたくなかったみたいだから。
だけど、それでも私は家を出て、こうして悠人君と暮らしてる。
それくらい、悠人君は私にとって、特別な人だから。
「………………」
ベランダから立ち去る。向かうのは自分の部屋のクローゼット。
一番奥にある、三つ積まれた段ボールの一番下の箱。その中にあるのは、誰にも見られたくない私だけの宝物。
「あっ、あった」
つい頬を緩ませながら、私はそれを――少しだけ色褪せたふわしばのぬいぐるみを取り出した。
懐かしいな、ってつい思ってしまう。
この子は、最近悠人君がプレゼントしてくれたふわしばとは別の物――私が六才の頃、ある男の子がくれたものだった。
◇
遊園地に来たのは、生まれて初めてだった。
大きな観覧車も、可愛いメリーゴーランドも、いつか乗ってみたいって憧れてた。なのに、今すぐお家に帰りたい。
だって、今日の遊園地にはお母さんがいなくて、知らないおじさんと知らない男の子の二人と遊ばなきゃいけないから。
どうして、お母さんは来てくれないんだろう。
……やっぱり、わたしのことが嫌いだから、なのかな。
「雪代、です。六才になります。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
わたしはお母さんに教えてもらった通り、ぺこり、とお辞儀をする。
男の子は不思議そうに首を傾げて、
「雪代ちゃん、って名字だよね? 名前は?」
「………………」
喋らなきゃ。ずっと黙ってたら、この男の子に嫌われちゃう。それなのに、どうしても自分の名前が言えない。
だって、日向って名前が大嫌いだったから。
幼稚園のみんなに、お日様みたいにぽかぽかしたこの名前が、引っ込み思案で臆病なわたしにちっとも似合わないって、よくいじめられたから。
喋らないわたしを、男の子がじっと見てる。嫌だ、変な女の子って思われちゃう。なのに少しも口は動いてくれなくて、熱い何かが目の奥から込み上げてきて――。
ぱっ、と男の子が顔を明るくした。まるで、わたしを励ますみたいに。
「じゃあ、ユキちゃんだね。ユキちゃんは遊園地って来たことある?」
「…………(ふるふる)」
「そっか、初めてなんだ。じゃあ、今日は一緒に楽しめたらいいね。ねっ、お父さん」
「そうだな。ユキちゃんも同じ年頃の子どもといた方が楽しいだろうからな。俺は離れて見守ってるから、自由に遊びなさい」
「うんっ。よろしくね、ユキちゃん。ぼくの名前は――」
男の子が自己紹介をしてから、わたしたちは遊園地の中に入った。
なのに、全然わくわくしなかった。隣でにこにこしてるこの男の子をがっかりさせちゃいけない。そればっかり考えてた。
だから、男の子の「何に乗りたい?」って言葉にも、何でも良いって答えた。
「じゃあ、乗りたいアトラクションがあるんだけど、いい?」
それから、命令だけを聞くロボットみたいに、わたしは男の子の後をついていった。
メリーゴーランドにも乗った。ティーカップにも乗った。観覧車にも乗った。
男の子が乗りたかったアトラクションは全部わたしの憧れてたもので、それなのに、あんまり楽しくなかった。
……やっぱり、わたしなんかが来るべきじゃなかったのかな。
男の子と色んなアトラクションを回る度に、怒られるんじゃないか、ってどきどきしてた。ユキちゃん何も喋らないからつまんない、そう言われるかもってびくびくしてた。
早く、この時間が終わらないかな……そう、ゲームコーナーを歩いてる時だった。
思わず、わたしは足が止まった。
大好きなふわしばのぬいぐるみが、景品として飾られてたから。
「……ふわしばだ」
ご主人様の女の子のために、いつも頑張ってるもふもふした飼い犬。そんなふわしばのアニメを見てると、一人ぼっちの寂しさを忘れさせてくれるから、大好きだった。
もしこの子がいたら、毎日抱きしめるのに。そう思ってたふわしばが目の前にいる。
だから、男の子がわたしを見つめてることにも、ちっとも気づかなかった。
「ユキちゃん、ふわしばが好きなの?」
「っ!? そ、そんなことないよ? ごめんね、早く次に行こ?」
「……ううん、別にいいよ。丁度ゲームがしたかったとこなんだ。一緒にやろうよ」
「……う、うん」
ふわしばのぬいぐるみが景品になってるのは、いくつもあるタルの中にボールを入れるゲームだった。
でも、中にはすごく小さいタルもあって、一等賞のぬいぐるみを取るためには一度もミスをせずに全部入れなきゃいけないみたい。
一回目失敗した時は、もう一度、って思えた。
三回目失敗した時は、難しいな、って思った。
そして、五回目の失敗をした時には、わたしの心は折れていた。
「ねえ、もういいよ。乗り物に乗る時間、なくなっちゃうよ?」
「大丈夫、コツならちょっとずつ掴んだから。お父さん、もう少し遊んでもいい?」
男の子のお父さんが頷いて、男の子はもう一度ボールを掴む。
どうして、この男の子は諦めないんだろう。こんなの出来っこないのに。
思った通り、男の子は何度も失敗をしたけれど、残念そうな顔は一度もしなかった。
男の子が必死なのはみんなにも伝わったみたいで、ボールをくれる店員さんや近くの家族の人が、頑張れー、って応援してる。
そして、一〇回目。残るタルが一つになって、周りがおおっとどよめいた。
も、もしかして、全部入っちゃうの……!?
どうにかなっちゃいそうなくらい胸がどきどきする。男の子は真剣な表情でボールを振りかぶって――かこん、と軽い音。
最後のボールがタルの中に入った音だった。
「~~っ! やった――――――――っ!」
男の子の歓声に、周りの大人たちが満面の笑顔で拍手をする。
すごい――すごいすごいすごいっ!
興奮で胸がいっぱいになって、ぱちぱちと手を叩くことしか出来ない。男の子はトロフィーでももらうようにふわしばのぬいぐるみを受け取って……。
まるでそれが当然みたいに、わたしに差し出した。
「はい、プレゼント」
「……い、いいの?」
「ユキちゃんが欲しそうにしてたから取ったんだもん。もらってくれないとむしろ困る」
恐る恐るぬいぐるみを受け取って、その柔らかさに「わぁ……」って声が出ちゃった。誰かからプレゼントをもらってこんなに嬉しいの、生まれて初めて。
男の子は、ほっとした顔をすると、
「良かったぁ。ユキちゃん、やっと笑ってくれた」
「えっ? わ、わたし……?」
「何に乗っても寂しそうな顔してるから、どうしようって思ってたんだ。せっかくの遊園地だし、ユキちゃんにも楽しんで欲しかったから」
思わず、ぽかんとした。もしかして、メリーゴーランドとかティーカップに行きたいって言い出したのは、わたしに喜んで欲しいから……?
この男の子、すごく優しいんだ。
そう思った時、何だか胸の奥が熱くなったような気がした。
「……あ、あの。あのね」
ぎゅっと、ふわしばを抱きしめる。……お願いします、神様。
今だけ、勇気をください。
「メリーゴーランド、楽しみにしてたの。あのお姫様が乗ってそうな馬車とか、すごく綺麗で。本当はあれが良かったけど、言い出せなくて――もし迷惑じゃなかったら、もう一度乗っても良い?」
男の子が驚いたようにわたしを見つめると、待ってました、ってみたいに笑う。
「もちろん! じゃあ一緒に乗ろっか?」
「――う、うんっ!」
わたしの手を引く男の子の後ろで、おじさんがわたしたちを見守るように微笑んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます